ヒトラーの予言 ─ 2039年の未来図について

投稿日: 2019年12月14日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

■ヒトラーの予言 ─ 2039年の未来図について


●以下は、ヒトラーが語った言葉(予言)である。

『1999年以後』(祥伝社)から抜粋


「…“2つの極”はますます進む。1989年以後、人間はごく少数の新しいタイプの支配者たちと、非常に多数の、新しいタイプの被支配者とに、ますます分かれていく。一方は、全てを操り、従える者。他方は、知らずしらずのうちに、全てを操られ、従わされる者たち。

しかも進むのはそれだけじゃない。人間がそうなるにしたがって、地球にも宇宙にも大変動が起こるのだ。1989年以後、人類には宇宙から、かつてないカタストロフィ(大破局)が近づくのだ。

若いころ私は、『我が闘争』に、いずれ人間が大自然から復讐されると書いた。それが1989年以後の状態だ。人間が思い上がって宇宙の自然を犯すため、宇宙が人類に復讐の災厄を下すのだ。そしてそれが人類を、想像を絶する究極の状態にみちびいていく。私が生まれてから150年後、21世紀に来る究極に。私自身もそれを霊感ではっきりと見てさえ、信じられないような究極に。」


「…(20世紀末は)たとえ表面はデモクラシーや社会主義の世であろうとも、実質はナチズムが支配していよう。デモクラシーの国も社会主義の国も、われわれナチスの兵器を競って使い、殺し合い、社会は私の望むとおり、強く支配する者と支配される多数者に分かれていよう。それは天変地異の期間でもある。人類は大自然から手ひどく復讐される。気候も2つに分かれ、激しい熱と激しい冷気、火と氷、大洪水と大旱魃(かんばつ)が代わる代わる地球を襲うだろう。」


「だからその中から『超人(ユーベルメンシュ)』が現われる。もはや普通の人間ではそういう危機を制御できない。それに対応するため人類は超人たちを生み、超人が世界や気候を、人間や戦争を治めることになる。

つまり天変地異の下に生きる多数者。それを支配する少数者。その陰で実質的に世界を操る超人グループ。これが、私の予知する21世紀の世界である。」


「しかし諸君、さらに重大なのは、私がいま、これを話している100年後のことだ。それを告げるためにこそ、私は今日を選んで諸君を招いたのだ。今日から100年後といえば、すなわち2039年1月25日だ。

諸君にはわからないだろうが、そのとき人類には真の究極の状況が起こっている。そのとき人類は──少なくとも、いま言っているような意味での人類は、2039年1月、地球からいなくなっているのだ。」


「それは諸君、何かの異変か大戦か災害のために、2039年、人類が残らず滅びるという意味ではない。たしかに、それまでに多くの大難が続けて起こる。1989年から1999年まで、世界は続けざまの天変地異と戦乱の中にあるだろう。そのため一部の恵まれた国を除き、多くの国が飢える。いくつかの国は崩れて燃える。毒気で息絶える街もある。

2000年以後は、それが一層ひどくなる。2014年にはヨーロッパの3分の1とアメリカの3分の1が荒廃してしまい(人心の荒廃も含めて)アフリカと中東も完全に荒廃する。結局、いまの文明は砂漠しか残さない。

しかし人類はそれでも滅びない。わがドイツの一部と米ソの中心部、日本や中国は深い傷を負いながらも生き残る。ただ諸君、それでも人類はいなくなるのだ。いまの意味での人類は、そのときもういない。なぜなら、人類は2039年1月、人類以外のものに“進化”するか、そうでなければ“退化”してしまっているからだ。」


「それをもっとはっきり言えば、人類の一部はそのとき、人類から、より高度なものに進化して、神に近い生物になっている。人類から神のほうへ進化するのだから、それは『神人(ゴッドメンシュ)』と呼んでかまわない。

残りの大部分は、これも進化なのか退化というべきかわからないが、一種の機械になっている。ただ操られて働いたり楽しんだりするだけの、完全に受動的な、機械的な反応しか示さない『ロボット人間』になっているのだ。それまでの気候異変と環境異変、政治と娯楽と食物、それから起こる突然変異が、そのようなロボットのような人間を大量に生み出す。

神人のほうも同様で、同じ原因から生まれてくる。ただ突然変異が大脳にプラスに働いて、進化の方向がロボット人間と別方向になるだけだ。その前段階の『超人(ユーベルメンシュ)』たちも、より進化して神人になる場合がある。

いずれにせよ、彼らはいまの人間の数次元上の知能と力を持つ。彼らは団結して地球を支配する。それまでのあらゆる危機や問題は、彼ら神人たちの知能と力で急速に解決されていく。」


「ロボット人間たちのほうは、それに従って生きるだけだ。これはある意味では気楽な身分だ。戦争も気候も経済も、神人たちによって制御されてしまうので、ロボット人間たちは神人たちの認める限度で、多くのものを与えられる。食物と住居も、職業も娯楽も恋愛も教育も、時には思想さえも与えられる。

ただロボット人間たちは、与えられ、操られていることを意識できないようになる。自分たちの意識では、何もかも自分で選択して勝手に生きているのだと思う。しかし、じつは神人たちがすべてを見通して、管理工場の『家畜』のように彼らを育て飼うことになるのだ。

こうして人類は、完全に2つに分かれる。天と地のように、2つに分かれた進化の方向を、それぞれ進みはじめる。一方は限りなく神に近いものへ、他方は限りなく機械的生物に近いものへ。これが2039年の人類だ。その先もずっと人類はこの状態を続ける。

そしておそらく2089年から2999年にかけて、完全な神々と完全な機械的生物だけの世界が出来上がる。地上には機械的生物の群れが住み、神々がそれを宇宙から支配するようになるのだ。」


「人類の二極化」現象について語っていたアドルフ・ヒトラー

■■ナチスは敗れる。第二次世界大戦で敗れる。しかし……


ナチスは敗れる。第二次世界大戦で敗れる。しかしそれは、単に私の作戦が間に合わなかったというだけだ。我々が敗れようと敗れまいと、新しい人類の歩みは進む

超人へ。脳と肉体の進化へ。自己と世界を完全にコントロールできる新しい種族。……それが現われる。ハーケンクロイツの日に現われる。

そのときナチスは甦(よみがえ)る。全てに勝ち、すべては変わる。その日こそ、人類はもう一度、我々の前にひざまずくのだ!」


■■■第2章:「ニーベルンゲン復讐騎士団」


●上で紹介した2039年に関する予言は、
ヒトラー予言の中でも「究極予言」と呼ばれる部類のものだという。
そして、SS(ナチス親衛隊)の中でも、さらに超エリート集団に属する
「ニーベルンゲン復讐騎士団」のメンバーにのみ語られた
「最高秘密の予言」だそうだ。

この「ニーベルンゲン復讐騎士団」についてだが、
『1999年以後』の中では次のように紹介されている。

(長くなるが、参考までに抜粋しておきたい↓)

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「ニーベルンゲン」とは、古代ゲルマンの恐ろしい伝説の名だ。それを生んだ南ドイツのシュバルツバルト(黒い森)、そこを支配していた神話的な一族の名前でもあった。彼らは族長ニーベルング、不死身の若い英雄ジークフリートを中心に、人類の未来を救う力を持つという正体不明の「宝」を守って、深い森の中で暮らしていた。

ところが、あるとき、人類から未来を奪うため、ブルゴンドという魔族が森に侵入してきた。

彼らは裏切者をそそのかし、魔族の毒矢でジークフリートの背中の1点を射させた。そこだけが、不死身の英雄ジークフリートの、たった1つのウィークポイントだった。不死の泉で産湯をつかったとき、そこにだけ、小さな木の葉が落ちてくっついたからだ(一説では、退治した竜の不死の返り血を全身に浴びたとき、背中の1点だけ残った)。

そこを射ぬかれた彼は、苦しんで死ぬ。


ドイツの英雄叙事詩
『ニーベルンゲンの歌』の
主人公であるジークフリート

魔族は森の奥の館を襲って「宝」を奪い、ニーベルンゲン一族の大半も魔族の猛毒で悶死する。

だが、かろうじて生き残った彼の17歳の若妻クリームヒルトは、やはり少数だけ残った「ニーベルンゲン騎士団」の若者たちと、たがいの胸を剣で傷つけ、血をすすり合って復讐を誓う。そのため彼女は、「日の昇る東方のアジア王」の前に美しい裸身を投げ出し、ひきかえに協力の密約をとりつけ、アジア軍と騎士団の戦力をあわせて魔族に挑む。

そして何度かの死闘のあと、存亡を賭けた最後の決戦。「ニーベルンゲン騎士団」は猛毒に苦しみながらも、火の剣で魔族を1人ずつ殺す。クリームヒルトも、敵の首領の「魔王」と深く刺し違え、血と炎に悶えつつ息たえる。

かくて双方、全員が滅び、森も炎と毒で枯れ果てる。

同時に空から燃える星が落ち、大地震と大落雷、赤ん坊の頭ほどの雹も降る。あとは焼け崩れ凍りついた死の静寂。何かわからない未来の人類の「宝」だけが、ニーベルンゲンの廃嘘のどこかに、誰にも知られずに埋もれて残るのである。


アドルフ・ヒトラー

ヒトラーは1889年4月20日、
オーストリアのブラウナウで生まれた

何か人類の運命そのもののような、残酷で予言的なこの伝説。これをヒトラーはことのほか気に入っていた。

「おお、これがゲルマンだ。未来の真実だ。私が見ている未来と同じだ。古代ゲルマンの伝説の中に、来たるべき天変地異と復讐の大戦が暗示されているのだ……」

総統大本営や山荘のパーティで、たまたまこの伝説(ニーベルンゲン伝説)の話が出ると、ヒトラーはこううめいて拳を震わせ、側近たちが恐れるほど興奮することがあった。オペラではもっと興奮した。彼が好きだったワーグナーのオペラに、この伝説から取った『ニーベルングの指環』という3部作があるが、彼はこれを当時のドイツ楽壇のスターたちに命じて何度も上演させ、全てが滅びる幕切れが来ると必ず叫んだ。

「そうだ、ブラボー、みんな死ね! そして復讐に甦れ! ナチは不死鳥、私も不死鳥だ! 民族の血の怨みに選ばれた者だけが不死鳥になれるのだ……」


ヒトラーが愛したワーグナー作
「ニーベルングの指環」

「ニーベルンゲン復讐騎士団」が生まれたのもこれがきっかけである。

彼はその日、とりわけ興奮して、このオペラの「ジークフリート」の幕を見ていたが、美しいクリームヒルトが血をすすって復讐を誓うシーンになったとたん、そばのSS(ナチス親衛隊)の幹部たちに狂おしく言った。

「わかるか、あれがきみらだ。きみらの使命と未来があの中にある。だから、あの名をきみらの中の選ばれた者たちに授けよう。そうだ……。『ニーベルンゲン復讐騎士団』だ!

これからのナチスと新しい人類を築く聖なる土台の将校団だ。それにふさわしい者だけを選んですぐ報告せよ。最終人選は私がじきじきに決める」

こうして、その特殊グループが生まれたのだった。ほかにも「ニルベの騎士団」や「ラインの騎士団」……いろんな名前の将校グループがナチスにはあったが、そういう同期会と「ニーベルンゲン復讐騎士団」は、はっきり違う性質のものだった。

人数はたったの120人。家柄も財産も年功序列もいっさい無関係。たとえ20歳の少尉でも、予知力や霊感や指導力──ヒトラーが認める何か特別な能力──があれば選ばれた。

並外れた体力、天才的な戦闘力、そして何よりも人に抜きんでた高知能、米ソやユダヤや既成の世界への激しい怨念を持っていること、これらも選抜の基準になった。それを表すプラチナの小さなドクロのバッジ。それを胸につけた純黒の制服と黒い鹿皮のブーツ。ベルトには特製の45口径13連の凶銃ユーベル・ルガー。

腕にはもちろん、血の色の中に染め抜かれた黒のカギ十字マーク。

 
SS隊員は褐色シャツに黒ネクタイ、黒上衣、黒ズボン、
黒長靴……というように、全身を黒で染め上げていた

「ニーベルンゲン復讐騎士団」は、ダンディだが不気味な集団だった。

だがその1人1人をヒトラーは、「マイン・ゾーン(私の息子)」と呼んで異常にかわいがった。公式の政策会議には参加させない。しかし内輪の集まりには、よく招いて意見を聞いた。狙った国にクーデターやパニックを起こさせるといった重大な影の任務もよく命じた。

「きみらならわかる」と言って、側近のゲッベルスにさえ話さない秘密の見通しや未来の世界を、熱っぽく話すこともあった。2039年の人類についての「ヒトラーの究極予言」も、そうした奇怪な積み重ねの上で、この騎士団だけに話されたものだった。

いつ話されたかは、ヨアヒム・フェスト(ドイツのヒトラー研究の第一人者)によって記録されている。それは1939年1月25日の夜だった。話された場所は、ミュンヘンのナチス本部という説もあるが、ヒトラーは「オーバーザルツベルクの山荘」を霊感の場としていたので、雪に閉ざされた山荘で話された、という説を私(五島)は採りたい。

 
ヨアヒム・フェスト

ところで、「ヒトラーの究極予言」を聞いたとき、冷酷と高知能を誇る「ニーベルンゲン復讐騎士団」の将校たちも、さすがにショックでざわめいたという。

騎士団の1人ヨハンネス・シュミット少佐=のちに西ドイツの実業家=が、あとでそう打ち明けたのを、米国籍の予言研究家スタッカート氏が研究者仲間の会合で知り、私に教えてくれた。

この件だけでなく、氏からはヒトラー予言について多くの情報をもらった。


(以上、『1999年以後』より)


■■■第3章:ヒトラーの予知能力の謎 ─ 「私は“あいつ”に選ばれて取り憑かれたのだ…」


●ヒトラーの予言の力の源泉に関しては、いろいろと議論の分かれるところだと思うが、
ヒトラー自身が予言の秘密について告白している。“あいつ”のおかげだ、と。

ヒトラーのIQは150近くあったことで知られているが、霊感(霊的感受性)も
すごく高かったようである。時々、何かに憑依されていたことを
ヒトラー自身、 実感していたみたいである。
ただし、この“あいつ”が何者だったのかは不明であるが……。


●参考までに……

1914年に始まった第一次世界大戦に、ヒトラーは志願して参戦している。
この第一次世界大戦で、彼は4年間に40回以上の戦闘に参加。
伍長としては異例の「一級鉄十字章」を受章するなど、6回もの表彰を受けた。
(具体的には「一級鉄十字章」 「二級鉄十字章」 「連隊賞状」 「黒色戦傷章」
「剣付き功三級鉄十字章」=2回受章)。これは彼が勇敢な兵士であり、
しかも非常に幸運に恵まれていたことを意味する。

