アーカイブ

2012年8月28日のすべての投稿

日本人よ 誇りを持とう!!

投稿日: 2012年8月28日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

竹田 恒泰(たけだ つねやす、1975年(昭和50年)-)は、日本作家慶應義塾大学講師憲法学)。家系は伏見宮家より分かれた北白川宮家の分家にあたる竹田宮家明治天皇玄孫に当たる。

竹田恒泰が語る 日本人よ 誇りを持とう!!

日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか

竹田恒泰氏が語る 日本を嫌いな日本人が半分以上

よく分かる 古事記と日本人についての講義 竹田恒泰 先生

単著

  • 『語られなかった皇族たちの真実 – 若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」』(小学館、2006年1月)ISBN 4093876258
  • 『エコマインド – 環境の教科書』(ベストブック、2006年9月)ISBN 4831400955
  • 『旧皇族が語る天皇の日本史』(PHP新書)(PHP研究所、2008年2月)ISBN 978-4569697116
  • 『怨霊になった天皇』(小学館、2009年2月)ISBN 978-4093878272
  • 『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』(PHP新書)(PHP研究所、2011年1月)ISBN 978-4569794297
  • 『語られなかった皇族たちの真実 – 若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」』(小学館文庫、2011年2月)ISBN 4094085904
  • 『原発はなぜ日本にふさわしくないのか』(小学館、2011年6月)ISBN 4093881928
  • 『日本人はなぜ日本のことを知らないのか』(PHP新書)(PHP研究所、2011年9月)ISBN 978-4-569-79933-9
  • 『現代語古事記』(学研パブリッシング、2011年9月)ISBN 978-4054050754
  • 『怨霊になった天皇』(小学館文庫、2011年12月)ISBN 978-4094086690

共著

海外で出版された本

  • 台湾『日本天皇的史話』(商訊文化事業股份、2008年8月)『旧皇族が語る天皇の日本史』の中国語翻訳版

「デモが許されない国」で演じられたデモ:中国政府の完全やらせデモ中国国民のガス抜き

投稿日: 2012年8月28日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

反日デモだと許される国

【大紀元日本2011年9月30日】「ブログで『デモ』という言葉も書き込めない国で、やっとデモが許可されたよ」と、9月18日、中国で最も人気のあるブログライター・韓寒はコメントした。

 image
 9月18日は、満州事変勃発の引き金となった柳条湖事件の記念日で、中国ではこれまでしばしば、反日感情を高めるために利用されてきた。79年目という中途半端な年での今年のデモはちょっと珍しい。北京、上海、深せん、香港など少なくとも7つの都市で行われ、心のうっぷんを晴らす機会として中国人が参加した。中国共産党政権の工作が窺える小規模イベントだった。

 最近の中国漁船衝突事件は、多くの中国人の怒りを買ったようだが、たとえ今回のように小規模なものでも、政権の黙認または奨励がなければ、現在の中国では起こりえない。

 北京では、中国政府に対して自分の権利を請願している人々に、9月18日前に、「政府認可」の日壇公園(日本大使館の近く)でのデモに参加するよう、呼びかけの電話がいろいろなところから入ったという。

 いつもは政府の癒着や不正に関して請願している人々は、今回のデモで中共政権は人々の「愛国心」を煽ろうとしていると指摘していた。自分たちの主張を公表する機会として、とりあえず参加を決めた者もいる。一般に、公共の場で抗議行動に出た場合、抑圧・拘束や嫌がらせを受け、北京から追放されるのが常だからだ。
参加者数と主張内容のコントロール
 

しかし、中共政権は、デモ参加者の数をコントロールできる程度に抑えた。北京と上海では、武装警官が見守る中、数十名の参加者が反日スローガンを叫んだに過ぎなかった。
 その他の都市では、警官の数を超える数百人が参加したため、横断幕やプラカードのほとんどは警察が押収した。香港以外の都市では、デモは1時間以内に警官によって解散させられている。
 

また、当局は、日本を攻める声以外は、一般に届かないように取り計らっていた。
 深せんからの請願者 Yuan Peiweiさんは、請願中に警官に殴られた自分の写真を掲げ、「癒着反対」と北京のデモで叫んだ。目撃者の話によると、まもなくYuanさんは警官に逮捕された。デモの協調人が、警官に釈放を求めたところ、Yuanさんは窃盗の容疑で逮捕されたという答えが返ってきた。

 政府に異議を唱えたり、人権運動で活動する人のほとんどは、デモへの参加を許されなかった。北京の市民権運動の活動家であるLiu Anjunさんは、かなり前から、公安部の代行人に、反日デモに参加しないよう警告されていた、と本紙記者に伝えている。9月18日、Liuさんの機関で働く3人のボランティアは、ホームレスの請願者に食べ物を届けに行った後、行方不明になった。連絡が途絶える前、これらのボランティアはLiuさんに、公安部の代行人に尾行されていると電話で伝えている。
 

