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UFO大好き!矢追純一 シェア

投稿日: 2013年8月30日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★
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今なぜCIAが公式発表?
最近、取材が殺到しているエリア51。
僕が「エリア51」を日本に初めて紹介したのが、30年以上前。
まだ誰も知らなかったこの地を取材に行った時、いくつも恐い思いをした。
行く前に案内人から、「ここは本当に危険な場所」と聞いてはいたけれど、ただならぬ厳重な警戒に身の毛が立った。
実際、鉄条網ギリギリまで行っても、
施設は遥か向こうの山を越えた所にある。
現場近くに到着するや、直ぐに真っ黒なヘリが上空を旋回し、
山の彼方から僕らに向かって車が猛スピードで向かってきた。
余程の何かがあるから、これだけの厳戒体制が敷かれている。
目の前に止まった車から降りてきた屈強そうな男二人は、僕らに向かってこう言った。
「これ以上近寄れば、発砲する」と。
一体、ここには何があるのか。
回収された宇宙船や宇宙人は、ホントにここにいるのか?
ただならぬ殺気に戦慄を覚え、取り敢えず引き返すフリをした。

今なぜCIAが公式発表?2
エリア51を引き返すフリをしながら、丘の中腹に車を止めた。
ボンネットを開けて故障したかのようにみせ、
辺りを伺った。
丘の上には、監視カメラがたくさんある。
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そして砂漠には地雷のごとく、侵入センサーが地中に埋まっている。
まだヘリも近辺を旋回している。
とてもこの現場に長くいることなど出来ない。
こっそり写真を撮りながら、出来る限り周辺を観察した。
しばらくしてからボンネットを閉め、スタッフとホテルに向かった。
ホテルに戻ると、フロントに1通のメッセージがあった。
「矢追という男がいるだろう・・・」と電話があったという。
「Mr.矢追は外出中です。何かメッセージは?」と交換手が伝えると、
「言わなくても分かっているハズだ」と、それだけのメッセージ。
僕の正体はバレバレだった。
案内人とも話し合い、一旦帰国することに。
その後、何度も取材に行くものの、
信じがたい情報と危険な話が多過ぎ、
この題材でテレビ番組にすることをしばらく断念した。
そして数年後、
ほとぼりも覚めただろうと、エイヤっとばかりオンエアした。
その反響の大きさに、ホンキで身の危険を感じた。

回収されたUFOと宇宙人の研究と分析を目的に極秘計画  3
各種航空兵器を極秘に開発していたエリア51。
この施設の背後にそびえる山を越えると、
乾湖パプース・レイクに面した「S-4」という別の秘密基地がある。
エリア51とS-4は、
「プロジェクト・レッドライト」という極秘計画に基づいて建設された施設。
この情報に辿り着くまで、現地で数知れず取材とインタビューを重ねた。
行き着いたのが、僕の案内人「火の玉おじさん(僕が勝手に名付けた)」
ウエンデル・スティーブンスだった。
当時は今と違い、身元確認など時間を要した。
彼は、元空軍大佐で、自身が操縦する飛行機から何度もUFOを目撃。
しかし、上官に報告するも、その報告書が何処に上がるのか全く不明だったという。
彼は現役時代から組織に不審を抱き、ついに極秘資料を発見する。そして退役後、研究家となった人物。
僕に「エリア51とS-4」を紹介した後、身に覚えの無い罪で刑務所に監禁される。
しかし、彼が監禁されている間に、
自宅にあった、彼の血と汗の結晶である超極秘資料全て没収されていた。
僕は1982年、ついにこの「プロジェクト・レッドライト」極秘文書を彼から入手した。
imageそこには、驚くべきことに、「回収されたUFOと宇宙人の研究と分析を目的とする」と書かれた極秘計画だった。

エリア51とS-4に関する驚きの内容  4
「プロジェクト・レッドライト」という秘密計画書は、
回収されたUFOと宇宙人の研究と分析が目的と記されている。
この研究と分析を行う施設は、ネバダ州にあり、
周囲に3つの防衛基地を有すると書かれている。
なぜこの地域なのか?
この地域一帯は、原爆の実験場だった。
1940年代初期、地下核実験も頻繁に行われている。
関係者以外の立ち入り禁止にするには最も都合よく、
監視が容易い広大な敷地だった。
大規模な実験場の大半は地下に建設され、
1951年終わり頃、「プロジェクト・レッドライト」のメンバーが入居したとある。

image驚くべきことに、その研究・解析目的はこう書かれていた。
UFOの構造、推進機関、機器類、兵器などにわたっている。
更に宇宙人の生態など・・
回収されたUFOの機体は、部品を集め、組み立てられ、
あるものは修復し、米軍のテストパイロットにより飛行実験が行われた。
2機の大気圏モードの円盤型飛行物体は、
テスト飛行に成功したが、同時に大爆発を起こし大破した。
1978年、2人の宇宙人のうち1人が死亡。
残りの1人は、彼のために設計された「環境保全室内」に保護されている。
また大勢の科学者たちが20年以上もの間監禁され、
この秘密計画に参加させられている・・・
と書かれている。
他にも様々な詳細が記載されている。
僕がこの極秘文書を入手した30年以上も前から、
プロジェクトは進行していたことになる。
・・本当にこんなことがあったのだろうか?
驚愕の内容に興奮しつつも、疑問が沸いた。
ジャーナリスト魂に灯がついた。
この直後、僕は、ここで宇宙人と生活したことがある、
という重要人物の単独インタビューに成功した。
その内容は更に驚くべきものだった。