実際、記録に残っているだけでも、彼が危ういところで命拾いしたのは、
4度や5度ではきかない。彼は前線で一番危険な任務である伝令兵を、
いつも自ら買って出ていたのであるが、彼は前線で何度も奇跡的に
命拾いをしたために、同僚の兵士たちから「不死身の男」
評されていたのである。


※ 以下、『1999年以後』の中で、
ヒトラーが“あいつ”について触れている部分を抜粋

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アメリカのピュリッツァー賞作家ジョン・トーランドは、精密なドキュメント『アドルフ・ヒトラー』の中で、ヒトラー自身が、のちにイギリスの通信社特派員ウォード・プライスに語った言葉として次のものを紹介している。

「私はあのとき、戦友たちと夕食を摂っていた。すると突然、ある声が私に、『立って向こうへ行け』と命じた。その声が、あまりに明瞭に同じことを繰り返したので、私は上官の命令を聞くように機械的に従い、20ヤードほど移動した。とたんに、いままでいた場所から衝撃と轟きが押し寄せた。そのときまで私も属していたグループの上に、流れ弾が炸裂して1人残らず死んでしまったのだ」

つまりこれは、ヒトラー自身の判断ではなかった。彼の内部深くから噴き上げた何かの声、または外界か異界のどこからか来た、彼以外の誰にも感知できない妖異な命令だったのだ。

「そうだ、それは“あいつ”の命令だった。あのときから、私には“あいつ”が憑(つ)くようになった。恐ろしいことだ。私は“あいつ”に選ばれて取り憑かれたのだ」
彼はあとで、側近たちにこうも語っている。

それだけでなく、語っている最中、ふいに立ち上がって目を剥き、「“あいつ”だ、“あいつ”が来た。また私に未来を教えに来たのだ。そこにいる、そこだ!」 あらぬ方を指さして絶叫することもあった。

 
(左)ヒトラーの友人が描いた青年時代のヒトラーの肖像画
(右)第一次世界大戦の時のヒトラー(中央の人物)

第一次世界大戦の戦場での、生死ぎりぎりの衝撃が、ヒトラーの深層意識に火をつけたのだろうか。とある沼地のほとりでハッと気付いたとき、ヒトラーは自分がそれまでとまるで違う人間に変わってしまったのを感じたという。

彼は思い出話として、第一側近のゲッベルスにこう語っていた。

異常変化だった。それから起こることが全部わかるように感じた。実際わかった。人類の未来が、全て私の前にありありと見えだした。『そうだ、その通りになる。おまえにはわかる。おまえはその力を持った』と、“あいつ”も耳もとでささやいてくれた」

しかも第一次世界大戦が終わっても、“あいつ”はヒトラーから離れなかった。

「ついには、私の体の中にほとんど棲みつくように」なった。

そして様々な未来をささやき、単なる予知以上のことまで告げ始めたという。

「アドルフ、おまえは選ばれた。試練にも耐えた。おまえはドイツ民族を率いてヨーロッパを制覇する。新しい世界を打ち立てる。それがおまえの使命だ……。

おまえがそれをやらなければ、今世紀後半も21世紀も、ユダヤ地球を支配することになる。金も食糧も兵器もユダヤが支配する。世界はユダヤとその代理人どものものになる。だからユダヤを倒せ。打ち倒せ……。

そのためにも、まず政権を握れ。片足の不自由な変な小男が見つかる。その男は天才で、おまえの最大の協力者になる。その男を充分に活用すれぱ、おまえが45歳になるまでに政権が手に入る。50歳で世界征服の戦争が始められる……。

それを忘れるな。おまえは25歳で選ばれて能力を得た。そして生まれてから50年目、おまえは世界征服の大戦を起こすのだ。

さらに生まれてから100年目150年目──つまり1989年、2039年──もうおまえはいないにしても、そのとき人類は、新しい次の段階を迎える。それが何かも、いずれおまえだけに教えよう……」


(以上、『1999年以後』より)


◆ ◆ ◆

※ 補足説明

●ここで語られている「片足の不自由な変な小男」とは、いわずと知れたプロパガンダの天才ヨーゼフ・ゲッベルス(のちのナチス宣伝相)のことである。彼は少年時代に骨髄炎にかかり、左足は右足よりも8センチ短かった。

ヒトラーとゲッベルスが最初に対面したとき、 ヒトラーは既にナチ党の党首であり、ゲッベルスのほうは組織の末端にいる専従職員でしかなかった。それなのに、ヒトラーはゲッベルスをまるで旧友のように厚遇したという。
 
この当時のゲッベルスの日記を見ると面白い。例えば1925年10月14日には、「この人(ヒトラー)は何者なのか。人か? 神か? キリストか? ヨハネか?」と書いている。結局、彼はヒトラーの最期までヒトラーの忠実な片腕であり続けた。ヒムラーやゲーリングのように、決して裏切るようなことはしなかった。

※ 「輪廻転生」を信じていたゲッベルスは、のちに、「ヒトラーがこれまで生まれ変わるごとに、自分も一緒に再生していた」と述べている。

 
(左)第三帝国を演出したプロパガンダの天才
ヨーゼフ・ゲッベルス(文学博士) (右)妻のマグダ

1945年4月30日、ゲッベルスは
ヒトラーの遺言によって首相に任命されたが、
5月1日、マグダ夫人は5人の娘と1人の息子に
自ら毒を飲ませて殺害。その直後に夫と共に
拳銃自殺し、夫婦でナチ党に殉じた。


■■■第4章:「ヒトラーの山荘予言」


●ヒトラーの予言は、第1章で紹介した2039年に関する「究極予言」の他に、
少なくとも、南ドイツのオーバーザルツベルクの山荘で語られた「ヒトラーの山荘予言」
首都ベルリンの地下官邸で語られた「指名予言」、そして大戦末期にラジオで語られた
(ドイツ国民にあてた)「ヒトラー最後のメッセージ」3種類があるという。

【1】「ヒトラーの山荘予言」

【2】地下官邸で語られた「指名予言」

【3】ドイツ国民にあてた「ヒトラー最後のメッセージ」


●これらの「予言」に関する部分を『1999年以後』から抜粋して、順番に紹介したいと思う。

まずは「ヒトラーの山荘予言」である。

 
(左)アドルフ・ヒトラー (右)ベルヒテスガーデンのヒトラーの山荘

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「もっと霊感の湧く場所が必要だ。私の望む場所はあそこだ」

ヒトラーはそう言って、南ドイツの名勝の地ベルヒテスガーデンに、不思議な山荘を作るよう命じた。

それが「オーバーザルツベルクの山荘」である。彼の奇怪な予感から生まれたミステリーゾーンだ。今はほとんど破壊され、観光用の防空壕ぐらいしか残っていないが、そこは本来、賢い悪魔が見通したような21世紀型の地下都市だった。

「そういう地下都市に、やがて人間は住むようになる。いや、そういう場所にしか住めなくなるだろう。

それほどの毒物毒光がいずれ人類に、少なくとも人類の一部に降りかかる。各文明国はそれを避けて、地下に商店や会社や住居をつくる。ここはそのためのプロトタイプなのだ」

ヒトラーはこんな不気味なことをつぶやいて、1932年春、権力を握りだすとともに、前からあったログハウスの別荘に加えて、不可解な洞窟式の巨大山荘を作らせはじめたのだ。そこには、完成時には「いずれ将来、見えない毒気が侵入するから」という彼の指示で、空中のどんな有毒物も通さないナチス技術の粋のような浄化装置がつけられた。

「食物も将来は汚染されるから」という指示で、ドイツ科学が生みだした、100年も保つカンヅメ類がたくわえられた。また、そこから伸びる地下通路とインターフォンが、現在と同じ性能の短機関銃を持つ護衛兵に守られて、他のナチス幹部の山荘と何重にも連結された。

「このように、最高の頭脳がシステム化して結合する。それが未来の支配の形だ。ひとつの意志がここから全国民を動かすのだ。それが人間の頭脳であろうと、頭脳のような機械であろうと、やることは同じだ……」

まるで現在のコンピュータ中枢を見ているように、ヒトラーは妖しい目付きで言った。

そして希望通りの山荘が少しずつ出来上がってくると、一層インスピレーションをかき立てられたらしく、作業現場を見回りながら、とうとうと未来についてしゃべった。それらをひっくるめて「ヒトラーの山荘予言」と呼ぶ。

一部しか伝わっていないが、その中には、こんなものすごいものがある。

■■ロケットかミサイルの出現を見通した予言


近い将来、男の性器そっくりの兵器ができるだろう。私(ヒトラー)の勃起した男根を、何百倍にも大型化して小さな翼をつけたようなものだ。

それが将来の戦争と世界を支配する。さしあたっては、それが飛んで行ってイギリスを焼き尽くす。いずれはペルシャ湾にもインド洋でも飛ぶだろう。愉快なことだ。私の勃起した男根が地球を燃やすことになるのだからな


これはもちろん、ロケットかミサイルの出現を見通した予言と受け取っていい。またそうとしか考えられない。

その証拠に、ヒトラーはそれを予言しただけでなく、側近の前でその簡単なスケッチを描いてみせた。美術学校には落第したが、彼はもともとイラストレーター志望で、絵はお手のものだった。そしてこのスケッチにもとづいて、「ぺーネミュンデ研究所」(ナチスの秘密兵器研究所)の科学者たちが作り上げたのが、有名なV1号やV2号ロケットだった。

そういう「男根型兵器」が、将来、ペルシャ湾ばかりかインド洋でも使われる、と見通されているのが不気味である。あとで触れるが、この予言は、現在の私たちに突きつけられたヒトラーの痛烈な皮肉でもある。

 
ナチス・ドイツが開発したV2ロケット(別名「A4」)

敗戦までに約6000発が生産され、3000発以上が実戦で発射された


■■コンピュータやロボットの出現の予言


私はまた、機械全体の未来もわかる。男根兵器がひとつの例だが、未来の機械はすべて生物か生物の部分と酷似してくるのだ。人間も含めた生物の部分の機能を、機械が代わって果たすようになる。単純な労働はそういう機械がやるようになる。

人間の脳そっくりの機能を持つ機械も現われて、人間のほうがその機械にものを訊ねるようになるだろう


明らかにコンピュータやロボットの出現の予言。やはりヒトラーのヒントで「ぺーネミュンデ研究所」が開発にはげみ、第二次世界大戦の末期、ナチスは初期のコンピュータとロボット兵器のテストにも成功していたようだ。

こんなふうに、ただ未来を見通して予言するだけでなく、そのひな型を命令で実際に作らせてみる。つまり強大な権力によって未来の一部を実現してしまう。ここに魔性の予言者+独裁者としての、他に類のないヒトラーの特徴があった。

 
「ZUSE Z3」(右)は、1941年にドイツでコンラート・ツーゼによって開発
された計算機である。自由にプログラム可能で完全に自動化された
機械であり、コンピュータの定義に適合する属性を備えていた。
(世界初の「プログラム制御式コンピュータ」であった)。

「ヘンシェル航空機会社」から理解を得たツーゼは、自分の
会社を設立し、「Z3」の改良機「Z4」をはじめ、航空機の
設計専用計算機を開発。戦後は、世界初の本格的な
プログラム言語「プランカルキュール」を開発した。


■■「国民車(フォルクスワーゲン)」と「アウトバーン」出現の予言


そしてカブト虫。やがて赤や青や黒や白の、輝くカブト虫が動脈の上を走るようになる。

世界中が、我々のカブト虫白い動脈でいっぱいになる日が来る


1933年に自動車設計のベテラン、ポルシェ博士に語られた、狂ったような言葉だが、「機械が生物と酷似するようになる」という先の予言を知っていれば、これは容易に解ける。

つまりヒトラーはこのとき、どんな形にするか未定だった「国民車(フォルクスワーゲン)」と、まだ設計の段階だった「アウトバーン」(制限時速のない世界最初の高速道路)のことを見通していたのだった。

「アウトバーン」はまもなく作られはじめ、たしかに“白い動脈”の名にふさわしい威容をそなえた。反面、「フォルクスワーゲン」の開発は、まもなく第二次世界大戦が激しくなったため、中断してしまった。だが戦後、すぐに再開され、“敗戦国・西ドイツの奇跡”と驚かれながら、その優れた性能と先進的な大量生産の技術で、世界市場に長いあいだ君臨した。

そして、そのボディ・デザインは、ヒトラーが見通した通りのカブト虫(ビートル)型だった。


(中上)「アウトバーン」開通式(ベンツによるテープカットの瞬間=1935年)
(左)大量生産のためのフォルクスワーゲン工場の起工式の様子(1938年)
(右下)開通したばかりの「アウトバーン」を試走するフォルクスワーゲン
(右上)戦後世界中で販売され驚異的な人気を誇ったVWビートル


■■宇宙旅行・月探検を予言


そのあと、から戻って来る者もいる。しかし戻って来ても、その者は、ここがそれ以前のドイツかどうか気づかない


これは、西ドイツの有名なヒトラー研究家ヨアヒム・フェストが記録している言葉である。

ご覧のように、宇宙旅行か月探検を予言した言葉と見ていい。「しかし戻って来ても、その者は、ここがそれ以前のドイツかどうか気づかない」。これは不気味な予知である。

月面か宇宙船の中で何かが起こり、パイロットがそれまでの記憶を失ってしまうのか、それとも、そのとき地上に何かの破局が起こって、ドイツ一帯が焼け野原か砂漠みたいになっているのか。もし後者なら、これはこれまでの米国の月ロケットの予言ではない。

もっと将来の、おそらくヨーロッパ諸国が打ち上げる宇宙船=アリアン?などのことを言ったのだと思われる。

■■同盟国日本の参戦に関する予言


もっと差し迫った現実の見通しも言おう。我々ナチスはまもなく第二次世界大戦に突入する。世界を相手に戦う。しかし我々に味方する国も現われる。それは日本だ。

日本の戦力は諸君が思っているよりずっと強い。日本は太平洋とアジアから、アメリカとイギリスの勢力を追い払う。見ていたまえ。『カリフォルニア』『ネバダ』『ウエールズの王子』も、日本の火薬で地獄へ吹っ飛ぶぞ!