同じく、活動に携わるZhang Huiさんは、9月18日の外出中、警官に尾行されたと語っている。Zhangさんによると、北京では多くの活動家や異議を唱える人々が当日、同様に自由を制限され、他の都市では、実際に拘束された。
「フォークダンス以外の何ものでもない」
 

ワシントンDC在住の中国問題の専門家・石藏山氏は、次のように分析している。「中国共産党は火遊びをしているようなものです。愛国心に本当に火がついたら、国民は、中共がいかに自国を害してきたかに気づくことでしょう。そうなれば、すべての怒りが中共政権に向けられ、吐き出されます」

 事実、上海でのデモで、警官が日本領事館に通じる道をふさいだ際、「(政府は)弱腰で外交不能」というシュプレヒコールが始まった。

 「市民の権利を主張する平和的なデモが許されない国で、全く自分の身にふりかからないような国外の事件に対してデモを行うのは全く無意味」と韓寒は書き込む。「こんなデモは、フォークダンス以外の何ものでもないね」と中共政権のやらせを軽く流したブログは、まもなく削除された。

■中国帰化人:琉球時代に移住の中国人組織~沖縄支那党

投稿日: 2012年8月28日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

正論から〜
ご存知の方も多いかと思いますが…
中国帰化人

現沖縄知事の本名は「蔡」、前沖縄知事は「毛」。
(以下「正論」平成20年3月号P156~157抜粋)

■琉球時代に移住の中国人組織~沖縄支那党


 昭和三十七年まで多嘉良朝朋という県人が本島中部に居住していた。彼は終戦直後、「琉球王」とあだ名され、戦後も在沖米軍に絶大な発言力をもっていた男である。
 彼は昭和十九年十月上旬より米軍からコールサインを貰い、天津から密命を受けて帰省し、沖縄本島内を徘徊して日本軍の兵力配備状況や重要施設の存在を米軍に通報していたのである。

 彼に指令を出していたのが県出身で同じく天津在住の沖縄支那党の子孫林興徳である。支那党とは、琉球王府時代、沖縄に君臨した中国の帰化人を主に指す。沖縄は廃藩置県まで約四〇〇年にわたって中国の間接統治下にあった。このとき実権を握っていたのが支那党で あった。

 今でも県内で、家門がこの中国帰化人であることはステイタスシンボルである。
なんと現知事、その前任の稲嶺恵一元知事は選挙の際、それぞれ中国帰化人の子孫であることを誇り、選挙リーフレットにそれぞれ中国人先祖の姓を誇示しているのである(仲井真氏は蔡、稲嶺氏は毛姓である)。

 この支那党は廃藩置県に反対して中国に支援を要請した。とりわけ日清戦争中、清国勝利の祈願をするため徒党を組んで神社仏閣に参拝し、「黄色い軍艦がやがて沖縄に救援に来る」と喧伝して日本軍に志願した県出身者の家族を脅迫していた。
当時、沖縄に赴任していた内務省の官吏は、万一に備えて自警団を組織し、家族を疎開させたぐらいであった。

 その他、米軍は沖縄上陸以前に諜報工作のため潜水艦で深夜密かに県出身者を本島北部に上陸させている。 戦前明らかに南米に移民したはずの県民が、夜間、本島内を徘徊している光景が目撃されているのだ。

 沖縄戦の直前、米軍の偵察機が日本軍に撃墜され本島中部に墜落した事件があった。第三十二軍はこれに搭載されていた沖縄県の地図に仰天した。詳細に調査されており、また地名が沖縄方言によるローマ字表記がなされていたのである。
さらに沖縄戦の最中、本島北部では警官が米軍に内通していた史実も残っている。

 ところで沖縄をめぐる情報戦は、沖縄戦の終了をもって終了した訳ではない、今度は冷戦下でさらに熾烈となっていった。しかし中国が内戦状態に陥ったため、くだんの支那党の子孫も混乱した。

 昭和五十年九月二十七日、中国逝江省沖南金湾で漁労中、中国共産党にスパイ容疑で逮捕された県人二人が十年ぶりに釈放されて沖縄に戻って来た。 この二人は、台湾国民党の特務機関員と行動を共にしていたと言う。

 最近でも沖縄の左翼団体(反戦地主会等)が北朝鮮と密接な関係にあることが暴露されて国民を驚かせている(「諸君」平成九年五月号「沖縄『反基地運動家』の呆れた正体」参照)。
 なお検定意見撤回県民大会の参加団体の中には、日中友好協会沖縄県支部や、反戦地主会が実行委員として名を連ねていた事も国民は認識しておくべきであろう。