S-4で宇宙人と直接会った博士   5(長文です)
僕には、まだ 「プロジェクト・レッドライト」という秘密計画に疑問があった。
今でも、僕の口が裂けても絶対に言えない、
極秘情報を提供してくれる超重要人物から、
宇宙人と生活したとされる、
マイケル・ウルフ博士を紹介してもらった。
そして、単独インタビューに成功した。
アメリカ、とあるホテルの部屋に入ると、
監視役だろうか2人の男が博士を挟んで立っていた。
博士は車椅子に座り、細身で眼光の鋭い人だった。
しゃがれ声でゆっくり話す、いかにも教養の高そうな人物。
当時、55歳のマイケル・ウルフ博士は、
奥さんと子供を交通事故で失ったばかりだった。
マクギル大学で神経学を、MITで物理学を修め、
「MJ-12」の組織する秘密委員会の委員長も努めている大変な地位の人物。
その彼が何故インタビューを?
インタビューの一部を紹介しよう。
Y「S-4という地下秘密基地で宇宙人と一緒に研究を?」
『S-4区域には地下30階に及ぶ巨大な施設があり、その一角で、
みなさんがグレイと呼んでいる身長の低い宇宙人たちと話をしました。
会話は絵文字も使いましたが、主にテレパシー交信のようなもので話が出来ます。
彼らは“ゼータ・レティキュライⅠ・Ⅱ”という連星から来たということでした』
Y「宇宙人が地球に来る目的は?」
『1つは地球人の研究です。生物学的・社会学的にどのような生物なのか。
また、人間の科学は彼らの科学とどのように違うのかなどです』
Y「S-4で宇宙人のUFOに似たものを、こっそり製造しているのは本当か?」
『詳しいことはお話できませんが、プロトタイプは完成しているものの、プロトタイプの域を出ていない段階です。
宇宙人のUFO飛行原理は、空間を移動するのではなく、
UFOが時間を越えて、空間を引き寄せるのです。
そうすることで、加速度は無限にまで引きのばされ、
時間はゼロに限りなく近づくことができます。
このプロジェクトは大統領すら全く知らされていません。
しかし、“オーロラ”という名で知られる“SR-33A”という航空機は、
宇宙空間では反重力を使って月や火星にも行ける構造になっている、ということまでは言ってもいいでしょう』
Y「宇宙人は今でも、S-4の地下施設にいるのか?」
『詳しくは言えませんが、エドワーズ空軍基地の地下深くに、
“ヘイスタック空軍研究所”があります。
そこには、厚さ90cmのコンクリートの壁に、数多くの電線が張り巡らされている、ということだけは言ってもいいでしょう。
宇宙人は強力な電磁場の中では、消えることも、
逃げることもできないということもわかっています』
・・・既に移されているのか?
その後も質問は続いた。
『実は、軍の内部にも2つの勢力があるのです。
友好的な外交関係を結びたい平和なグループ。
もう1つは、宇宙人を恐れて撃墜しようとする“CABAL(陰謀)”
と呼ばれる恐ろしいグループです。』
ウルフ博士の話では、父親ゆずりなのか、
子供の頃からUFOとコンタクトが取れ、交信ができた・・・と、にわかには信じがたい、驚くべき内容ばかりだった。
そして、
『いずれにしても、わたしは最愛の者たちを失った今、
失うものは何ひとつないのです。
そして、このような人類全体にとっての大問題を、
いつまでも隠し続けていることは、次の世代の若者たち・・非業の死を遂げた私の愛する息子ダニエルの世代に対する、
我々大人たちの犯罪ではないかと思うに至りました。
そこで、上層部からストップがかかるまで、
ひょっとして私が暗殺されるようなことになるまでの間は、
できる限り、知っていることを公表しようと決心したのです』
ここでは内容を大幅にカットするけれど、
このインタビューは更に真相を探るべく続いた。
この後、UFOに乗った科学者と直接インタビューに成功した。