これは予言というより、ヒトラーの作戦計画の一部だったと受け取ってもいい。彼は1937年ごろから、当時の日本の才気にあふれる外交官・松岡外相や大島大使と、第二次世界大戦の日独共同作戦を何度も打ち合わせていたからだ。

そのため、上の言葉を聞いたヒトラーの側近たちは、勇気づけられはしたが、既定のプランと考えて別に驚きもしなかった。「カリフォルニアもネバダもウエールズの王子も、日本の火薬で地獄へ吹っ飛ぶぞ」。

これもアメリカ西海岸の地名やイギリスの王族の称号を引用して、ヒトラーが米英を罵ったのだと受け取った。

ところが、実際に第二次世界大戦が始まって、日本が加わったとき、日本軍はまずハワイの真珠湾を襲い、戦艦「カリフォルニア」「ネバダ」以下、多くのアメリカ軍艦を沈めた。

またマレー半島の沖で、当時、イギリスが世界最強を誇っていた巨大戦艦「プリンス・オブ・ウエールズ」(ウエールズの王子)も、僚艦「レパルス」とともに日本軍の飛行機に沈められたのだった。

(つまり、ヒトラーが予言の中で口にした名前は「戦艦の名前」だったのだ!)

 
1941年12月10日、イギリス海軍の誇る最新鋭の
戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」が、
日本軍の陸攻隊の攻撃を受けて沈没した。「マレー沖海戦」と呼ばれる
この戦いは、航行中の戦艦を飛行機だけで沈めたという、世界初の出来事
であった。「航空機優位」の時代が到来したことを日本は緒戦で世界に
示したのである。これにより「イギリス東洋艦隊」は壊滅した。


■■原子爆弾に関する予言


しかしその報復として、米英を背後で操るユダヤが、日本を絶滅させる恐れがある。ユダヤの天才的な科学者たちが、炎の絶滅兵器を開発するからだ。

彼らはそれをアメリカ軍に与え、日本に対して使わせる。日本の都市3つがこれで火星のような廃嘘になる。そうさせる最初の契機に、イギリスが深いかかわりを持つ。

また決定段階ではユダヤの『真実の男』が、より深いかかわりを持つようになるだろう


読んで字の通り「原爆」の予言だと思われる。

原爆は1938年ごろ、イギリスにいたユダヤの原子物理学者レオ・シラードが思いつき、先輩のアインシュタインに知らせた。アインシュタインは当時のユダヤ系のアメリカ大統領ルーズベルトに知らせ、ルーズベルトはオッペンハイマー博士などユダヤ系の天才科学者たちを動員して、1944年に最初の数発を完成させた。

しかも、それを実際に命令して広島・長崎に投下させたのは、ルーズベルトの後任者で、やはりユダヤ系のアメリカ大統領トルーマン(→Truman)だった。

「真実の男(→true man)」というつづりと、ひとつしか違わない。

と見てくると、上の予言のうち、外れたのは「日本の3つの都市がその兵器で廃嘘になる」というところだけ。しかし、これもアメリカ軍の作戦では、広島・長崎の次に東京か仙台か松本、さらには京都などが目標に挙げられていたという説もあり、本当は「3つ」になるところだったのかもしれない。

魔性的な予知能力者による予言と実際との関係──それを避けることはできないが、いくらか方向を変えたり、選択の幅をひろげることは受け手の意思でできる。このことが、これでも少し裏づけられるだろう。


日本に原爆を投下した
トルーマン大統領

それにしても、これほど明確にヒトラーが原爆を予知していたのなら、彼は、それを同盟国日本に知らせてくれたのか? ──知らせてくれた。3年ほど前にNHKが放映した衝撃的なドキュメント、『ベラスコの証言』が、間接的にだが、それを語っている。

第二次世界大戦中、日独側に立って働いたベラスコという有能なスペイン人のスパイが、当時ナチスから受けた情報として、また自分でも調べて、『巨大な絶滅兵器をアメリカ軍が日本に落とそうとしている』と暗号無線で日本に知らせた。

が、精神主義と官僚主義でコリ固まっていた日本の政・軍の上層部はそれを無視し、広島・長崎の破滅が起こってしまったというのだ。


親日家であり、またヒトラーから
厚い信頼を得ていたベラスコ

これも含めて、この原爆予言はバラバラの資料を集めて構成したもので、まとまった形では残っていない。しかし、ヒトラーは驚くべきことに、以上の予告篇ともいえる鋭い予知を、若い頃の『我が闘争』下巻の中に(角川文庫374ページ)、既にはっきり書いている。

「ユダヤは日本に対して絶滅戦を準備するだろう、英国がそれにかかわるだろうと。

さすがに、それを命ずるのが「真実の男だ」とまでは、その時点では記していないが……。

 
(左)広島に投下されたウラン型原爆 「リトル・ボーイ」
(右)長崎に投下されたプルトニウム型原爆 「ファット・マン」


■■ソ連とゴルバチョン書記長に関する予言


それでも、我々ナチスは日本と協力して、ソ連とも戦う。それが第二次世界大戦の最大の山の1つになり、我々はおそらく勝てるはずだ。だが、もしソ連とアメリカが──相反するはずの民主主義と共産主義が手を組んだら、我々が敗れる恐れもある。そのときはソ連とアメリカが、激しく競り合いながら、その後の世界の覇権を分け合うことになろう。

そうなれば、それにふさわしい強力な指導者をソ連は持つようになる。それは、レーニンより強く、スターリンより賢明な指導者だ。彼は共産主義と民主主義を結合し、マルスの座から世界を支配するだろう。

彼は額に『赤いしるし』を持つ男だ


すくみ上がるような予言である。しかし当時のヒトラー側近たちは、これを対ソ戦への戒め以上のものとは思わなかった。最後の行の「赤いしるし」も、「共産主義のシンボルということだな」ぐらいにしか理解できなかった。

だが、ご存じのとおり、現在(1988年)のソ連のゴルバチョフ書記長のおでこには、まさにこの予言通りの「赤いしるし」がちゃんとついているのだ。ヒトラーがそれを見通していたのなら、「その男が共産主義と民主主義を結合して世界を支配する」も、強い意味で迫ってくる。

 
ソ連の最高指導者ミハイル・ゴルバチョフ書記長

おでこに赤いアザがある


■■その他の「ヒトラーの山荘予言」


ほかにも、いくつかの「ヒトラーの山荘予言」がある。第二次世界大戦の勝利と敗北を、的確に見通したものが多い。

わがナチスは、一兵たりとも損わずにマジノ線を突破し、パリを占領する

マジノ線は、フランスの誇った強大な要塞線だったが、ナチス軍はヒトラーの霊感命令で、とても渡れないはずの湿地帯を迂回してパリに突入した。



これとは別に、当面の戦争を離れて、その後の人類の運命というか、人間の行く末を見通した恐ろしい言葉が、ときどき不意にヒトラーの口から洩れた。

たとえ戦争も災害もなくても、人間は21世紀空気と水と食物の汚染だけで衰えていく。いや、その前に、肉食とアルコールとタバコでも衰える。だから私は肉も食べないし、酒もタバコもやらない(これは事実そうだった)。こうすれば、汚染で破滅する者よりは保つのだ

また人間はそのうち、外科手術で内臓をスゲ換えて、他人の心臓やブタの腎臓やサルの肝臓をつけてまでも生き延びるようになる。最後は特別な光線の手術機械を使って、脳ミソまで他人のと入れ換える。つまり、すっかり別人になってしまうのだ……


(以上、『1999年以後』より)


■■■第5章:「東方が巨大な実験の場になる」 ─ 「永遠の未成年者集団」の出現


●さらにヒトラーの予言は不気味さを増していく。

ここで出てくる「東方」とは、「日本」のことを意味しているのだろうか?

以下、抜粋。

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未来の社会はどんな様相を見せるだろうか。同志諸君、申し上げよう。

まず闘争によって選りぬかれた貴族階級が現われる。新しい中産階級、無知な大衆、新しい奴隷、仕えるものの集団、『永遠の未成年者集団』があろう。そしてこれらすべての上に、さらに新しい貴族がある。特別の指導的人物である。

このように、支配をめぐる闘争によって、国の内外に新しい身分が成立する。しかも東方が巨大な実験の場になる……そこに新しいヨーロッパの社会秩序が生まれるのだ」(ラウシュニングに語った言葉)


この正確な意味はラウシュニングにはわからなかった。彼とともに聞いていた他のナチ幹部たちも、貴族とか、新しい奴隷とか、東方とか未成年者とか……わかったようで、本当の意味はつかめなかった。

 
(左)ヘルマン・ラウシュニング(元ナチ党員)
(右)彼の著書『ニヒリズム革命』(学芸書林)

彼は1934年末まで自由都市ダンツィヒの
最高の行政担当者として、ナチスの東方政策に
関わった。その後「反ヒトラー」に転じ、国外に亡命。
1938年に、ナチズム批判の古典といわれる
『ニヒリズム革命』を出版した。

で、数日後、やはり総統ブレーンの1人だったハンス・フランクが、ヒトラーみずから上の予言を解説してくれるように、おそるおそる頼んでみた。

このハンス・フランクというのは、ヒトラーの若いころからの弁護士で、信任が篤く、東ヨーロッパの占領地域の管理を任されたほどの腕ききのナチス幹部である。そのせいか、ヒトラーはうるさがらず、機嫌よく求めに応じて答えた。だんだん明らかになっていく彼の魔性の予知の、何合目かまでの真実を。


ポーランド総督ハンス・フランク

「よろしい、では解説してやろうハンス。私が言った未来に現われる『永遠の未成年者集団』というのは、もちろん、死ぬまで大人になりきれない人間たち、ということだ。

そんなことは、厳しい正常な社会ではありえない。だからそうなる背景には、甘やかされた異常な社会が当然ある。その中で、同じように大人になりきれない親に、愛玩動物のように育てられるため、子どもも成人しても真の大人になれないのだ」


「しかしハンス、じつはそれだけじゃない。私が本当に言いたかったのは、そのことではない。

未来社会には、そういう『永遠の未成年者集団』が現われる一方で、幼いときから大人の思考と感情を持った人間たちも現われるのだ。信じられないだろうが、彼らは胎児のときからさえ、そのように教育される。5つか6つで一人前の理屈と判断力を備え、13、4歳にもなれば、並の大人を指揮するほどの力を持つようになる。

つまり両極端ということだ。肉体が大人で感情が幼児のようなグループと、肉体はまだ青春期にまでいかないのに、思考と感情が大人を超えるグループ……」


「しかもハンス、それは人間の発育状況だけじゃないのだ。人類と社会のあらゆることが、未来には、そのように両極端に分かれてしまうのだ。

たとえばカネだ。一方には腐るほど大量のカネを持ち、広く高価な土地を持ち、労せずして限りなく肥っていく階級が現われる。貴族とか新しい中産階級とか言ったのはその意味だ。

だが少数の彼らが現われる一方、他方の極には、何をどうやっても絶対に浮かび上がれない連中も現われるのだ。

それはカネだけの問題でもない。より正確にいえば、精神の問題だ。

限りなく心が豊かになっていく精神の貴族、精神の新しい中産階級が現われる半面、支配者が笑えと言えば笑い、戦えといえば戦う『無知の大衆』『新しい奴隷』も増えていくのだ」


人間だけではない。国もそうだ。恐ろしく豊かな、労せずして肥っていく国が現われる。他方、何百年かかっても絶対に払いきれないほどの借金をかかえ、水一杯すら容易に飲めない国も現われる。

気候もそうだ。とほうもない旱魃(かんばつ)や熱波におそわれる国と、寒波や洪水におそわれる国が出る。災害におそわれつづける地域と、楽園のような地域、人っ子一人いなくなる荒地と、無数の人間が鼻をくっつけ合って生きる都会とに分かれる。

愛もそうだ。特定の男女にだけ、愛と肉体の快楽が集中する。一方、一生に一度の真の愛も快楽も得られない男女も増える。要するに、土地や金や支配力を得る者は、ますますそれを得、支配される者はますます支配されるだけになる。そうだハンス、それが未来なのだ。私の見た未来だ。未来はそうなるのだ……」


「それは1989年だ。そのころ実験は完成する。人間は完全に2つに分かれる。そこから引き返せなくなる。そうだハンス、その完成とさらに新しいアプライゼ(スタート)の時期が1989年4月に来るのだ」

■■「連合軍法務最高機密A」に指定されたハンス・フランクの証言


このヒトラーの呪わしい予言は、まとまった形ではどこにも残っていない。ハンス・フランク以外にも、数人のナチス高官がこの予言を聞いてメモを取ったといわれるが、残念ながらそれも伝わっていない。

ただ、それから約10年後、つまりナチスが第二次世界大戦に敗れ、ヒトラーも愛人と自殺してしまったあと、ハンス・フランクはヒトラーと親しかった大物の戦犯として、ニュルンベルクの国際軍事法廷(米・ソ・英・仏がナチスを裁いた裁判)へ引き出された。
 
そして、「親友のおまえならヒトラー最大の秘密を知ってるだろう」と、検察側に激しく追及され、ついにしゃべってしまったのだ。独裁者ヒトラーが、じつは魔性の大予言者だったこと。また彼が見通した大戦の的確な経過、あと21世紀半ばからその先にまで至る恐るべき予知の数々を。

 
連合軍による「ニュルンベルク裁判」の様子(1945年11月)

この国際軍事裁判はナチスの党大会の開催地だったニュルンベルクで開かれた。
史上初の「戦争犯罪」に対する裁判で、12名のナチス高官に死刑判決が下された。

「ほんとうか、確かか。いや、原爆もノルマンディーもマジノ線も、確かに当たっている。とすればこれからも当たる確率が大きい。危険な証言だな。外へはとても出せない」

裁判長はじめ数人の軍人判事はそう判断し、非公開法廷だったのを幸いに、その場にいた全員にきびしく口止めした。同時にハンス・フランク証言の全体を、「連合軍法務最高機密A」に指定した(その後、ハンス・フランクは処刑された)。

だからそれは、いまぺンタゴンやクレムリンの「大戦資料室金庫」の奥深くに保存されているはずなのだ(ということは、その後、現在までの米・ソ・英・仏・イスラエル各国首脳が、おそらくそれを読んでヒトラー予言の究極を知っていることを意味する。それを知って参考にしてきたか、無視してきたか、決定的な指針にしているかは知らないが、どっちにしろ、この事実は、日本が未来の重大なキーの1つを持っていない、という恐ろしいことをも意味するだろう)。

だが幸いというべきか、そのごく一部はその後洩れた。厳しく禁じられれば、逆に洩らしたくなるのが人情で、もと法廷タイピストや法廷通訳といった人たちが、ハンス・フランク証言の一部を思い出して友人などにささやいたのだ。それを欧米のヒトラー研究家たちが聞き出し、著書の注などに小さく書いたり、ラジオでしゃべったりした。

