「毛沢東は殺人犯」と痛烈批判 「中国最強の歴史教師」、当局に「深い反省」を命じられる

投稿日: 2012年9月23日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

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 【大紀元日本5月14日】「中国の文化を破壊した毛沢東は最大の売国奴」、「天安門広場に行くと、気分が悪い。殺された四千万人の霊が集まっている。大虐殺記念館に改名すべきだ」…毛沢東への辛らつな批判や中国の歴史に対する型破りの見識で絶大な人気を集めた北京の中学校歴史教師、袁騰飛氏(38)の言動がついに、当局の限界線に達した。各掲示板は同教師の講義の映像、それに関連する書き込みを削除するよう求められたほか、所属の北京海淀教師研修学校は袁氏に対して警告や批判教育を行い、その言動について「深い反省」を行うよう命じた。

 中国国内メディア13日の報道によると、今月5日、袁氏が現在所属する北京海淀教師研修学校は、ネット上にアップされた袁氏の講義に関して、同氏に対して警告や批判教育を行い、その言動について「深い反省」を行い、今後、民営学校や外部での授業活動をすべて停止するよう命じた。北京海淀区教育委員会がネット上で発表した内容によると、袁氏は問題となった講義の映像について、「誤った言論だ」と認めたという。
 袁騰飛氏は、北京私立精華中学校の元歴史教師。精華中学校での授業の中で、「毛沢東は世界史上、稀に見る独裁者」、「毛沢東記念館に祭られているのは、両手が人民の血で染まった殺人犯だ」など、毛沢東を辛らつに批判していた。その講義は、インターネットにアップされると、その軽妙な語り口と型破りの見識で一ヶ月で百万を超えるアクセスを記録するほどの人気ぶりだ。

 その人気に圧倒され、大学の教授を講師に招く国営中央テレビ局の歴史普及講座「百家講壇」も異例に中学教師の袁氏に講義を依頼する運びとなった。それにより袁氏の人気はさらに全国区のものとなり、「中国最強の歴史教師」と呼ばれるようになった。

 毛沢東に対する批判のほか、中国の歴史の真実と一党独裁を風刺すると読み取れる発言も目立っている。「共産党政府はファシストだ」、「中国という地には一党独裁しか生まれない」、「中国の歴史教科書は5%の真実もない。まったくのでたらめだ」、「人民日報は新聞ではなく、宣伝だ。北朝鮮とイラン以外、どの国にも引用されていない。中国は地球村のならず者と仲がいい」など。

 これまでの歴史認識に真っ向から反旗を翻したこれらの発言は「袁騰飛語録」として編集され、インターネットで広まり、反響を呼んでいる。本人は「教師の責任はいわゆる真相を教えるのではなく、学生の思考能力を育てることだ。批判も許されない真相は虚言よりも恐ろしい」と自らの教育方針を主張した。

 歯に衣着せぬその毒舌についに、当局が動き出した。ネットの映像と掲示板の発言の削除のほか、同氏が逮捕されたとの噂も出ている。
 これに対し、同氏は5月9日に動画サイトを通じて「私はまったく問題ない。党、そして政府、法律を信じて、公正な判断が下されると思う」との声明を出した。いつもの語り口と違う声明に、「やはり圧力をかけられているのではないか」とさらに憶測を呼んでいる。

 かつて中国社会科学院政治学研究所所長を務め、1989年天安門事件後に米国に亡命した社会科学者の厳家琪氏は「鄧小平にしても、胡錦濤にしても、毛沢東について国民が納得できる結論を出していない。毛沢東に関する言論の抑制ではこの議論を解決することができない」とコメントした。

(翻訳編集・高遠

【大紀元日本9月21日】日本政府による尖閣列島の国有化に反発して、中国では反日デモが各地で繰り広げられている。テレビ映像を見ていると、デモ参加者の中に毛沢東の写真を掲げる者もいれば、「毛沢東万歳」と叫ぶ者もいる。彼らはどれだけ毛沢東がしてきたことを理解しているのか…? 本書を読んでそう感じる。
 北海閑人の文章は、1996年ごろから香港の月刊誌『争鳴(そうめい)』に掲載されるようになった。北海閑人はペンネームであり、その経歴を明かすことはない。それは彼が北京に住んでいる中国人だからである。もし、著者の正体を検閲機関がつきとめたらどうなるのか? 考えるだけでも恐ろしい。
 本書は「AB団大量殺戮事件」から始まる。AB団とは、国民党・蒋介石の指示により江西省でつくられた反共右派組織。しかし、AB団は1926年11月に成立し、翌年4月2日に自然解散しており、実際に存在したのは半年足らずの期間しかなかった。にもかかわらず、1930年初めころから共産党軍の内部で大量の将兵を惨殺する事件が各地で起こる。最初に「反革命を粛清し、AB団を消滅する」運動を展開したのは江西省の井崗山(せいこうざん)根拠地だった。なぜこんなことが起こったのか、その真相はいまだに明かされていない。それは、事件の首謀者が毛沢東だからであると著者は言う。当時、農民軍を率いていた毛沢東は井崗山を根城にする土着部隊と合流する。しかし、主導権を持つため、毛沢東は土着部隊の頭目二人を謀略で殺してしまう。このときに使われた名分が「二人の頭目はAB団と結託し紅軍内部で陰謀活動をしている」だった。
 しかし、凄惨な殺人はここから始まる。二人の頭目に忠誠を誓った部下が数千人ほど残っており、幹部も多数いたのだ。彼らを排除するため、めぼしい人間を拷問にかける。「自白」するまで拷問を止めない。さらに「自供」で名前の挙がった者を捕らえ、拷問し新たに「自供」させた上で処刑する。処刑の方法も弾丸を使うのはもったいないからと、刀・こん棒・石塊・縄など原始的な方法で殺害したという。その後の毛沢東の行動を暗示する導入部である。
 中国本土では決して語ることのできない毛沢東の真実の姿を、本書の中で北海閑人は冷静に語る。毛沢東の「大躍進政策」や「文化大革命」に巻き込まれた「非正常死亡者数」は四千万人から七千万人以上と推測されている。まさにヨーロッパの大国の人口に匹敵する人々が毛沢東の犠牲となっているのだ。しかし、天安門広場ではいまだに毛沢東の肖像が掲げられている。なぜなのか? この本のページをめくるたびに、毛沢東という「人間」の底知れぬ恐ろしさと狡猾さを感じる。中国国内で毛沢東が歴史の審判を受ける日はいつ来るのだろうか。 

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