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今噂のエリア51.S-4で、UFOに搭乗し推進装置に携わった科学者
僕がインタビューしたその彼は、
CITで電子工学、MITで物理学博士を取得後、民間企業へ。
その後、ロスアラモス国立研究所の中間子物理学研究施設に勤務。
そこで、高エネルギー粒子ビーム加速器、
すなわち、SDI宇宙兵器の研究に携わった秀才科学者。
ロバート・ラザー(通称ボブ・ラザー)だった。
彼とは何度かインタビューをした。
お世辞にもカッコがいいわけじゃない。
けれども、スポーツカーに乗り、細身でフランク。
女性にモテそうないい奴だった。頭はメチャクチャよかった。
彼へのインタビューの一部を紹介しよう。
Y「どんなきっかけでS-4に?」
『ひょんなきっかけで、水爆の父と呼ばれるエドワード・テラー博士と話す機会がありました。
その数年後、突然、ネリス空軍基地内のS-4で科学者として働かないか?とお誘いがあり、
条件もよく、面白そうな研究課題だったので勤めることにしました。』
Y「S-4にはいつどんな状況で?」
1988年12月、日時が指定され、ロスのマッキャラン空港に行くと、マークのないボーイング737が待機していました。
他の職員たちと乗り、そしてエリア51の滑走路に着きました。
しばらく、カフェで待った後、窓を全部黒く塗りつぶしたバスに乗せられ、S-4に到着しました』
Y「S-4での仕事と、その時の状況を教えてください」
『現地についた初日、3人の武装した警備員に取り囲まれ、オフィスに入りました。
机の上にあるおびただしい書類に目を通すと、そこではじめて、アメリカの軍部がいくつもの宇宙人のUFOを回収し、

それを隠し持っていることを知ったのです。
そして宇宙人の死体を解剖したことも・・・』
解剖報告書と一緒に写真が添付されていたという。
それは、いわゆる“グレイ”と噂されている宇宙人に似ていたという。
『どれも、わたしがはじめて見るものばかりで、吐き気をもよおしそうになりましたが、私の本来の目的は、軍の秘密兵器の研究と聞かされていたので、なぜこのようなものを見せられるのか分かりませんでした。
そして気が付いたのは、私を雇った連中は、この宇宙人のもたらしたUFOの推進力の研究・開発だろうと予測しました』
予想通りUFOの推進装置の研究を命じられたという。
そして彼は、9機あるUFOの中の1機に乗り込むことを許された。
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※写真は、通称ボブ・ラザー型UFO。これが本物かどうか未鑑定。

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セィゴドン?

投稿日: 2013年8月23日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

西郷隆盛 本当の顔 本物の写真 フルベッキ写真 13人撮り写真 

 

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※一般的な西郷隆盛の肖像写真。

今まで一般的に、西郷隆盛の肖像写真だと思われてきたものについて、近年疑問が投げかけられています。

西郷隆盛の本物写真、本当の顔はどれなのか?

西郷隆盛の姿については、上野の西郷隆盛の銅像の除幕式に立ち会った、妻の西郷いとが、「うちの人はこげんおひとじゃなか。」と言ったエピソードなどが有名です。

TOPに掲載した2枚の画像は、今まで学校の教科書にも使用されてきた、有名な西郷隆盛のイメージ写真ですが、「フルベッキ写真」の発見以降、本当に西郷隆盛なのか?ということが話題になっています。

imageこれがフルベッキ写真です。

image写っている人物の詳細はこちら。

この写真中央に写っている大柄ないかつい顔の人物が西郷隆盛だというのです。

この人物はまた、会津藩から見つかったいわゆる「13人撮り写真」にも写っており、西郷隆盛説がさらに盛り上がることになりました。

image※会津藩で発見された「13人撮り写真」。右端の人物がフルベッキ写真の西郷隆盛と同一人物。

写真を拡大して比較してみましょう。
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左:フルベッキ写真        右:13人撮り写真

これは同一人物のようです。

しかし、人相判断に勘のいい人はあきらかな違いに気が付くかもしれません。そう耳です。整形でも耳の形は変えにくいとされていますが、このフルベッキ写真と13人撮り写真でもあきらかに耳の形が異なります。

フルベッキ写真の方は耳たぶが伸びて、いわゆる福耳、一般的な西郷隆盛の肖像画に近い耳になっています。一方、13人撮り写真の方はいわゆる平耳です。

このことは13人撮り写真を発見した加治将一氏も言及していて、フルベッキ写真は修正されていると述べています。フルベッキ写真には「写真修正=田中」と書かれており、修正されたことがコメントされています。具体的にどこを修正したのかまでは不明ですが、それが西郷隆盛の耳だった可能性は否定できない、ということです。

後掲する2013年4月の読売新聞の記事に掲載された写真の「西郷隆盛」も平耳に見えます。

さて、はたして、この人物は本当に西郷隆盛なのでしょうか?

この記事TOPに掲載した一般的な西郷隆盛のイメージ写真は、西洋人画家キヨッソーネが親族の写真を合成したモンタージュであるといわれて言ます。

写真の上半分は弟の西郷従道、下半分は従弟の大山巌だという説が濃厚です。
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左:西郷従道                 右:大山巌

西郷隆盛と、西郷従道、大山巌の関係は次のようになります。
大山綱広━綱栄━綱道━綱毅━競子
              ┃
              ┣━━┳成美
              ┃  ┣巌━━━┳高
       西郷隆充┳大山綱昌 ┗誠之助 ┗柏━┳梓━━由美子
           ┃       ┃     ┣桂
           ┗吉兵衛┳隆盛━菊子    ┣檀
               ┗従道       ┗咲子
                          ┃
                          ┃
                          ┃
                 内田耕四郎━━大山健次

ここに、また新たな説があります。

西郷隆盛は暗殺を警戒して写真を残さなかったといわれています。しかし、江戸城の御用写真家で明治天皇の写真も撮影した内田九一が撮影した、薩摩藩士の集合写真に写っている人物が西郷隆盛ではないか、という説です。

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※薩摩藩士を撮影した古写真。右から二人目が西郷隆盛の本当の写真と言われている。

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※本物の西郷隆盛の写真。拡大図。

一体どの説が本物の西郷隆盛の写真を示しているのでしょうか?