その内容が長い間かかって、私(五島)のような異国の予言研究者のところへも少しずつ流れてきた。そうした断片をつなぎ合わせ、すでに発表されている他のヒトラー資料で裏を取り、なんとか再現してみたのが上の重大予言というわけなのだ。だから中身は不完全だし、話の順序も違っているだろう。また実際には、ヒトラーもハンス・フランクも、もっと重大なことを色々しゃべったに違いない。

しかし上の予言だけでも、それはいままでになかった次元の、魔界の男が見たにふさわしい未来である。

そこにはいままでの大予言ふうの、戦争や地震や恐慌がいつ起こるかといった、単なる“現象”の見通しはもうないのだ。代わりに、それを一次元または数次元超えて、人間存在そのものの行く末にまで踏み込む、妖しくも深い予知がある。

「人間はこれからどんな人間になるのか」、「人類自体はこれからどう変貌していくか」。

この根源的な見通しが──まだ究極は明かされていないものの──はっきり打ち出されてきているのである。


(以上、『1999年以後』より)


■■■第6章:地下官邸でのヒトラーの「指名予言」


●次は、オーバーザルツベルクの山荘を離れて、
首都ベルリンの地下官邸で語られたヒトラーの「指名予言」である。

以下、抜粋。

————————————————————



ヒトラーはしばらく予言を口にしなくなる。
そんな悠長な状態ではなくなったからだという。


ハンス・フランクと対話した1年後の1939年8月31日、雨の降り続く冷夏の深夜、ヒトラーは突然飛び起きて

「今だ! 私は命じられた! 進め! ポーランドヘ!」

と甲高い声で叫び、全軍にポーランドへの侵攻を指令した。


ドイツ軍によるポーランド侵攻(1939年)

これで第二次世界大戦の幕が切って落とされた。

あとは北欧やオランダヘの急侵攻、宿敵フランスとの短期決戦、英国へのV1号V2号攻撃、米ソ両大国の参戦、さらに日本の真珠湾攻撃と、わずか1年ほどのあいだに、世界は血と硝煙の中で、ただ目まぐるしく動いた。しかもそれは、マジノ線突破から真珠湾奇襲、ノルマンディー上陸まで、ヒトラーが山荘で予言したのとほとんど違わない展開をみせ、あらためて側近たちを震え上がらせた。

だが当人は、それを自慢している暇もなかった。強力な独裁者であることが裏目に出て、いっさいの指揮の責任が一身に集まり、彼は毎日、声を枯らして部下たちに作戦を命令し続けねばならなかった。

「今日はV2号を50基出せ!」、「ノルマンディーに戦車200台だ!」、「米軍のど真ん中にカルル砲(天才カルル博士が作った口径55センチの巨砲)をぶっ放せ!」、「ロンメル(北アフリカ戦線のドイツ軍の名将)にプラチナ十字章をやっておけ、しかし奴から目を離すな」……。

これでは遠い未来を瞑想するなど思いもよらない。しかもインスピレーションの源泉ももう絶たれていた。ヒトラーは開戦と同時にオーバーザルツベルクの山荘を離れ、総指揮のため、ベルリンの総統大本営に移ってきていたからだ。

 
ベルリンの総統大本営として使用された「総統官邸」

この総統官邸の「地下壕」は大規模な設備を有していた
防空施設で、ベルリンで一番安全な場所であると言っても
過言ではなかった。長期戦に備えて食料貯蔵庫や
電話交換室、配電室、毒ガス攻撃に対応する
ための空調室も兼ね備えていた。

そこには、彼の心深く何かをふき込んだ、雪に輝くドイツアルプスの姿はなかった。洞窟の奥の未来都市もなかった。形ばかり大げさに飾りつけた広い会議室と、ごっつい将軍たちの顔があるだけだった。開戦後、勝利が続いているうちはそれでもよかったが、米ソが参戦し、ナチスが東西から押されぎみになってくると、ヒトラーは歯を剥き出して将軍たちに当たった。

「ハゲタカが泣いたみたいな顔しやがって、出て失せろ!」

彼はしばしばどなった。

「こんな陰気な宮殿の中できさまらの顔ばかり見てると、霊感もしぼむ。きさまらと会議するたびに、私は退化して猿に戻っていくような気がする。私がもし猿並みの人間になったら、それはきさまらのせいだぞ!」

しかし、まもなく奇妙な変化が起こった。

きっかけは皮肉にも、ナチスの旗色がいっそう悪くなり、米軍機の爆撃が激化したことからだった。ベルリンの街は、家々の外側のコンクリートだけ残して、墓場の廃嘘のようになった。かろうじて生き残った市民は、防空壕や地下鉄の構内でただおびえていた。ヒトラーの総統大本営も、地上の部分はガレキの山になり、地下深くもぐらねばならなくなった。これが不思議なことに、ヒトラーの予知力にふたたび火をつけたのだった。

「私は負けたモグラじゃないぞ」、そう怒りながら、いやいや地下の私室に入った彼は、翌日、目をギラギラさせて側近たちの前へ出てきた。

「ここは山荘の洞窟に似とる。おかげでひらめきが戻った」

彼は地の底からひびくような声で言った。

「しばらく会えなかった“あいつ”ともまた会えた。“あいつ”が未来を見させてくれた。前よりもいっそう鮮明にだ。聞け諸君、これは私の未来というより諸君の未来だ!」


そして彼は、毎日の作戦会議の前後、時には途中でも立ち上がって私室に側近たちを呼びつけ、新しい霊感に照らされた未来を、しわがれた声でしゃべった。それは先の山荘予言とは、はっきり異質のもので、側近たちを名指しで呼んでは予言する薄気味悪いものだった。だからこれを、「地下官邸でのヒトラーの指名予言」と呼ぶ研究者もいる。

といっても、ナチスの敗色が濃くなってきた混乱期に語られたため、資料は山荘予言よりさらに少ない。側近たちが聞いて、あとで友人や戦犯裁判の検事に話したり、手記に書いたり……それを欧米の研究者が1、2行ずつまとめたものしか残っていない。それでも、それらをつないで並べると、こんな怨念のこもったような「指名予言」の数々があぶり出されてくる。

※ ヒトラー率いるナチス・ドイツ軍は1939年9月1日午前5時、ポーランドに侵入して第二次世界大戦を起こしたが、実は、その前夜に、ヒトラーは側近にこう語っていたという。

「明日は輝ける魔の日だ。自分だけに許された“定めの日”だ。将来、この日、この時刻にまた大戦を起こそうとする者が東アジアに現れるだろうが、自分以外の誰もこの日を所有できない……」


■■ゲーリングとヒムラーへ……きみらは私を裏切るぞ


やあヘルマン、やあハインリッヒ。ここの地下生活はどうかね。私は不愉快を通り越して快適だ。頭が前より冴えてきた。きみらのことも、前よりよくわかるようになった。きみらとゲッベルス博士(宣伝の天才は文学博士でもあった)は、わがナチスの最高幹部だ。私の忠実な友人だ。

しかしきみら2人は、私にははっきり見えているが、私の最後の日の7日前に、共謀して私を裏切るぞ──。きみらはアメリカ人と気が合うからな!


これは1944年12月ごろ、地下本営の昼食会で、ヒトラーがヘルマン・ゲーリングハインリッヒ・ヒムラーに突然語った言葉だ。

ゲーリングはナチスの空軍大臣で、ヒトラー側近のナンバー2。ヒムラーは親衛隊と秘密警察の総司令で、側近ナンバー3。ともに第二次世界大戦の実質上の推進者であり、ヒトラーの献身的な部下だった。

にもかかわらず、2人は1945年4月23日、ヒトラーが自殺する敗戦の7日前、自分たちだけでも助かろうとして、ヒトラー抜きでアメリカに極秘の和平交渉を申し入れた。「我々を逃がしてくれるなら、総統を捕えて米軍に引き渡す」という条件つきで。

これをヒトラーはその半年前に見抜き、上のような言葉で警告したのだった。しかし、そのときはゲーリングもヒムラーも、まだナチスの勝利を確信しており、ヒトラーを裏切るようになるとは全く意識していなかった。

逆に言えば、まだ形になっていない半年後の深層無意識を言い当てられたことになる。それだけに2人は真っ青になり、虐殺者ヒムラーも食物をのどに詰まらせ、豪快なゲーリングの2メートル近い巨体も、15分ほど震え続けたという。

 
(左)ヘルマン・ゲーリング (右)ハインリッヒ・ヒムラー


■■侍医のモレル博士へ……ここには「長い壁」ができる


モレル、きみは軍人じゃないから、なんでも話せる。軍人に話せば気力を失くすようなことでもね。……なあモレル、私の予知では、ナチスはまもなく負けるよ。負けて何もかもなくなって、ここらへんは美しい芝生になる。

しかし誰も遊びにも見物にも来ない。この近くには『長い壁』ができて、ドイツを真っ二つに裂く。そこへは今世紀の終わりまで、世界中から見物人が来るが、ここへは来ない。芝生の隅には小さな看板が立って……そう、『ここにナチスの本拠があった』と書かれるようになるだろうよ


1944年12月ごろ、米軍機の爆撃の合い間に地上へ出たとき、ヒトラーがモレル博士に言った言葉。

モレルは天才的な医者で、ヒトラーが激しいストレスや胃腸障害や不眠症で苦しんだ敗戦直前の時期、独特の治療でぎりぎりの健康を支えた。それでヒトラーのあつい信頼を得、こうした話も聞かされたのだと思う。モレル博士自身、あとで手記にそう書いている。

そして戦後、総統大本営の跡は、まさにその通りになってしまった。近くには、ソ連が作った東西ドイツを分断する「ベルリンの壁」

そこからやや東ドイツ寄りの場所に、この“予言の芝生”があるが、訪れる人はほとんどいない。「ここにナチスの本拠があった」と刻まれた小さな石碑が、隅に立っているだけ。だから、この予言で当たらなかったのは、ここに“看板”が立つとヒトラーは言ったが、実際には“石碑”が立てられた、ということだけだった。


1961年に東ドイツが建設した「ベルリンの壁」

ヒトラーが生まれてからちょうど100年目の1989年、
東西両ドイツの国民の手によって打ち壊され、世界を驚かせた。
ヒトラーの予言通り1989年を境にして、戦後史は劇的に
転換し、歴史は新たな歯車を回し始めた。


■■愛人エヴァとレニへ……子どもを生まない民族は滅びる


「レニ、こんな時期にこんな所へよく来てくれた。でも、きみはここを去って、二度と戻っては来ないよ。そして、それでいい。きみは長生きして名声を得るだろう。また、死ぬまで映像の美とともにあるだろう。

将来の……今世紀末から来世紀はじめの文明国では、きみのように結婚もせず、子どもも生まず、一生、男以上の働きをする女性が増えるよ。しかし、それは当然、女性の見かけの地位の向上とともに、その民族の衰亡──ひいては人類の破滅につながるワナなんだけどね。

そしてエヴァ、きみもここを去って二度と戻って来ないほうがいい。しかし、きみは戻って来る。それは、きみがエヴァだからだ。それがきみの運命で、私の運命でもある。きみは私との運命の秘儀のために戻って来るのだ


お気に入りの美女たちを集めた地下の新春パーティでの予言。

この1945年1月の新年会が、ヒトラーとナチスにとって、最後の華やかな宴になった。モレル博士らの記憶では、10人ほどの美女が集まり、当時32歳のエヴァ・ブラウンがヒトラーと並んで座った。

エヴァはヒトラーの正式の愛人で、美しいが寂しそうな表情の女性で、このパーティのあと、空襲を避けてオーバーザルツベルク(一説ではミュンヘン)へ疎開した。だが、ヒトラーとベルリンに最後が迫ったとき、予言通り、ためらわずべルリンへ戻って来た。そしてヒトラーと結婚式を挙げたあと、2人で謎の自殺を遂げた。

レニ・リーフェンシュタールは、エヴァ以上にヒトラーに強い影響を与えたとされ、彼の精神的な愛人ともいわれた多才な美女だった。

バレリーナで女優でモデルでシナリオ作家で、34歳のときには、永遠の傑作と謳われたベルリン・オリンピックの記録映画、『美の祭典』の監督もした。その前、ナチスの発展期に民衆の前へ出るときは、いつも純白の長いドレス、背中まで垂れた栗色の髪。神秘的な冷たい笑みをたたえ、大衆をナチスへ惹きつける巫女のような存在でもあった。

戦後は戦犯として裁かれるところを、不可解な強運と米ソへの何らかの取り引きで切り抜け、ヒトラー予言通り映像の仕事を続け、75歳でアフリカの奥地へ入って、秘境に住むヌバ族の写真集を出したりしている。

ある意味で、ヒトラー以上にすごい妖異の女王だった。

 
(左)レニ・リーフェンシュタール (右)エヴァ・ブラウン


■■再びハンス・フランクへ……世界の二極化は進む


「やあハンス、私だ、ヒトラーだ。久しぶりだな。どうだ元気かね? ソ連軍はどこまで来ている? ほう、もうそんなにか。……いや大丈夫だ、まだまだ保つ。救援の戦車とロケット部隊をすぐ出すよ。きみもがんばってくれ。

ところでハンス、いつだったか山荘できみに、『私が生まれた100年後の1989年、人間が2種類に分かれる』と言ったことがあったな。金持ちや土地持ちと新しい貧民、恵まれすぎる国や恵まれすぎる人と、恵まれなさすぎる国や人、地獄の災害地と不気味なほどの楽園、間違いなく何もかも2つの極に分かれる、と。そのあとのことを、あのときは言わなかった。漠然とわかってはいたが、まだ確信がなかったのだ」

「だが、今になって、それがはっきり見えるようになった

あとでみんなにも話すつもりだが、あのとき、きみに話した続きだから、まず、きみに話そう。それは『激化』ということだ。“2つの極”はますます進む。

1989年以後、人間はごく少数の新しいタイプの支配者たちと、非常に多数の、新しいタイプの被支配者とに、ますます分かれていく。一方は、全てを操り、従える者。他方は、知らずしらずのうちに、全てを操られ、従わされる者たち。

しかも進むのはそれだけじゃない。人間がそうなるにしたがって、地球にも宇宙にも大変動が起こるのだ……わかるかハンス? 私が死んだらきみがこれを伝えろ。新しい真のナチスの世界に伝えろ。きみはわからないだろうが、それはもう始まりかけているぞ。ではハンス、ごきげんよう……」


1945年2月末ごろ、ソ連軍に追われて東ヨーロッパから後退中のハンス・フンク(当時ポーランドのナチ長官だった)へ、ヒトラーが話した予言である。

本来は、とても話せるような状況ではなかったが、偶然、地下本営と無線電話が通じ、ハンス・フランクが戦況を報告した。しかしヒトラーはほとんど聞かず、上のような不気味な予言を、一方的にしゃべって切った。ハンス・フランクにとっては、これがヒトラーの肉声を聞いた最後になった。


