尖閣諸島が中国領ではない5つの理由

投稿日: 2012年9月21日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

『尖閣諸島が中国領でない5つの理由』

1. 国際法は、1971年まで日本の尖閣諸島の領有に一度も抗議を行わなかった中国の権原を認めない。

2. 尖閣諸島を発見したのは中国人ではなく琉球人である。

3. 中国が尖閣諸島を実効支配した歴史的事実は存在しない。

4. 林子平の『琉球三省並三十六島之図』(1786)は、当時の日本が尖閣諸島を中国領と認めた根拠にはならない。

5. 尖閣諸島がかつて中国領であった歴史的事実が存在しない以上、カイロ宣言は尖閣諸島と無関係である。
結論:中国による尖閣諸島の領有権の主張は、中国の帝国主義以外の何ものでもない。

英語版/English Version
http://www.youtube.com/watch?v=gnlr_OBN2uw
参考文献・サイト
外務省
http://www.mofa.go.jp/region/asia-pac
尖閣諸島問題
http://www.geocities.jp/tanaka_kunita
尖閣諸島の領有権問題
http://senkakujapan.nobody.jp/
制作: WJFプロジェクト
http://wondrousjapanforever.cocolog-nifty.com/blog/

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崩れる中国の主張/「尖閣発見」は琉球人ではー『使琉球録』を検証する

2012/09/19/Wed

アジア最大の図書館とされる北京の国家図書館は反日記念日(満洲事変勃発記念日)九月十八日である、所蔵する尖閣諸島関連の古文書数十点を公開。
これを受けあの国のメディアは「これらの文献は釣魚島に対し、最初に発見し、命名し、利用し、そして長期間にわたって管轄してきた歴史事実を証明するものだ」などと宣伝している。
報道によれば、たとえば明の時代に福建福州から那覇へ向かった冊封使、陳侃の航海記録である『使琉球録』などはその一つだ。
これは「中国と琉球との境界線を示す、現存中最古の中国の公的文献」なのだという。
なぜならそこには、陳侃が乗る船が尖閣諸島を通過し、その後古米島(久米島)に差し掛かると、同乗していた琉球人たちが「琉球へ戻った」と喜んだとの記述がある。要するに当時は琉球人も、久米島より東は琉球領であり、それより西に位置する尖閣諸島は中国領と認識していたと言うわけだ。
そこで実際に同書の記述を見て見よう。確かに嘉靖十三年(一五三四)五月の条に、次のような記載がある。


十日,南風甚迅,舟行如飛,然順流而下,亦不甚動。過平嘉山,過釣魚嶼,通黃毛嶼,過赤嶼,目不暇接,一晝夜兼三日之路。夷舟帆小,不能及,相失在後。十一日夕,見古米山,乃屬琉球者,夷人鼓舞于舟,喜達于家。
(日本語訳)
十日、南風がとても強く、船は飛ぶようにして進んだ。海流に従っていたが、あまり揺れることもなかった。平嘉山、釣魚嶼(魚釣島)、黄毛嶼(久場島)、赤嶼(大正島)を次々と通過した。一昼夜で三日の航路を進んだのである。琉球の船は小さく、付いてくることができず、見えなくなった。十一日夕方、古米島(久米島)が見えた。これは琉球に属すため、琉球人は太鼓を打ち、踊りながら自国に到達したことを喜んだ。
image
中国メディアが配信した『使琉球録』の写真。「琉球人が古米島付近で琉球への帰国を喜んだ」
との記述を強調しているが…

このように書いてあるのだが、しかしだからと言って、この文献は「中国と琉球との境界線を示す」ものと言えるだろうか。どこにも「釣魚嶼、黄毛嶼、赤嶼」は中国の版図だなどと記述されていないのである。
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久米島から東は琉球領だから、その西は中国領だと決めつけるのはご都合主義の極み。巧妙な宣伝だ

しかし、そのようなことにお構いなしなのが中国だ。「琉球領でない以上、中国の領土だ」と強弁し、宣伝するのだから、中国人はみなそう信じてしまう。

そしてさらにこうした文献に、島の中国語名が記されていることから、尖閣諸島を「発見」し、「命名」を行ったのは中国人であり、それこそが中国の領有権の根拠だと強調するのだ。
だが、本当に中国人が「発見」し、「命名」したのだろうか。

中国側は言及を避けるが、『使琉球録』には、琉球人が陳侃の船に乗り込んだ経緯が書かれていて興味深い。
船が福州から出航する前の嘉靖十二年(一五三三)十一月に関する記述には、こうある。

是月,琉球國進貢船至,予等聞之喜,閩人不諳海道,方切憂之,喜其來,得詢其詳。翼日,又報琉球國船至,乃世子遣長史蔡廷美來迓予等,則又喜其不必詢諸貢者而有為之前驅者矣。長史進見,道世子遣問外,又道世子亦慮閩人不善操舟,遣看針通事一員,率夷稍善駕舟者三十人代為之役,則又喜其不必籍諸前驅而有同舟共濟者矣。
(日本語訳)この月、琉球国の進貢船が到着し、我々はこれを聞いて喜んだ。福建人は航路を覚えておらず、それを憂慮していたのだが、その到来を喜び、航路の詳細を聞くことになった。翌日、再び琉球船がやって来た。世子(王子)が長史の蔡廷美を迎えに寄こしたのだ。これも嬉しかった。朝貢者に聞かずとも、案内をしてくれるからだ。長史は世子の挨拶を伝えるとともに、世子は福建人が船の操縦に不慣れなことを懸念し、通訳航海士一名に航海に慣れた者三十人を伴わせて派遣し、代わりに操縦させることにしたと言上した。
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これを見ても明らかだろう。この当時、尖閣諸島周辺の航路を熟知していたのは琉球人であり、中国人ではなかったのだ。

実際に中国の冊封使の船福州から琉球へ渡った回数は、明時代十六回、清時代八回の計二十三回に過ぎないが、逆に琉球から福州へ向かった進貢船は明時代百七十三回で、清時代六十八回の計二百四十一回に及んでいる。また琉球船はこの海路を行き来して、南方諸国とも盛んに交易を行っていた。

それであるなら、尖閣諸島を「発見」したのは、中国人ではなく琉球人である公算が非常に大きくなる。「命名」にしても、琉球人によって行われ、それが中国人に伝えられた可能性もかなり高い。少なくとも中国人が「発見」したと断言するのは不可能だ。

かくして中国による「発見」「命名」を根拠とする主権の主張は通用しなくなる。
もっとも実際には、そのような主張は最初から根本的に破綻しているのである。もし中国が国際法に照らして領有権を主張したいのなら、日本が支配する以前に尖閣諸島を「実効支配」していた証拠を示す必要がある。「発見」「命名」などは、証拠とはなり得ないのだ。

久米島より西側が中国領土だったと強調するのなら、それらを領土に組み入れていたことを示す証拠を示さなければならないのであるが、それを中国はできずにいるのである。

外務省の「尖閣諸島の領有に関する基本的見解」には「従来中華人民共和国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的、地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点はいずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とはいえません」とあるが、この程度の見解表明では中国の宣伝には勝てないだろう。

もっと具体的に「中国は大胆な法理歪曲、歴史捏造に基づく宣伝を行い、その国内外を騙し続けているが、そうした虚構宣伝はいつまでも維持できるものではない」と中国、そして世界に発信した方がいい。
歴史捏造の一つひとつを、世界が見ている前で論破しながら。
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