このような中、2013年4月23日、読売新聞にフルベッキ写真に関する興味深い記事が掲載されました。フルベッキ写真は、従来言われていたような維新志士の写真ではなく、佐賀藩の藩校の生徒を映したものではないか、という説です。

この写真には、フルベッキ写真、13人撮り写真で、西郷隆盛ではないか、といわれていた人物がはっきりと写っています。
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※新たに発見されたガラス原版。右端が西郷隆盛とされてきた人物。フルベッキも写っている。

記事全文を引用します。

「フルベッキ写真」伝説覆す原板 幕末の志士集合写真→実は佐賀藩校の生徒

 佐賀藩が幕末、長崎に設けた藩校・致遠(ちえん)館で教育にあたったオランダ生まれの宣教師フルベッキ(1830~98年)と佐賀藩士ら計7人が写った古写真のガラス原板が見つかった。記録から明治元年(1868年)に写真家・上野彦馬が撮った可能性が高いという。撮影者や撮影日が分かる古写真は珍しく、貴重な発見だ。

 縦7・8センチ、横10・7センチ。個人所蔵の資料から倉持基・元東大特任研究員(歴史写真学)らが確認した。古写真研究家の高橋信一・元慶応大准教授によると、原板に写る佐賀藩士の一人で、中老などを務めた伊東次兵衛の日記に、明治元年10月8日に長崎にあった上野彦馬の写真館にフルベッキらと出かけ、写真を撮ったことが記されている。「若い武士は月代(さかやき)をそっておらず、時期は幕末から明治期。日記にある通り明治元年の撮影と考えられる」と言う。

 興味深いのが、西郷隆盛や坂本龍馬ら幕末の志士が写っていると言われる「フルベッキ写真」との関係。フルベッキを囲んで多数の武士が写るこの写真は、もともと明治時代に致遠館の生徒の写真として世に出ており、龍馬没後の明治元年に同館に留学した、岩倉具視の息子2人が写っている点などからも、志士の写真ではあり得ない。だが、約40年前に「慶応元年(1865年)に志士が長崎で撮った写真」とする説が出され、写真に名前をつけたものが売られたことから、「志士の集合写真」として広まった。

 しかし、原板と比較した結果、伊東以外の6人が「フルベッキ写真」にもほぼ同じ姿形で写っていた。このため、二つは同時期の撮影と考えられ、高橋さんは「原板からも志士の集合写真説は完全に否定された」とする。

 原板には致遠館の教官も確認されるといい、「フルベッキ写真」が同館の生徒らを写したものであるのは間違いないようだが、「研究があまり進んでいなかったため、史実と離れたイメージが独り歩きしてしまった」と倉持さんは苦笑する。古写真を歴史資料として生かすには、実証的な研究が欠かせないことを、今回の発見は改めて教えてくれる。(大阪文化・生活部 早川保夫)
 写真=見つかったガラス原板。前列の右がフルベッキ、その左隣が伊東次兵衛とみられる(倉持さん提供)
 写真=幕末志士の集合写真と言われている「フルベッキ写真」。フルベッキが中央部分に写っている(倉持さん提供)

2013年04月24日読売新聞  東京朝刊 文化 27面

ますます、混沌としてきた西郷隆盛の真の肖像。

韓国はゆすりとたかりのヤクザ国家だ

投稿日: 2013年8月19日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

◎どうやらわかりました。最近、韓国がいろいろ「イチャモン」をつけるわけが。やはり、お金でした。

2018年に、韓国の平昌で開催される「冬季オリンピック」開催、運営のお金が韓国には無いので、日本に、踏み倒し前提の借金の要請です。お金が無いのに、日本のお金をあてにして候補地の立候補をしたらしいのです。

しかも、それを日本の前民主党政権下で内諾を得ていたらしいのです。

まさに、「イラ菅」ですね。 菊地正拝

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井上太郎さんのブログより抜粋転載ですっ!!!!!

言っても無駄だけど、南朝鮮よ、いい加減にせい!!(冬期オリンピックで日本に多大な要求!?)

http://fornihon.blog.fc2.com/blog-entry-192.html

2013/08/16 16:50

一昨年の夏にIOC国際オリンピック委員会は、2018年の冬季オリンピックに南朝鮮の平昌での開催を決定しました。まあ日本の札幌オリンピックから約半世紀、その間に日本は長野オリン ピックも開催されていますが、どうにかアジアで日本に続き、半世紀も経ってしまったけれども南朝鮮でも冬季五輪がやっと開催されることになりました。

それだけなら「南朝鮮よかったね、でもそれまでにユン・ソナはおばあさんになっちゃうよ、そうだサッカー等でも経験のある得意の例の手がありますね、がんばって ください。」で済む話しですが、日本も少なからず影響受けるとなっては大変な問題だと思います。