(以上、『1999年以後』より)


■■■第7章:ドイツ国民にあてた「ヒトラー最後のメッセージ」


●次は、ドイツ国民にあてた「ヒトラー最後のメッセージ」である。

以下、抜粋。

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「地下官邸からの指名予言」の重要部分は、これだけである。

ただ、これらとは別に、不特定のドイツ国民にあてた、ヒトラー最後のメッセージ、つまり最後のラジオ放送の一部が残っている。それは1945年3月20日に放送されたといわれ、3月30日ともいわれ、4月2日ともいわれている。この3日間全部に放送されたという説もある。

いずれにしろ、そのころ西からは、40万人を超える米軍がライン河を渡っていた。東からは、100万のソ連軍がベルリンに迫っていた。爆撃だけでなく、ソ連の戦車砲の砲弾さえ、頻々とベルリン郊外に落ち始めていた時期だった。

いつヒトラーの最終放送があったかの正確な記録など、そんな末期的状況の中で残っているわけがない。放送そのものの内容も、録音盤はのちにソ連軍に持ち去られ、いま残っているのは、側近たちが別に録音しておいたディスクの断片だけだという。そこから起こした欧米の研究家たちの記述をつなぎ合わせると、ヒトラーはほぼ次のように言ったようだ。

3、40分間の放送だったらしいが、残っているのは、次の切れ切れの7、8分間分だけしかない。


「国民諸君、同志諸君、最後まで戦い続ける諸君に敬意を表する。すでに戦況は……私はベルリンと運命をともに……しかしナチスは不滅である……たとえ米ソがいったんは勝つように見えようとも……。

そうなのだ、それは砂の上の勝利だ。彼らは世界の真の支配者ではないからだ。彼らの背後で操る者……ユダヤ……イスラエル……世界的なユダヤ国際資本……。

米ソは……おそらく1990年代ごろまで、対立と妥協を繰り返しつつ、世界を運営しようとする。しかししょせん……ヨーロッパと日本、東アジア、イスラム諸国、インド……いずれ世界は米ソの手に負えなくなる。そのときユダヤはみずから……に乗り出す。

あわれなアラブ4ヶ国……最終戦争。東西が激突するだろう。ユダヤはそれに勝って全世界……なぜならそれが彼らの『旧約聖書』の約束だからだ。黙っておけば必ずそうなる。しかし、私がそうはさせない。そのための手を、私は死ぬ前に打っておく。それが最後の秘儀である。それによって人類はわれわれを受け継ぐことになる。

しかも見よ、そのあと、わがナチスの栄光、ラストバタリオン……。それが真のハーケンクロイツの日だ。カギ十字の日だ。そのときラストバタリオンが現われる。ユダヤを倒す。世界を支配する。永遠に……そしてナチスは甦る。真のヒトラーの時代が来る。必ずだ。

甦ったナチスの軍団とその強力な同盟がそのとき来る。宇宙からの復讐のカタストロフィとともに来るぞ。それからが真の究極だ。真の終わりで真の始まり、真の淘汰、天国の地獄、21世紀のその年に、人類の驚くべき究極の姿……ではそれを明かそう。諸君、それは人類……」


ここで空襲警報のサイレンがけたたましく入った。そのためヒトラー最後の放送も、ここでプツンと途絶えてしまった。

その日が1945年の4月2日だったなら、彼はこのあとなお、4週間ほど生きる。しかしともかく、彼の国民への最後の呼びかけは、こういう重大で狂おしい、しかし不完全な形で終わってしまったのだ。

 
(左)イスラエル(パレスチナ地方)の地図 (右)イスラエルの国旗

ユダヤ人の国イスラエルは、戦後1948年5月に中東に誕生した

第二次世界大戦末期のこのとき、ユダヤ民族は世界中に散らばっていた。ヨーロッパにいたユダヤ人たちはナチスに迫害されていた。そして1948年にユダヤ民族が建てることになるイスラエル国家は、まだ世界のどこにもなかった。

だのにヒトラーは、ラジオ放送の中で、「イスラエル」という国名をちゃんと挙げている。

つまりヒトラーは、ナチスによるユダヤ民族抹殺が成功せず、かえって彼らが建国して世界に隠然たる力を持つようになるのを見抜いていたのだ。しかも建国の場所がどこになるかも読んでいたものと思われる。ということは、イスラエルと、イスラエルに割り込まれる周囲のアラブ・イスラム諸国の間に、血で血を洗う運命が当然待っているだろうことも。


(以上、『1999年以後』より)


■■■第8章:ヒトラーの「超人思想」


●ところで、ヒトラーは「超人思想」の持ち主だったことで知られているが、
この件に関しては、当サイトのファイル「ヒトラーの超人思想の謎」
詳しくまとめてあるので、興味のある方はご覧下さい。


●『1999年以後』の本には、ヒトラーが「超人」(超人類)
について語った言葉として、次のような言葉が書いてある。

参考までに紹介しておきたい。

————————————————————



ヒトラーは近未来の大戦や宇宙カタストロフィ以上の衝撃として、「ユーベルメンシュ(超人)」が出現することを、親しい人々に繰り返し予言していた。ヒトラーの目には、人類が二極分化していく姿がはっきり見えていたらしい。

「1989年、人間が2種類に分かれ」たあとは、その必然の結果として、「超人類が現われる」と確信していたようだ。

そのことを彼は、山荘でも地下本営でも、側近たちに、次のように熱っぽく語っていた。

私は若者たちを育てる。特別な若者たちを選んでユンカー学校へ入れる。彼らは、そこで新しくつくり変えられ、“支配する術”と“どんな敵にも勝つ術”、“死を克服する術”、また“人の心や未来を読む術”を学ぶ。

そうすれば、彼らと彼女たち全員ではないが、その中から新しい世界を支配できる超人が現われてくる。そう……今世紀末にはその結果が見られるはずだ(山荘でラウシュニングヘ)


それは本当は、私が育てるようなものではない。放っておいても、人間はいずれそうなる。大多数の者は支配される感情の中に沈むが、一部の者は超人に変わっていくのだ。私はそれに手を貸して実現を早めるだけだ。そうでないと、他の民族の中からもそれが現われないとも限らないからな(ミュンヘンのナチス本部で、ハンス・フランクヘ)


アドルフ・ヒトラー(中央)と
純血アーリア人の特徴を持つ少年たち

前に、“永遠の未成年者の実験場は東方だ”と言ったが、超人類を生むことについても、東方が実験場になるかもしれない。近未来、天変地異が襲うヨーロッパ各国にも、大戦の舞台になる中東にも、米ソやインドにも同じことが起こるかもしれない。

しかし、なんといってもアーリアだ、われわれゲルマンだ。それが頭ひとつ抜いて超人類を創出する。それが創造されさえすれば、もはや我々に勝てる者はない。

考えてもみたまえ。世界中の猿が連合して人類に立ち向かってきたとしても、近代兵器を持ったほんの数人の人間に勝てまい。同じことが、これまでの人類と今度現われる超人類の間にも起こるのだ(ミュンヘンで、ラウシュニングとフランクヘ)


その証拠を明かそう。じつは私は、すでにその人間を見たことがあるのだ。恐れを知らぬ、目を合わせていられないような、苛烈で新しい人間をね(山荘で、ゲッベルスとラウシュニングヘ)


「天地創造は終わっていない、特に人間については、終わっていない。人類は今、次の階段を昇り、新しい戸口に立っている。新しい種族が輪郭を示しはじめている。それが超人の種族だ。

彼らと彼女たちは出来上がりつつある。完全に自然科学的な突然変異によってだ(ゲッベルス、フランク、ヒムラー、ラウシュニングヘ、山荘で)


そして大破局が起こる。近未来に起こる。しかし救いのイエス・キリストなんか来ない。別の救世主が来る。

そのとき人類を救うのは人類を超えるもの……彼らと彼女たちが、新しい世界、新しい宗教を創る(アルプス山麓のデートで、レニ・リーフェンシュタールヘ)


(以上、『1999年以後』より)



ヒトラーの超人思想によれば、「天地創造は終わっていない、特に人間については
終わっていない」という。そして「完全に自然科学的な突然変異」によって、
21世紀中に「新しい人間」(超人神人)が出現するという…。


■■■第9章:ヒトラーが予知した「神人」


●第1章でヒトラーの「究極予言」を紹介したが、
『1999年以後』にはこの「究極予言」「神人」について、
もう少し詳しい説明が載っている。

少し長くなるが、簡単に抜粋しておきたい↓

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■■人類は50年、100年ごとに大変革を迎える


「ニーベルンゲン復讐騎士団」は1939年1月25日の前夜までに、山荘へ約150キロのザルツブルグ空港に集められていた。そこから総統差し回しの「グロッサー・メルセデス」と「ベンツ540K」50台に分乗、ベルヒテスガーデンまで行った。あとは雪道を歩いて山荘へ昇った。

すると山荘の広い地下室に、巨大なかがり火とアルプスの青い氷が輝やいていた。「世界は炎と氷で滅び、その中から新世界が甦る」──このゲルマン神話のテーマを表した演出だった。

ヒトラーの生誕50年を祝い、また「人類は50年、100年ごとに大変革を迎える」という黒魔術の思想を受けて、50本のカギ十字の旗も飾られていた。

ヒトラーはその中央に立った。

「ハイル・ハイル・ヒトラー!」

右手を高く上げ、ブーツのかかとを打ちつける騎士団の歓呼を浴びた。
それから彼は、おもむろに低い声で「究極予言」について話し始めたのである。

「諸君、よく来られた。今日は最も信頼する諸君に、私の予感している人類のこれからの運命を告げる。また、わがナチスの真の使命も告げよう。

その第一は、まもなく始まる第二次世界大戦である。これは予感でも計画でもなく、諸君が知ってのとおり、私がいつ出動命令を下すかという段階にまで来ている。それを私は、私が生まれてから50年目の今年(1939年)、遅くても9月までには下す。同時にわが軍は東ヨーロッパに殺到し、次いで北欧とフランスを倒し、2年半で全ヨーロッパを征服するだろう」

「そしてその2年半後、1945年の私の誕生日(4月20日)までに、大戦は表面だけは一応の終結を見るはずだ(これも的中。1945年4月30日に、ヒトラーは敗れて自殺した。つまり10日だけズレた)。

その日までに、ナチスの目的が果たされることを私は望む。

しかし、もし果たされないときには、きみらナチスの息子たちが私を受け継ぎ、必ず我々の栄光の世界を実現するようにせよ」


ヒトラーは、自分の生誕50年目に当たる
1939年に、第二次世界大戦を起こした


■■2039年の未来社会


他にも、とほうもない未来予知がいくつか語られたらしい。が、なにしろ整理された資料などない。やっと探し出した資料も、それ以前の資料と重複していたりして、とてもヒトラー「究極予言」の完全版はお目にかけられそうもない。

ただ重大な核心の一部だけは、ヨアヒム・フェスト著『ヒトラー』(河出書房)にかろうじて見ることができる。そのほか、カリック編の『ヒトラーは語る』(中央公論社)、ポーウェル&ベルジェの『魔術師の夜明け』(サイマル出版会)、サスターの『黒魔術師ヒトラー』(徳間書店)……などのわずかな部分。さらに予言研究の雑誌の編集者とか、ナチス史にくわしい古い研究者たちに当たった私(五島)のいくらかの取材などがある。

「今の文明は砂漠しか残さない。文明の砂漠だ!」という恐ろしい叫びは、ヒトラーが騎士団以外の側近たちにわめいた言葉だったと、ラウシュニングが書いている。

「将来、人類(の少なくとも一部)はロボットになる」──この不気味な予言も、ヒトラーまたはゲッベルスが若いころすでに言っていたと、ジョン・トーランドの本に出ている。

そういう重複や混乱がいくつもある。だが、そんな欠点があっても、それでもヒトラーが予知していた究極の人類像、2039年(とそれ以後)の未来図が、かなり浮かび上がってきたのではないかと思う。



「それにしても、これじゃ救われない。ほんとにこんな世界になったらたまらない。まるでオーウェルの『1984年』だ……」

そう思って身震いした方もおられるだろう。たしかにそうで、私もヒトラーの予言資料の断片をひっくり返しながら、まず『1984年』のことを思った。もう題名の年が過ぎてしまったので注目されないが、それは英国の作家ジョージ・オーウェルが1944年に書いた、悪夢のような未来SFだ。

そこでは、世界はアメリカ中心、ソ連中心、日本中心の3つの超国家に分かれ、少数の超エリートが超テレビを使って支配している。民衆は、自分のほうからは支配者の本拠を知ることすらできないまま、トイレの中の姿まで超テレビで監視され、働かされ、戦争をやらされ、税金を払わされている。

しかし、なぜそうしなければならないかは、教育される段階で「ものを考える力」を奪われてしまっているため、民衆には何もわからない。話す言葉も、政府が決めた言葉しか使えない。政府が決めたものしか食べられない。政府が決めたことしか考えてはいけない。死ぬときも政府が決めた通りに死ななければならない。

つまり、超独裁の超管理社会をオーウェルは描いたのだった。

そしてヒトラーの予知した「神人とロボット人間たち」の社会も、たしかにこれと似ているところがある。

だが、よく読み返すと、だいぶ違うところもあると気づかれるはずである。

第一、オーウェルが描いた支配階級は、政治的な超絶対権力を握っているだけ。彼らの脳の中身が、支配される民衆の脳以上のものになっているというのではない。

ヒトラーが予知した「神人」とここが違う。

「神人」たちも祖先は人間だったが、彼ら自身はもう人間ではない。人間より数段進化した、人間以上の別の「種」が「神人」だ。いまの私たちが、生物学でいう「ヒト科ヒト」ならば、「神人」はもう「カミ科カミヒト」になっているのだ。

彼らに支配される「ロボット人間」たちも、たしかに完全管理されてやりきれないが、別に超テレビで監視されるのではない。「神人」はテレビなど使わなくても全部わかる。だからオーウェルの描いた悲惨な民衆よりはずっと気楽で、何かわからない「神人」たちのプログラムの範囲内では、自由に生きていかれる。

しかも、「ロボット人間」自身、もう人間ではないから、今の人間と違う感覚を持っている。「ロボット人間」なりの新しい楽しみや満足度も追求できるのかもしれない。ここから私は、ヒトラーの予知した人類究極の姿は、オーウェルよりもむしろ、もう一つのSFの傑作、『地球幼年期の終わり』に、とても近いと感じる。

『地球幼年期の終わり』は、『2001年宇宙の旅』の鬼才作家アーサー・C・クラークが書いた、SFファンなら誰でも知っている、世界SFのベストテンに文句なく入る傑作だ。

■■ケネディ暗殺事件と『2039年の真実』


落合信彦氏の作品には、『2039年の真実』という本がある。内容は、アメリカのケネディ大統領が、誰に、なぜ殺されたのか──を追及した迫真のドキュメントである。

落合氏はその真犯人を、はっきり名指ししてはいない。しかし当時、新しいハト派として世界平和の維持に苦心したケネディを、タカ派の軍部指導者や強硬政治家たちは激しく憎んでいた、そこに最大のカギがあることを、氏は鋭く浮かび上がらせている。

つまり、ヒトラーとはなんの関係もない本だ。「2039年」とタイトルにはあるが、私が追求してきた「ヒトラーの2039年予言」とは、まるでかかわりがない。にもかかわらず、氏がこれに『2039年の真実』と題したのは、ケネディ暗殺を徹底的に調べた米政府と下院調査委員会が、その恐るべき真相を含む極秘資料全部を、(ケネディを継いだジョンソン大統領の強い命令で)、2039年に公表すると決めたからだ、という。


『2039年の真実』
落合信彦著(小学館)


 
第35代大統領ジョン・F・ケネディ。右はケネディ暗殺の瞬間(1963年11月)

しかし、なぜそれが2039年でなければならないのか、いくら調べてもわからなかった、と落合氏は書いている。おそらく、2039年にそれを公表しても、関係者はみんなすでに死んでいるだろうし、他の人ももう関心を持たなくなっているからだろう、と。

私はここを読んで、落合氏もまた、ヒトラーの2039年予言について何かを知っている可能性がある、と感じた。そしてそれ以上に、アメリカの権力中枢は、ヒトラーの「究極予言」を全て知った上で、こうした重要政策を決めているに違いない、その一端を戦慄とともに覗いたような気がした。

繰り返すがヒトラー予言では、2039年、大戦と汚染から生き残った世界は、表面はどうであれ実質上、突然変異で超知能を持った「神人」たちに握られている。

大部分の民衆は「ロボット人間」のようになり、「神人」たちのプログラム通りに動き、権力が勝手に何をやろうと、将来何を計画しようと、もうなんの関心も疑問も持たない。そういう、気楽だが超管理化された社会、しかも、そのことを「ロボット人間」たち自身は全く気づかない社会になっている。

アメリカの権力中枢は、そうなることをすでに知っている。つまりヒトラーの「究極予言」をよく知って、それがなぜか的中することも知っている。だからこそ、それに合わせて、一見なんの根拠もない、ヒトラー予言にしか結びつかない、「2039年公表」の線を出してきたに違いないのだ。

他のアメリカの重大政治事件は、たとえばウォーターゲートやイランへの武器供与事件でさえ、調査がはじまって半年後には結果が公表された。ケネディ暗殺の真実だけが、なぜか「2039年」の未来へ押しやられた。

ケネディ事件には、それほどとほうもない秘密が隠されている。同時に、それが公表されてもなんの関心も持たない社会が「2039年」に出来上がっているのを、ジョンソン命令は雄弁に物語っているとしか考えられないのである。

それは、あくまでアメリカのことだ。しかし、アメリカがそういう「陰の超頭脳集団」に支配されるようになるなら、(日本だけ放っておかれるはずはないから)、日本も直接にしろ間接にしろ、そのとき「神人」たちの支配下におかれているだろう。

■■別のものの出現は“日の国”とかかわりがある


ここで思い出されるのが、ノストラダムスの“別のもの”である。これは彼の『諸世紀』1巻48に出てくる不思議な予言の一節で、いろんな解き方をされている。しかし最大公約数的な解釈は、「大きな破滅の年までに“別のもの”が現れるときにだけ、人類は救われ、滅亡は起こらない」。

このノストラダムスの“別のもの”の詩には、「別のものの出現は“日の国”とかかわりがある」と示されている。

“別のもの”が「神人」と同じような意味なら、日本には日本独自の「神人」が、そのときまでに突然変異で現われているに違いない。 〈中略〉

……ここで、もう一度簡単にまとめれば、これから世界は天変地異と「人間の二極化」に巻き込まれ、宇宙カタストロフィと新たな世界大戦が襲って来る。聖書の預言では、ここでヤハウェかイエスが降りて来て「罪深い者たち」を裁き、永遠の“神の王国”を築く。

しかし、より冷厳でリアルなヒトラーの予知力による見通しでは、そんなことは万に一つも起こらない。

代わりに、超人部隊(ラストバタリオン)が現われて、背後から大戦をコントロールし、決定的な被害が出ないうちにやめさせる。だが、そうなっても汚染や異変はやまず、世界的な大混迷と荒廃が地球を支配する。

しかし、その中から、いつとはなく「神人」たちが現われ、一切の危機の解消と「新世界創造」をリードする。残りも、いつとはなく「ロボット人間」になっている。

その意味では、今の人類はそのとき滅び、今のような人類はほとんどいなくなる。しかし、系統種としては、「元・人類」の形でなお続く。

つまり、あなたと私たちの未来には、襲ってくる多くの危機にもまして、「人間以上の、または人間以外のものへの進化」という不気味な道が、核と汚染と天変地異の中から、ついにはっきり見えはじめてきたのだ。


(以上、『1999年以後』より)


── 以上で、「ヒトラーの予言」の紹介は終了です ──


■■■第10章:「1989年」に亡くなった昭和天皇 ~「平成時代」の始まり~


●さて、いちおう念のために書いておきたいが、

この本『1999年以後』(祥伝社)は、冷戦が崩壊する前の

1988年(昭和63年)10月に出版された本である。


『1999年以後 ─ ヒトラーだけに見えた恐怖の未来図』
五島勉著(祥伝社/1988年10月出版)

●この本が出版された次の年「ベルリンの壁崩壊」(1989年)が起こり、

その後に「東西ドイツの統合」(1990年)、「ソ連崩壊」(1991年)が起こった。

だから、これらの「歴史的大事件」については、この本には一切書かれていない。

上(第6章)に掲載してある「ベルリンの壁崩壊」の画像(下にも掲載)は、当サイトが独自にキャプションを付けて追加したものであり、この五島氏の本には載っていない画像である。

※ 興味のある方は、直接、本を手にして確かめてほしい。正真正銘、1988年(昭和63年)に出版された本である。


1988年(昭和63年)の時点で、これだけの内容が書けるのは、正直、すごいと思う。

ソ連崩壊や、その後の世界情勢を言い当てているように感じる。

果たしてヒトラーは本当に予言者だったのか? 彼が語る「新しい人間(超人類)」は誕生するのか? 2039年の予言は的中してしまうのか? 非常に興味がある。

南朝と北朝どちらに正当性が

投稿日: 2019年12月10日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

或る疑問がある。
南朝と北朝の正当性って説明されてもよくわかりません。
孝明天皇は北朝で、明治天皇からは南朝って‼
北朝は京都で南朝は吉野と教わった。

足利義満が「南朝を正統と認めます」という政治的決着で南北朝を合一したから、です。
そんな馬鹿な、南北朝は「北朝勝利」で終わったから、南朝の子孫は消えて、北朝の子孫が今の天皇に至るのではないのか?
この系図を見ても北朝の子孫が次の後小松天皇になって南朝に戻る?。

三種の神器は後醍醐天皇の許にあり、神器なくして擁立された光明天皇には正統性はない。そこで足利尊氏はなんとか神器を得ようと、一計を図って後醍醐天皇に京都へのお帰りを請うた。そして京都に戻られた後醍醐天皇を幽閉して、神器を光明天皇に渡すように強要した。

後醍醐天皇は、こうした事態も予期されていた様子で、偽物と言われる神器を渡された上で、秘かに、吉野に逃れ出た。こうして南朝が始まったのである。

後醍醐天皇在位のまま神器もなしの北朝擁立実質的にはそうでも、形式的には、南北朝の分裂は「南朝正統」で決着したんです。
@@@@@@@
南朝が正統である」という聖断を下した
 1911年に、「南北朝のどちらが正統であるか」という議論が帝国議会で起きたことがあります。
 そのとき、明治天皇は北朝系にも関わらず、「南朝が正統である」という聖断を下したのです。

明治天皇の皇后が「皇太后」と書かれている
 明治神宮では、「明治天皇と昭憲皇太后(一条美子)を祭神としている」と書かれていますが、「皇太后」は「天皇の母親」という意味です。
 明治天皇の妻を言うのだから、本来なら「昭憲皇后」と書かなくてはいけません。
 宮内庁も明治神宮も、「今更正すことが出来ないから」という理由で、今もこの誤用を放置しています。

楠木正成を賛美した 明治天皇が43歳のとき、南朝系の武将である楠木正成の銅像を皇居に作ったことがあります。
 また、戦前の教科書では「楠木正成が英雄で、北朝の味方の足利尊氏が反逆者である」と書かれていました。

皇位継承安定への提言全文 自民有志「護る会」

投稿日: 2019年10月25日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

 自民党の保守系有志議員のグループ「日本の尊厳と国益を護(まも)る会」(代表幹事・青山繁晴参院議員)がまとめた「皇位継承の安定への提言」の全文は以下の通り。

【1】意義の確立

 わたしたち日本国民は、昭和20年、西暦1945年から74年間、天皇陛下と皇室の存在意義を学校で正面から教わることがないままに来た。それは家庭教育にも似通った現実をもたらしていると思われる。

 そのために、天皇陛下のご存在を男系・父系によって続けることの根本的意義あるいは世界的価値を知る機会に乏しい。

 まず、ここから再出発せねばならない。

 日本の天皇陛下は、諸国の皇帝や王と大きく異なった存在である。

 古代における仁徳天皇の「民の竈(かまど)」という故事によれば、天皇陛下は民の台所から夕餉(ゆうげ)を支度する煙が上がらないのをご覧になり、民の暮らしを楽にするために税を取るのをおやめになった。御自らの食事が粗末になり宮殿が傷むことより民を優先なさった。これは、今上陛下が祈られる際に、御自らの幸福を祈られることが無く、ただ民のために祈られることと直に繋がっている。

 すなわち「人のために生きる」という生き方、民と国の理念を、祈りを通じてすべての日本人にお示しになる存在である。

 民のための祭り主であられる役割を受け継がれることが、皇位継承の本質である。

 これらは天皇家という、初代より126代、二千数百年にわたる唯ひとつの血統によって受け継がれ、貫かれることによって実現している。

 皇位の歴史が男系・父系による継承であるために、父を一系で辿(たど)ることができ、仁徳天皇や神武天皇にまで繋がる天皇家の皇統が続いてきた。

 二千数百年にわたり変わらず受け継がれてきた、かけがえのない伝統を、ひとときの時代の価値観や判断で断絶することは許されない。

 われらはこの伝統を、日本国の根源として、また、変わりゆく世界のなかで変わらない安寧の国柄として護り抜かねばならない。

【2】基本認識の整理

1・男系、女系の違いは何か。

 男系とは、父方の血統で神武天皇と真っ直ぐに繋がることである。女系であれば、神武天皇と繋がらない。女系による皇位継承は、日本の歴史で一度たりとも起こっていない。男系による皇位継承を、いかなる例外もなく、126代一貫して続けてきたのが日本の伝統である。これは、性差による優劣を論じるものでは全くない。有史以来一貫して民族が尊び、保ってきた男系による皇位継承を堅持するのか、その伝統を断絶させてしまうのか、この論点こそが、皇位継承をめぐる事の本質である。

2・女性天皇と女系天皇はどう違うか。

 女性天皇は過去に10代8人、いらっしゃった。いずれも即位後は結婚なさらないか、御子をもたれず、男系・父系の男子に皇位を継承された。この女性天皇がもしも皇統に属していない方と結婚され御子が即位されていれば女系天皇、母系天皇となるが、それは一度も存在されたことがない。

 今後もし女系天皇、母系天皇を認めれば天皇家の皇室は終わり、異質の王朝(皇室)、すなわち神武天皇から受け継ぐ祭り主ではない「天皇ならざる天皇」を生み出すことに直結する。

3・男系、女系ではなく父系、母系と呼ぶのはどうか。

 女性差別という誤解を避けるためには、望ましい。変更するには皇室典範第一条「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」を「皇位は、皇統に属する父系の男子が、これを継承する」と改正する必要がある。

 男系という言葉を使った法は他になく、この改正だけで良い。

4・いわゆる女性宮家を創設すれば何が起きるか。

 宮家とは本来、男系・父系による皇位継承を確保するために先人が鎌倉、室町の時代にかけて創設した。すなわち父系で皇統に繋がる男子を広く世に求め、その男子を当主とする宮家をつくり、いつでも男系・父系の継承者になれる候補を確保するためである。したがって現代に新しい宮家を興す場合にも、男子がご当主でなければならない。

 「女性宮家」がいかなるものを指すのか、未だ定義がなされておらず、共有認識はないが、一般的には、女性皇族が皇統に属していない方と結婚後も皇族にとどまり、新たに宮家を創って当主になられることを表すと解されている。仮に「女性宮家」が創設されると、皇統に属していない方が有史以来、初めて婚姻によって皇族になることになり、万一、その子や孫が皇位に就かれた場合には、皇位の男系継承という日本の伝統は終焉となる。

5・皇位を継承できる男子皇族が極めて少ない現在の危機が起きた、その客観的な経緯は何か。

 敗戦と被占領により日本が主権を喪失していた当時に、GHQが昭和天皇の弟君の宮家以外の11宮家51人の皇族をすべて、強権を持って皇籍離脱させ、皇位を継承できる男系・父系男子の人数を極端に減らしたことによる。それ以外に、現在の危機の原因は見当たらない。

6・皇位継承の危機は初めてか。先人はどのように乗り切ってきたか。

 皇位継承の危機は、少なくとも古墳時代から起きていることであり、敗戦を経た現在だけの危機ではない。すなわち、危機を乗り切る智恵はすでにある。

 たとえば古墳時代の継体天皇は、その危機から生み出された天皇陛下である。先人は、親等の遠さ近さは問題とせず、男系・父系で皇統に繋がっていることを唯一無二の条件として広く男子を探した。そして越前(異説あり)におられた応神天皇の五世孫が即位され、継体天皇となられた。

7・父系で皇統に繋がる男子であれば、親等が大きく離れていても問題は無いのか。

 上記6の史実の通り、いかなる時代においても我が国では、男系・父系による血統で皇位を継承させることを最も重要な原則として貫いてきた実績があり、皇統として問題は生じない。