日本と南朝鮮の間では(南朝鮮に限らず各国と、主として外務省が)いわゆる官僚の事務レベルにおいて様々な分野で協議が続けられています。

その中でどうしても両国の間では 歴史問題等に目を奪われがちですが、日本国民として少しでもその内容を漏れ聞くと怒りが噴出するのが、南朝鮮からの支援の依頼です。

言葉が悪くなりますが、弁解させていただけばあまりにも南朝鮮のバカさ加減につい冷静さを若干失います。おそらく読まれる方、日本人なら「国交断絶」と叫ぶレベルになると思い ます。

従って時々言葉悪くなりますがお許しください。何処まで図々しい厚顔無恥の破廉恥国家なのか、その理由と更にその理由の一つとして民主党が原因なのですが、日韓基本 条約にまで遡らなければなりませんが、

それは後半のもっと深刻な事案の中で説明します。とりあえず事務レベル協議が定期的に開かれ、そのほとんどは日本へのタカリだということを理解してください。

そして平昌オリンピックについてです。まだ5年以上先であり特にメディアも取り上げていませんが、既にとっくに南朝鮮による日本へのタカリは始まっているのです。そして そのタカリは、日本の歴史問題に絡め当然のごとくであるとの要求という畜生にも劣らざ るものといわざるをえません。

元々何故南朝鮮の平昌が選出されたのか?地形からしてアルペン競技(滑降

の確か3種目、回転競技等)は無理といわ れていました。

つまり雪質に恵まれ且つ、競技できる充分な広さの地形に恵まれていないということです。さらには予算面が明確に確保されておらず、何処の空港使うのか、いずれにしろ国際空港は確かわずか3空港しかないのに、空港から競技会 場までの交通アクセスに疑問がありました。

南朝鮮のIOCへの説明計画書では、アルペン競技は山を削り整備するというものです。まあ南朝鮮人は海に遊びで作る砂山と同じような感覚だとしか考えられな いアホなので無理もありません。

スーパー大滑降ともなれば急斜面もあれば、距離も全長4キロメートルくらいになります。少なくとも標高の高低差も数百メートルは必要なので大滑降なのです。

簡単に山を削るといってもコース幅も場所によっては500メートルくらい必要な場所もあります。

現在はとてもそのような整備は不可能といわれています。

さらに深刻なのがリージュとかボブスレーです。現在南朝鮮内にはたった一つのコースもありません。

ジャマイカチームの映画くらいは見たことあるのかも知れませんが、競技人口はゼロといわれているのです。

つまり用具も南朝鮮内にはないということです。あきれ果てるより何か惨めに思え、つい同情したくなります。

というのはウソで 他のことを考え合わせるとどうして冬季五輪に名乗り 出たのか気が狂ったとしか思えません。

元々狂っているのだからという声も聞こえますが思わずその声に納得してしまいます。

コースの設計ノウハウもなく資金も予算化されていない、果たしてどうすればコース等が完成するのか、リージュは世界初の室内で何とかなるなどともう異常です。それではどん な思惑があるのでしょうか?

はい、皆さんこの先を読む前に理解してしまいました。

そうです、日本の技術とコース設計、そして資金を要求してきています。

日韓サッカーワールドカップで、スタジアム建設費用の300億円を借款しておいて利息も一文も払わずにすっとぼけている盗人国家であること忘れてはいけません。

もっと驚くことに日本の協力が得られるとの言葉を了解もなくIOCに発言していたのです。

そして日本への言い分として、そして紛れも無い事実なのですが、オリン ピック直前合宿や調整等、南朝鮮内では不可能なので各国選手と役員等数万人が日本に滞在し経済効 果がある、それは平昌オリンピックのおかげなんだから資金を援助しろと要求してい るのです。

ダイアナ元妃の死は「おぜん立てされた」 ロンドン警視庁の新情報「英特殊部隊関与」

投稿日: 2013年8月19日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

 ロンドン警視庁は17日、1997年のダイアナ元英皇太子妃の死去に関して新たな情報を最近入手し、その信憑(しんぴょう)性について調査中と発表した。同庁は情報の内容について明らかにしていないが、複数の英メディアは英特殊部隊が元妃の殺害に関与しているとの内容だと報じた。死因をめぐっては2008年に「過失による交通事故死」と公式結論が発表されているが、根強い陰謀説が再燃しそうだ。(サンケイスポーツimage

 ダイアナ元妃の死去に関して発覚した新情報。再び陰謀説が浮上し、英国は蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。

 英メディアの報道を総合すると、新情報は英陸軍特殊部隊「SAS」が、ダイアナ元妃殺害に関与したとする内容。SAS狙撃兵のダニー・ナイチンゲール被告(38)が、銃の不法所持罪に問われている軍事裁判で明らかになった。

 新情報をもたらしたのは、ナイチンゲール被告の元ルームメート「兵士N」の妻の両親。この両親が2011年9月にSAS指揮官に送った手紙に、兵士Nから得た情報として書かれている。兵士Nが検察側の重要証人となったことから、手紙はSASから軍事法廷に提出され、発覚した。

 英紙サンデー・ピープルはこの手紙のコピーを入手したとしている。同紙によると、手紙は7ページの手書き。妻とその両親に対する兵士Nの結婚生活破綻後の振る舞いについて書かれており、その中で「彼(兵士N)は妻に、『ダイアナ元妃の死をおぜん立てしたのはXXXで、そのことは隠蔽された』と話した」とする部分があるとしている。「XXX」はSAS関係者という。

 ただ、なぜSASが関与したのかや、具体的にどのような方法が用いられたのかなどについては明らかにされていない。

 ダイアナ元妃の死因については2008年、英国の死因究明審問で「過失による交通事故死」と公式な結論が出されており、ロンドン警視庁は「情報の信憑性の調査は再捜査ではない」と強調。英国防省は「この問題に関してはコメントしない」とし、英王室も「チャールズ皇太子、ウィリアム王子、ヘンリー王子はコメントしない」としているという。

 しかし、ダイアナ元妃の死に関しては、かつてさまざまな“疑惑”が報じられた。新情報が明らかになったことで、再び波紋が広がりそうだ。

ダイアナ元妃をめぐる謀殺説

 ★イスラム教改宗 ダイアナ元妃が、恋人でイスラム教徒のアルファイド氏と結婚を決め、イスラム教に改宗を決意した場合、将来の英国国教会の首長である英国王の母が、イスラム教徒であるという矛盾が生じる。それを防ぐために、画策されたという説

 ★影響力排除 ダイアナ元妃がアルファイド氏の子供を妊娠しており、出生後にアルファイド一族によって将来の英国国王の異父兄弟としての地位を利用されることを恐れて、政府などが暗殺したという説

ダイアナ元妃の交通事故死

 1997年8月31日、イギリスのデパート「ハロッズ」、パリの高級ホテル「ホテル・リッツ・パリ」の所有者であるエジプトの億万長者、モハメド・アルファイド氏の息子で、当時の恋人だったドディ・アルファイド氏とともに、ホテル・リッツ・パリからハイヤーで外出したところ数名のパパラッチに追跡された。運転手が振り切ろうとしたが、トンネルの支柱に激突し車は大破。ダイアナ元妃、ドディ・アルファイド氏、運転手が死亡した。事故後、アルコール依存者で非番だった警備担当者の男性が、当日になって運転手として呼び出されたり、元妃が病院に運ばれるまでに2時間もかかったなど不可解な点が指摘された。

SAS

 英陸軍の特殊部隊で、特殊空挺(くうてい)部隊(Special Air Service)の略称。第2次大戦中に編成された、敵地で破壊工作を行う世界最初の特殊部隊。敵地での破壊工作、偵察、要人警護、治安維持、人質救出など幅広い任務に対応し、世界の特殊部隊の手本にもなっている。北アイルランドでの治安維持(1969年-)、湾岸戦争(91年)、イラク戦争(2003年)など実戦経験も豊富。

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ダイアナ元妃

 1961年7月1日、ジョン・スペンサー子爵とフランセス夫人の3女として生まれる。81年7月29日、20歳でチャールズ皇太子と結婚。82年に長男のウィリアム王子、84年に次男のヘンリー王子を出産。その後、結婚前から続いていたチャールズ皇太子の不倫をめぐるストレスから自傷行為や過食嘔吐(おうと)などの摂食障害に陥る。92年12月9日に別居し、96年8月28日に正式離婚。離婚後は複数の男性との交際が報じられた。97年8月31日にパリで交通事故死。36歳。

韓国人女性学者が「朝鮮人女性をだまして虐待と搾取したのは朝鮮人だった」と指摘!

投稿日: 2013年8月19日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

元記事

http://tinyurl.com/kxoh6x5

ついに韓国側から「慰安婦の実態」が明らかにされました!
   皆様のお力で、日本全国、世界中に「真実」を拡散してください!

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裕河(パク・ユハ)世宗(セジョン)大日本文学科教授
   韓国人学者の中には「まれに」こういう立派な人がいます。
   ただし、生命の危険を含めて、相当ひどい「親日派」バッシングが
   今後、朴裕河教授に行われる可能性が高いです。
私たちはこの勇気ある韓国人女性学者の安全と成功を祈ろうではありませんか。
   以下、「ソウル新聞」からの記事です。
 朴裕河(パク・ユハ)著  「帝国の慰安婦」への書評記事です。

韓日関係はいつも平行線だ。独島(ドクト、日本名:竹島)問題や日本の右傾化、歴史清算問題など各種問題をめぐり、衝突と漂流を続けてきた。この中には‘慰安婦’という大きな宿題も含まれて いる。

 光復68周年に際して出版された朴裕河(パク・ユハ)世宗(セジョン)大日本文学科教授の本「帝国の慰安婦」では「韓国人が持っている慰安婦のイメージは慰安婦の‘記憶と経験’の半分に過ぎない」と批判する。彼女は私たちが既に知っていることとは少し違った慰安婦問題の隠された半分の真実、聞きにくく敬遠したい話を掘り起こす。