8・皇位継承をめぐる俗論の誤りとは何か。たとえば側室を置かないことが不安定化の原因だという説はどうか。

 これも上記、継体天皇の即位を考えれば、皇后陛下以外に妃(現代用語あるいは武家用語では側室)が数多くいらっしゃった時代にも、皇位継承の危機は起きている。

 したがって、側室を置かない限り問題が解決とならないなどという評論は俗説に過ぎない。前述の通り、皇位継承の安定策は先人の知恵の中にすでにある。

【3】現状の簡潔な整理

 皇室典範の定める皇位継承者が3人(秋篠宮皇嗣殿下、悠仁親王殿下、常陸宮親王殿)しかいらっしゃらず、うち、次世代の継承者と言えるのは、悠仁親王殿下お一人という現状にある。

 今後は、おそらくは数十年を経て悠仁親王殿下が即位され、そのあと男子がお生まれにならなければ皇位継承者が絶える怖れがある。その時代には、現存の宮家がすべて絶えている可能性があるからだ。

 [立法府においては、平成29年6月の「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の成立の際、「政府は、安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等について、皇族方のご年齢からしても先延ばしすることはできない重要な課題であることに鑑み、本法施行後速やかに、皇族方のご事情等を踏まえ、全体として整合性が取れるよう検討を行い、その結果を、速やかに国会に報告すること」という文言を含む附帯決議を議決している。]

【4】具体的な安定策

まず、守るべき大原則として、現在の皇位継承順位は一切変えないものとする。旧宮家の方々が皇室典範の改正あるいは特例法の制定、およびご当人の了承のご意思によって皇族に復帰された場合でも同様とする。

 事実上、以下の両案に絞られる。さらにこの両案は統合することができる。

(イ)養子および婿養子案

 旧宮家の男子が、現皇族の養子となられるか、女性皇族の婿養子となられる案。お生まれになる子が即位された場合、父が天皇の血を引くという男系・父系の原則を満たすことができる。

 後者の婿養子となられる場合、その旧宮家の男性がご当主となり新しい宮家を創設することがあり得る。またこの際の重要な注意点は、婚姻はご当人の自由意志に基づく自然なものでなければならないことである。

 さらに、皇族の養子を禁じた皇室典範9条、また一般国民の男性は皇族になれないとする皇室典範15条の改正か、特例法の制定が必要となる。

(ロ)旧宮家の皇籍復帰案

 政府機関の非公式な調べによると10代5人、20代前半2人の皇位継承者たり得る男子、すなわち男系・父系で皇統につながる男子が旧宮家にいらっしゃるという現況に鑑み、国民的理解に基づく立法措置を経たのちに、そのなかから了承の意思を持たれる方々に皇籍に復帰いただく案。

 上記の皇室典範15条を改正するか特例法を制定すれば可能となる。

(参考)

 前述の継体天皇の即位当時と同じく、皇統に父系で繋がる男子をあらためて全国から探す案もあり得るが、上述のように旧宮家のなかに皇位継承者たり得る男子が少なからずいらっしゃることを考えれば、いたずらな混乱を避けるために、実行すべきではない。

 上記を統合すると以下のようになる。

 「旧宮家の男子について、了承いただける方には皇籍に復帰いただけるよう、また現皇族の養子か女性皇族の婿養子となられることがあり得るよう、皇室典範の改正または特例法の制定を行う」

【5】手順

(1)皇室典範を改正する(2)皇室典範の改正は行わないか、最小限度に留め、ご譲位と同じく特例法の制定を行う-の両案があり得る。

 後者の特例法は、ご譲位の際と同じく立法府の円満な合意形成に寄与することが期待できる。

 この特例法は、現在の皇位継承順位を堅持し、父系の皇位継承者を安定的に確保するため皇室典範第9条「天皇及び皇族は、養子をすることはできない」および第15条「皇族以外の●(=者の日の右上に「、」)及びその子孫は、女子が皇后となる場合及び皇族男子と婚姻する場合を除いては、皇族となることがない」という条文に関連しての特例法の制定となる。

 すなわち、旧宮家の男子に限っては養子となることができ、また婚姻によっても皇族となることができるという特例である。

 仮に【2】基本認識の整理の3で述べた皇室典範第1条の改正により「男系」という用語を「父系」に改めておけば、特例法においても「父系」という用語を用いることができる。

若い人の論文【大東亜戦争は自衛戦争であり、人種戦争でもあった】

投稿日: 2019年10月8日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

【大東亜戦争は自衛戦争であり、人種戦争でもあった】
水田安美

「戦争をした日本は悪い国である」と習った日のことを今でもはっきりと覚えている。ゆとり教育と自虐史観教育が一番蔓延していた世代として育った私は、祖母から教わった戦時中の話と学校で習う先の大戦の授業が噛み合わず非常に苦しい思いをした。私は当時、類まれなる高齢出産で一人娘として産まれた。その為、祖父母は戦争の中を命懸けで生き抜いた人であった。特に祖母とは一緒に住んでいたこともあり、毎日正座をして戦争の話を聞いた。私もいつか、この素晴らしい日本の国の為に貢献できる人間になると幼き頃から胸に抱いていたのである。それを、学校の先生や友人はおかしいと笑うばかりであった。どちらが真実なのか、探究心から本格的に中学2年生から歴史の勉強を始め、今年で7年目になる。この戦後70周年という節目の年に「日本は素晴らしい国であり、日本そのものが世界遺産に匹敵する」とジュネーブ国連でスピーチできたことは20歳を迎える私の一つの集大成でもあった。だが、同年代の友人は大半が「戦争をした日本は悪い国であり、反省し続けていかなければならない」と言っている。それを少しでも転換する契機になればと改めて『大東亜戦争』の真意に迫りたい。

アメリカでは、若者の先の大戦に対する世論が変わってきている。興味深いアンケートを見つけた。今年2015年7月18日~20日アメリカ人1000人を対象に面接調査を行い、「日本への2回の原爆投下は、正しい決定だったか否か」を問うアンケート調査が行われた。そこで、驚くべき結果が出たのである。それは、18歳~29歳の回答者の45%が「原爆投下の決定は間違いだった」と回答したことである。正しい決定だったと答えたのは31%であり、間違いだったと回答した者のほうが上回る結果となった。間違いだったという回答は年々増える傾向にあり、先の大戦に対するアメリカの若者の認識が変わってきている大きな証拠となっている。では、日本の若者はどうであるか。

日本の若者は、現在連日ニュースでも報道されているが、反日キャンペーンを繰り広げている。日本に生まれたことを誇りに思う若者は、メディアにも表にもなかなか出てこられずネットで密かに活動するか、活動しても世間一般には伝わっていない状況だ。これは、メディアの偏向報道の話にも繋がってくるが、今回はなぜそうした「日本嫌い」な若者が増えているのか核心に迫る。

なぜ、日本のことが嫌いな若者が増えているのか。それは『大東亜戦争』に対する考え方が非常に自虐的なものであるからだ。「先の大戦は侵略戦争であった」と、学校や親に、更にマスメディアに教えられて育つのである。次々と今の中国や韓国などを侵略し植民地にし、何十万人も残虐な殺し方をし、女性を強制連行して性奴隷にし、更に勢力拡大を図る為、真珠湾に突然攻撃をしかけたなどということが実際に教育現場で教えられているのだ。それを習った子供たちは日本のことを「最悪な国」だと思わざるを得ない。自分の国も自分自身も嫌いになるのも頷ける。だが、それらの歴史観はまったくの虚偽である。「果たして大東亜戦争は侵略戦争であったのか」その問いは調べれば調べるほど侵略戦争ではなかったことが明らかである。日本は、「自衛戦争と人種戦争」をした誇り高き国である。自衛戦争と人種戦争でもあったという真実を述べる。まずは、日米双方の指揮者の言葉と、日米開戦の頃を振り返り、人種差別が世界に蔓延していたこと、自衛のためにやむを得ず開戦したことを述べる。

「日本が戦争に飛び込んでいったのは、おもに自衛(security=安全保障)の必要にかられてのことだったのです」この言葉は誰の言葉であるか。それは他でもない、日米戦争においてアメリカ軍を率いて日本と戦った、連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥の言葉である。マッカーサーは日米戦争終結から6年後の1951年5月3日、アメリカ上院の委員会で、かつての日本の戦争についてこう証言したのだ。そして、日本軍を率いた東条英機はどのように述べているか。東条英機は東京裁判に備えて多くのメモを残した。彼が裁判のために準備した想定問答集のなかから自衛戦争か否かに触れられている言葉を抜粋する。『日清・日露戦争から満州・支那事変そして太平洋戦争まで、日本は常に自衛の名を借りているのは、常套手段ではないのか』という質問に対し東条英機の答えは、『断じて違う。外圧によって防衛の必要上起こった結果である。日本が自衛に名を借りるのは常套手段と決め付けるのは、世界の指導者が東亜の実情を知らぬために誤った見方をしているか、東亜の民族国家に同情がない偏見である。東亜は過去数世紀にわたってロシアを含む欧米列強の侵略と、今世紀になってソ連の東亜赤化戦略にあい、日本は日本自体と東亜の民族国家全体のため、それら侵略に対して防衛する必要があった。そのために自衛措置を頻発させたのである。よってきたる原因は外部の圧迫にあり、自ら求めたものではない。』と書かれている。この東条英機のメモが、これから述べる開戦までの歩みのすべてであり、結論である。では、日米開戦当時の日本はいかなる状況であったのか。

日米開戦の頃を述べる前に開戦に至った背景を述べる。背景として、その頃世界中に「白人優位主義」と「有色人種差別」が蔓延していた。当時のアメリカはメディア総動員で、テレビや新聞などで連日排日キャンペーンを貼り、日本人を人間ではなく猿扱いし、日本への不信感と敵対心を燃やしていた。その理由は2つ考えられる。まず1つは、当時アメリカは鉄道ブームであり、安い賃金で働く移民が溢れていた。そのなかにはヨーロッパ諸国から何千万人もの迫害を受けていた人たちもいれば、アメリカンドリームを夢見て移民してきた日本人も数多くいた。日本人は時間も守り、勤勉に働くため、「日本人の方がいい」と優先的に仕事をもらえた。だが、それに貧しい白人たちは黙ってはいなかった。その白人たちはマスコミに訴えたのだ。日本人を叩くことで喜んで新聞を数多く買ってくれる為、それはエスカレートする一方で、そこから日系人排斥運動に繋がっていった。もう1つは、日露戦争に、日本が勝利したことである。当時、「有色人種は劣等人種」とされており、反対にロシアは「最強」とされていた。高橋是清がユダヤ人の財閥の人との交渉に成功し、東郷平八郎などの作戦が見事に的中し、日本がロシアに完璧に勝利してしまったのだ。その頃から元々あった差別感情に日本人を恐れ、警戒する感情も加わり『黄禍論』という「黄色人種警戒論」が広まった。ドイツの地理学者、F・リヒトホーフェンはアジア民族の移住と労働力の脅威にふれ、『黄色人種の人口が圧倒的に多いことが将来の脅威となるであろう』と指摘したことが事の発端である。その頃からアメリカは対日戦に備え、日本と戦うときどうするかという戦争計画『オレンジ計画』を立て続けることになる。そして、1906年にサンフランシスコ大地震が起きたときも日本人学童は極めて少ない人数であったのに、「場所がない」という理由で日本人学童隔離が行われ、またカルフォルニア州で『排日土地法』が発令され、市民権を持たない日本人移民の土地所有が禁止され、さらにアメリカ市民権を持った日本人の子供名義での土地所有等も禁止された。極めつけは、1922年、アメリカの連邦最高裁が「日本人には帰化権はない」と判決し、アメリカ市民として暮らしている日本人の帰化権が剥奪されたのだ。そして、1924年には日本人移民を全面的に禁止する「絶対的排日移民法」が連邦法として制定される。これは、アメリカは国家として日本人を排斥したことになる。

アメリカが国家として日本人を排斥したことは、日米開戦の流れへと繋がっていく。1937年、非常に長引いたと言われた『支那事件』が始まる。そこでアメリカは日本が支那大陸で権益を拡大することに反対し、南京から逃げ、重慶に立てこもる蒋介石を仏印経由で援助。そして、1939年には、『日米通商航海条約』の破棄を日本に通告、日米間の貿易が完全に止まったのである。当時の日本は多くの戦略物資をアメリカの輸入に依存していた為、大変な痛手となった。そして、日本はアメリカの牽制のため『日独伊三国同盟』を締結するも、アメリカは更に経済封鎖を強める。そして、米英中蘭の四カ国による、対日経済封鎖(ABCD包囲網)が形成されていったのだ。日本はそれでも支援ルートを確保し続け、南部仏印進駐をすることとなる。これに対しアメリカはとんでもない強行に出る。それは、在米日本資産を凍結し、石油の対日輸出の全面廃止に踏み切ったのだ。また、オランダも、インドネシアの石油を日本に輸出することを停止し、石油がなければ産業も軍隊も動かなくなる為、日本存続の危機に直面したのである。これにより日本は完全に窮地に陥った。日本は、このアメリカによる『対日石油輸出全面禁止』を受けて、対米開戦へ向かう方針が書かれた『帝国策遂行要領』を決定する。だが交渉は進まず、最後にアメリカから手交された「ハル・ノート」は、日本の自衛の観点にとってとうてい受け入れがたい、衝撃的なものであった。よって、これを最終通牒と解釈し、日本の首脳部は、やむを得ず対米開戦を決意することになったのである。

ここで、当時小学生だった上智大学名誉教授渡部昇一氏の生の声を紹介したい。『だから、石油の輸入を止められたと聞いたときは、小学五年生ながら、いったい日本はどうなるのだろうと、目の前が暗くなるような気がしました。石油がなければ二十世紀の国家は存続できないということは、われわれ少国民にいたるまで、日本人なら誰もがわかっていましたから。そうした状況のなかで、十二月八日の朝七時、「帝国陸海軍は今八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」-という有名な臨時ニュースが入りました。「ついに戦争か!」と思うまもなく、真珠湾攻撃に成功したという記事が出たものだから、本当に晴れやかな気持ちになりました。それは少年だった私だけの個人的な感想ではありません。戦後は日米開戦を知って「困ったことになった」と知識人の多くが嘆いたということにされていますが、開戦当時の新聞を見れば、「これで長年のモヤモヤした気分が晴れた」という識者のコメントが紙面を埋め尽くしています。占領軍の顔色をうかがってか、戦後はみんな当時の正直な気持ちを言わなくなっただけのことです。私は、日本はやむを得ず立ち上がったのだと、子供心にも思っていました。(中略)欧米列強の「東亜侵略百年」を覆す戦いだということは、当時は子供まで知っていたし、そういう覚悟でいたのです。出征した兵士も、そのつもりで行ったはずです。」当時の日本人の心が分かりやすく述べられている。このような高貴な気持ちで開戦のなかを生きたのだ。