 この本は慰安婦らの証言を通じて私たちの恥部を率直に表わす。女性たちをだまして戦場に引っ張っていき虐待と搾取を日常的に行った主体は大部分が同胞の朝鮮人の民間会社だった事実を慰安婦の証言を通じて明らかにする。もちろんそうであっても人間の尊厳を傷つける‘構造’を作って最後に加担したのが日本軍だったのは事実だ。

 しかも私たちの記憶の中の慰安婦は‘日本軍の軍靴に踏みにじられるか細い十五の少女’でなければ‘老躯をかって闘う闘士’だ。だが、これは「日帝が14~25才の女性労働力動員のために女子学生を中心に募集した挺身隊と混同した結果」とし「こういう錯綜したイメージが日本に対する憎しみを強化し、本来、同族を売り飛ばした私たちの罪に目をとじさせているのではないか」と著者は問い直す。

 著者はその慰安婦に向かって固定された民族主義的に偏向した認識を変えることが、かえって過去の歴史清算と東アジア平和の近道になると主張する。植民地支配が引き起こした野蛮な暴力である慰安婦問題を今のように長期化し、未解決状態に追い詰めたのは冷戦的思考だったというのも著者の解釈だ。 (ソウル新聞・韓国語)http://www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=40792&yy=2013

朴裕河教授の主張
  ①
女性たちをだまして戦場に引っ張っていき虐待と搾取を

   日常的に行っ た主体は大部分が同胞の朝鮮人の民間会社

        だった事実

  ②
同族を売り飛ばした私たちの罪に目をとじさせている

        のではないか

  ③慰安婦に向かって固定された民族主義的に偏向した

        認識を変えることが、かえって過去の歴史清算と

        東アジア平和の近道になると主張
                   なでしこりんです。 

ついに出ましたか!よかったです。実はあまり大きな声では言えませんが、韓国人の年配者のほとんどは、朴裕河(パク・ユハ)教授と「同じ考え」を持っているんですよ。実際、現在、81歳以上の韓国人女性で、高等教育を受けていた人たちは、「勤労挺身隊」の動員経験があり、その結果、「挺身隊は売春組織ではない」ことを直接知っていますからね。年配者の中には、日本をゆする韓国人売春婦を非難する人たちもいるんです。でも、それが「韓国の世論」になることは決してありませんが・・・。
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当時の朝鮮人女子学生たち。服装や髪型に環境の良さが見える。慰問袋に品物を入れる作業中

私たちができることは、朴裕河(パク・ユハ)教授を応援して、その著書の日本語版の出版を求め、実際に購入することです。 これは一種の「情報戦」ですね。自民党の議員の先生たちにも、この「帝国の慰安婦」を教えてあげてください。これはとても重要な情報ですからね。英語版も作れば、アメリカでの「インチキ慰安婦碑」建立阻止に役立つ可能性があります。

実際問題、朴裕河(パク・ユハ)教授の今後の身辺は大変危険なことになると思います。戦時韓国人売春婦たちのバックにいるのは「反日教育」を推進している北朝鮮支持派(従北派)が多いんです。ですから、日本側に有利なことを少しでも発表すると「親日派バッシング」が開始されますし、例の「土下座」を強要されるかもしれません。とにかく、韓国側が不利になることは一切認めたがらない連中ですからね。

皆様、これは大きな「武器」ですよ。韓国は今まで「ウソも100ぺん言えば事実になる」という戦法を取ってきており、アメリカ人の中には、そのウソにだまされる人もいたわけです。 私たちの武器は「真実」です。私たちの祖父や父たちは、決して「少女の誘拐や拉致は行わなかった」ということを証明する上では、「韓国人女性学者の著作」はよい武器になると思います。 ぜひ皆様の手で、「真実」を拡散していきましょう。あなたもぜひこの「日本の名誉を守り、真実を明らかにする戦い」に参戦してくださいね。 By なでしこりん
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これも「日韓併合」時の朝鮮人家庭。右から2番目が亭主。3番目が日本人客。

日本維新の会」の道州制や大阪都構想は、日本を滅ぼす。

投稿日: 2013年8月16日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

首相と維新、堺屋参与起用で本格接近? 「改憲パートナー」「都構想実現」双方期待

2013.8.16 07:46 (1/2ページ)[安倍内閣

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 安倍晋三首相は、成長戦略の助言役として堺屋太一元経済企画庁長官を内閣官房参与に起用した。堺屋氏は、日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)のブレーンであり、橋下市長の最大の政策課題である「大阪都」構想を推進する。憲法改正の下地作りのためにも維新の協力を得たい首相の思惑に、橋下氏も都構想実現に向け官邸の協力を得ようと乗った格好だ。安倍官邸と維新の接近が本格化したとの見方が出ている。(坂井広志)

 堺屋氏の人事は、菅義偉(すが・よしひで)官房長官が参院選投開票の7月21日から数日後、首相に進言して決まった。

 菅氏「内閣官房参与に堺屋さんがいいんじゃないですか。橋下さんにも近いですし…」

 首相「おお、そうだ、そうだ」

 菅氏は橋下氏や松井一郎維新幹事長(大阪府知事)と昵懇(じっこん)の間柄だ。堺屋氏に辞令が出た翌9日、橋下氏は記者団に「うれしいし、大変心強い。維新と首相官邸が直結する重要な役割を担ってもらえる」と手放しで喜んだ。