最後に、人種戦争でもあったことをどうしても述べたい。日本人の人種種差別撤廃への情熱は、大東亜戦争の頃に突如現れたものではない。それは、明治維新の頃からあったものである。坂本龍馬はじめ、明治維新で活躍した志士達は当時、インドネシアが300年オランダ領であったことやインドも150年イギリスの植民地であったことも情報を掴んでいた。特に、ペリー来航の1853年の頃は1840年にアヘン戦争があった頃である。アヘン戦争では、中国に対してイギリスが人間だと思っていないやり方で攻撃をしていた。中国のお茶は非常に高いお金で売れたため、お茶で儲けた貯まった銀貨でアヘンを買い、中国人をアヘン中毒にしたことも、もちろん当時明治維新の志士達が多くいた九州、長崎や鹿児島などにその話は皆入ってきていたのだ。幕末の頃の日本の指導者達、特に吉田松陰は、その頃からアジア・アフリカから欧米を追い払うことを明確に考えていた。

長州藩のリーダーでもあった吉田松陰は、アメリカ渡航失敗後に書いた『幽囚録』で、日本を含むアジアやアフリカが欧米露の侵略を受けていることに触れ、軍備を増強し、朝鮮半島や満州、台湾、フィリピンなどを勢力圏に収めるべきだと主張している。更に久坂玄瑞への手紙では、インドまで押さえる計画に言及しているのだ。吉田松陰は、「このままでは防げない」と、全国各地をまわり「どこが危ないか、どこを守ればよいか」を許可なしではあったが、見て回っていた。その目的は他でもない、『欧米による白人優位主義の植民地支配を打ち払う』ことであったのだ。これは、吉田松陰だけではなく、薩摩藩主の島津斉彬や、幕末の儒学者、横井小楠も唱えていたことである。当時、ヨーロッパが日本に打ち込んでくる下関事件も勃発したが、伊藤博文や井上馨がイギリスに留学し国力の差というものを知っていたため、一度開国して、武器や軍事力などで吸収できるものは一刻も早く吸収し、そこから攘夷するということで、製鉄能力も佐賀藩をはじめ群を抜いて優秀であったが、それをはじめ必死に「悪の勢力から日本を守らないといけない」と日本は戦っていたのである。

そうした明治維新から受け継がれた『白人に左右されない』世界を広げるため、日本人は世界で一番はじめに立ち上がったのである。それは第一次大戦後、1919年のパリ講和会議で国際連盟規約を話し合う委員会で、日本は規約前文に「国家平等の原則と国民の公正な処遇を約す」という表現を盛り込むように提案したのだ。これは、国際会議で人種差別撤廃を明確に主張した初の快挙であった。賛成はフランス、イタリア、中華民国など代表11人と多数であったが、アメリカのウィルソン大統領が「全会一致ではないため、提案は不成立である」と宣言し、提案を取り下げたのであるが、このように、日本は人種差別撤廃の為に長年尽力してきたことが分かる。

大東亜戦争の目的は、自衛戦争の面もあるが、『欧米植民地からアジア各国を解放』する、人種戦争の面もあった。たしかに、アメリカとの戦闘には負けたが、日本は『植民地支配からの解放』という戦争目的においては勝利したのだ。下記に大東亜宣言を記し、大東亜戦争でアジア・アフリカ諸国はどうなったか述べ、この論文を終える。

『欧米列強の植民地支配から、アジア各国を解放する』この戦争目的に勝利したと述べた。1941年12月、開戦直後の閣議で、日本はこの戦争の名を『大東亜戦争』とすることに決めた。その理由は、「東亜新秩序の建設を目的」としたからだ。その新秩序の中身は、下記の大戦中の1943年11月に出された『大東亜宣言』に盛り込まれている。

前文~そこで私達東亜の各国は、手を取り合って大東亜戦争を戦い、東亜諸国を米英の押さえつけから解放し、その自存自衛を全うするために、次の綱領に基づいて、大東亜を建設して世界の平和の確立に寄与する事を宣言します

1、東亜諸国は、協同して東亜の安定を確保し、同義に基づく共存共栄の秩序を建設する

2、東亜諸国は、相互に自主独立を尊重し、互いに助け合い、東亜諸国の親睦を確立する

3、東亜諸国は、相互にその伝統を尊重し、各民族の創造性を伸ばし、東亜諸国それぞれの文化を高め合う

4、東亜諸国は、互いに緊密に連携する事で、それぞれの国家の経済の発展を遂げると共に、東亜諸国の繁栄を推進する

5、東亜諸国は、世界各国との交流を深め、人種差別を撤廃し、互いによく文化を交流し、すすんで資源を解放して、世界の発展に貢献する

この宣言は、日本軍が米英軍を駆逐して独立したフィリピンやビルマなどの首相が、東京で一堂に会した史上初のアジア・サミット『大東亜会議』で採択された。宣言は、米英による、「飽くなき侵略と搾取」が大戦の原因だと指摘し、人種差別の撤廃など5原則を掲げ、この大東亜戦争の目的は『欧米による植民地支配からのアジア各国の解放』にあることを明確にうたったのである。

そして大東亜戦争の後、世界は一変したのだ。戦前、独立国は世界に50カ国程度だったが、1960年前後には100カ国を越え、現在は約190カ国になった。多くが戦後、欧米植民地の「束縛からの解放」されたアジア・アフリカである。大東亜戦争が終わったあとも、現地に残り、現地の人に武器の使い方を教え共に戦った日本軍が数多くいた。それができたのは、この植民地解放の志があったからだ。そして、アジアの独立に感化されたネルソン・マンデラをはじめとしたアフリカ諸国も独立への動きへと変わっていった。

このように、人種差別撤廃のために立ち上がった誇り高き大東亜戦争でもあったのである。決して、侵略したいと外国に戦いを挑んだ「侵略戦争」ではなく、石油が完全に輸入されることが無くなり、やむを得ず開戦に至った「自衛戦争」であり、更にアジア諸国の植民地解放のために戦った「人種戦争」でもあったのだ。このことを、未だ知らない多くの日本の若者たちに伝えていきたい。この、『大東亜戦争は自衛戦争であり、人種戦争でもある』ということが日本の常識に転換される日が来ることを心より願い、論文を終える。

アメリカの戦争責任!こんだけ殺された。

投稿日: 2018年8月9日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

都道府県別被害数

※広島と長崎は原爆被害を含む。沖縄の被害については沖縄戦を参照のこと。東京都の被害市町村数は23区を含む。

都道府県名 被害市町村数 死者数 行方不明者数 負傷者数 損失家屋数
北海道 52 1,210 20
青森県 5 1,772 890 17,863
秋田県 2 94 8
岩手県 5 616 10 664 4,850
宮城県 11 1,118 82 1,936 11,603
山形県 6 42 37
福島県 8 661 66 412 2,730
茨城県 7 3,299 60 3,190 14,952
栃木県 9 612 1,181 10,835
群馬県 15 1,237 1,538 15,052
千葉県 12 1,448 44 1,909 14,181
埼玉県 10 392 8 955 3,797
東京都 29 116,959 6,034 109,567 770,090
神奈川県 9 9,197 16,202 146,493
静岡県 15 6,539 10 9,808 96,774
新潟県 2 1,467 472 15,123
山梨県 2 1,181 885 17,364
長野県 4 52 46 106
富山県 2 2,300 3,801 22,490
石川県 3 27 25
福井県 2 1,809 14 1,907 26,966
岐阜県 3 1,191 23 1,071 33,963
愛知県 26 13,359 231 15,565 168,119
滋賀県 4 45 7 79
奈良県 12 31 122
三重県 8 5,612 3,749 3,749 32,837
和歌山県 12 1,830 5 5,255 30,276
大阪府 15 15,784 28,347 364,422
京都府 7 215 270
兵庫県 10 12,427 21,619 212,968
岡山県 3 1,773 127 1,114 23,800
広島県 3 262,425 14,394 46,672 101,628
鳥取県 3 61 9 312
島根県 1 38 16
山口県 9 3,493 161 3,878 23,106
香川県 1 1,369 186 1,034
徳島県 3 1,710 450 1,210
愛媛県 5 546 2,219 21,552
高知県 1 647 43 1,055 12,237
福岡県 4 5,776 5,011 62,048
佐賀県 3 138 192
長崎県 10 75,380 48 2,219 50,079
熊本県 11 869 11,657
大分県 7 710 16 521 2,486
宮崎県 8 646 559
鹿児島県 51 4,601 48 2,219

損失家屋数、死者数はより。 負傷、行方不明者数はより。 被害市町村数はより

合計死者数

東京大空襲による死者

調査団体、研究者、新聞社各紙によって数値のばらつきがあり、最少の約24万から最大の100万人の説が存在する。 また、負傷者も30万人程度という説もある。

死傷者数(単位:人)
調査団体 合計 調査年数
米国戦略爆撃調査団 252,769 1947年(昭和22年)
経済安定本部 299,485 1949年(昭和24年)
戦災都市連盟 509,734 1956年(昭和31年)
第一復員省 238,549 1957年(昭和32年)
建設省戦災復興史 336,738 1957年(昭和31年)
東京新聞 558,863 1994年(平成6年)
田中利幸 100万 2009年(平成21年)
日本経済新聞 死者33万人、負傷者43万人 2011年(平成23年)

都市伝説かもしれませんが、、、。

投稿日: 2018年7月18日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

2020年に首都直下地震? 9年サイクル

次に、過去の大地震・火山噴火の発生サイクルに基づく展望を紹介しよう。考古学的な地質調査により過去の大地震の年代測定を行い、将来の地震予測を行う「地震考古学」の提唱者、産業技術総合研究所の寒川旭(さんがわ あきら)氏によると、この50年の地震発生状況は、貞観地震が起きた9世紀と酷似しているという。

869年の貞観地震(M8.5前後)は、東北地方で発生したM8超の巨大地震だが、その9年後の878年には(現代の首都直下地震にあたる)M7.4の南関東地震が、さらに9年後の887年には仁和東海・南海地震(M8~8.5)が起きていた。

そのため、現在の日本列島が同様のサイクルにあるならば、3.11の9年後となる2020年頃に首都直下地震が、2029年頃に南海トラフ地震が起きることになる。ただし、必ずしも9年サイクルが再現されるとは限らない。いずれにしても、東京オリンピックを中止せざるを得ない状況に陥る可能性は常に横たわっていると認識すべきだ。
東京の女性が見た夢 「慶長地震がそのまま起こる」

大地震のサイクルという点では、1605年の慶長地震(M8前後)前後に起きた一連の災害シリーズにも要注意だ。

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これまで夢や予感が現実になってきた東京都在住の主婦、スズ氏(仮名)が『災害の夢ブログ』で明かしたところによると、2015年8月に見た夢の中で、何者かに耳元で「噴火はもちろんのこと、大分県北部地震、慶長地震がそのままに起こる」と囁かれたという。過去の記事でも紹介しているが、(熊本や大分などすでに発生した地震を除き)慶長時代の大災害でまだ起きていないのは、中央構造線、近畿地方、南海トラフの大地震であり、それらの再来が懸念されるところだ。
茨城の女性が聞いた 「次は西日本震災だ」

また、同じく大災害の予知夢をよく見るという女性、茨城県在住の郁代氏(仮名)。過去の記事でも紹介したが、昨年3月17日の朝、郁代氏は幻聴かテレパシーのような声を耳にしたというが、その内容が「次は西日本大震災だ」というものだった。

松原照子氏 「M9.0以上の地震が起きる」

続いて、3.11の津波やトランプ大統領の誕生を予言していた世界でも数少ない予言者(世見者)の1人である松原照子氏は、2017年6月18日のブログで「M9.0以上の地震が起きるとも思っているのです。その地が『日本である』と今は思っていませんが、チリ、スマトラ、オホーツク海、日本と、書きたくないのにかいてしまいました」(「幸福への近道」、2017年6月18日)と語っている。今年も十分に注意する必要があるだろう。
ジョセフ・ティテル氏 「日本の北半分、山間部で大地震」

米国の著名サイキックであるジョセフ・ティテル氏は、2017年初頭に発表した世界の予言の中で、「日本の上半分(北半分)は、激しく揺れるだろう。【中略】歴史的な災害になり、多くの死者が出るだろう。通常では、地震が起きると予想されるような場所ではないところで地震が起きるかもしれない」と予言している。ティテル氏の予言の場合、数年ズレて的中することもあるため、要警戒だ。

ジョー・マクモニーグル氏 「日本で首都直下地震と津波

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未来を透視する』(ソフトバンククリエイティブ)

同じく米国を代表するサイキックFBI超能力捜査官のジョー・マクモニーグル氏の予言だが、自著『未来を透視する』(ソフトバンククリエイティブ)の中で、2018年の日本が直面することになる2つの恐ろしい予言を記している。

予言1】日本を襲う津波:2018年秋、高さ10.5m
【予言2】2018年晩夏、東京都の西40kmで震度6弱

高さ10.5mの津波といえば、東日本大震災に次ぐ大きな被害が予測される。また、過去の記事でも紹介したように、【予言2】は首都直下地震そのものであり、都心から西へ40kmということは震源が八王子市近辺になるかもしれない。

政府内閣府が長期予測を見直し

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十勝沖と根室沖の地震が連動した場合の震度分布
画像は「政府 地震調査研究推進本部」より引用

政府の地震調査研究推進本部は昨年末、過去の大地震発生予測を大幅に見直した結果を発表した。それによると、まず北海道沖・千島海溝では東日本大震災に匹敵する巨大地震が「切迫している可能性が高い」という。千島海溝は3つの地域に分けて予測がなされているが、もっとも危険度が高いのは中央の根室沖で、今後30年以内にM7.8~8.5が約70%の確率で起こり、M8.8は7~40%の発生確率となる。

千島海溝沿いの超巨大地震は平均340~380年周期で発生しているが、すでに400年ほど起きていないことから「切迫している」という表現が使われたと思われる。その規模と切迫度を考え合わせると、今後は南海トラフ巨大地震同様、千島海溝に十分注意しなければならないだろう。
さて、天変地異が起きる可能性がここまで多く集約されてくると、もう2018年は“天災まみれの”年になることがほぼ確定したように思えてくる。災害の規模にもよるが、以上のうちたった一つでも現実となれば、もはや東京オリンピックどころではなくなり、1940年に次ぐ「幻の東京オリンピック」となる可能性もある。改めて防災への意識を高めたい。