 堺屋氏は大阪府市特別顧問であり、府市規制改革会議会長や府市統合本部委員を務める。堺屋氏は橋下氏との共著「体制維新-大阪都」(文春新書)で、都構想について「明治4年の廃藩置県以来の大改革」と強調する。

 橋下氏は参院選後、国政からは一歩身を引き、市政に専念する考えを表明した。都構想を実現させ、本格的な国政進出を含めた次への足がかりにしたいとの考えだ。その直後に堺屋氏の内閣官房参与起用が発表された。橋下氏にとっては「渡りに船」(野党有力者)といえる。

 官邸サイドにとっても、維新の取り込みは重要だ。

 首相は、憲法改正に入る前に、改正ルールを定めた国民投票法が求める投票年齢の引き下げなど「3つの宿題」の解消を最優先に取り組む意向を表明している。自民党は、維新の同法改正案をたたき台に修正協議に入る方針だ。

 連立相手の公明党が憲法改正に慎重な言動を繰り返すため、維新は憲法改正のパートナーになりうる。官邸サイドには維新に対し、民主党やみんなの党の内紛に乗じて野党を再編し自民党の対立軸をつくるよりも、憲法改正で自民党と共闘してほしいとの思惑も見え隠れする。

 大阪維新の会系議員は「自民党ができないことを言っていく。自民党に緊張感を持たせて、改革の方向に動かすのは維新だ」と言ってはばからない。旧太陽の党系も「維新は自民党を牽引(けんいん)する機関車の役割を果たさなければならない」と訴える。「東西対立」がクローズアップされがちな維新だが、大阪系も旧太陽系も元をたどれば自民党だ。

 ただ、安倍政権の補完勢力とみられてしまうと、維新は永田町で埋没する。維新は安倍政権に対し「是々非々」を掲げてきたが、協調路線に傾くか、野党再編を主導し対決色を強めるか、内部ではせめぎ合いも始まりつつある。

【阿比留瑠比の極言御免】 韓国「事大」と「自大」拍車

投稿日: 2013年8月16日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

2013.8.16 08:52 [日韓関係

 韓国の李明博前大統領の竹島(島根県隠岐の島町)上陸をきっかけに、悪化の一途をたどる日韓関係に関して今年5月、国際政治学者の中西輝政京大名誉教授からこんな見方を聞いた。

 「韓国は事大主義だが、夜郎自大でもある。自分のことを理由もなく『でかい』と思っている」

 まさに言い得て妙である。膨張する中国にすり寄る一方、歴史問題で道理も法理も無視して日本たたきに熱中する韓国のあり方を簡潔に言い表している。

 言うまでもなく、事大主義とは「定見がなく、勢力の強いものに従う主義」のことで、夜郎自大とは「自分の実力も世間も知らず、狭い仲間内で威張っていること」を意味する。

 そしてこの2つのキーワードを用いると、一見不合理・不条理に思える韓国の対日姿勢が理解しやすい。

 そもそも、韓国が対日攻撃を強めだしたのはなぜか。日本からすると、「われわれは竹島問題をはじめ韓国側に対し何もチャレンジしていない」(政府高官)と不思議に思うところである。だが、その理由は竹島上陸直後の李氏自身の次の発言が示唆している。

「国際社会での日本の影響力は、以前と同じではない」

 要するに日本の経済力が低下し、国際的な発言力が弱まったのでもう遠慮はいらないと開き直ったのである。がっかりするような低次元の話だが、韓国の対日認識の一つのありようを象徴しているといえる。

 また、日本の地盤沈下と時を同じくして「主筋」に当たる中国が著しい経済成長を見せ、存在感を高めたことも韓国の日本軽視に拍車を掛けたのだろう。

 韓国が国際的に認知された「日本海」という呼称に難癖をつけ、「東海」と呼ぶよう世界各地で働きかけている問題について、元外務省幹部はこう憤る。

 「韓国は国内では、中国大陸と朝鮮半島の間にある『黄海』のことを『西海』と呼んでいる。そのくせ、中国に対しては一切文句をつけようとしない。彼らは骨の髄まで事大主義だ」

 歴史問題にしても、韓国は朝鮮半島を事実上、支配した中国やモンゴルには、日本に対するような執拗(しつよう)な謝罪要求や内政干渉は行わない。明らかなダブルスタンダードだが、それを疑問に思うこともない。

 「韓国はいまだに中国を中心とした『華夷(かい)秩序』の信奉者なのは変わらない」

 日韓外交筋はこう断言する。就任当初は日韓関係改善への期待が寄せられた朴槿恵大統領にしろ、「就任前から『米中韓』の枠組みには言及しても『日米韓』という言葉は使わなかった。中国に思い入れたっぷりだ」(同)とされる。

 つまり、民主党政権が唱えた「台頭する中国に対抗するために韓国との連携強化を目指す」との主張は「片思い」に終わる運命だったのだ。それどころか、朝鮮王朝儀軌の引き渡しなどの「善意」は、かえって対日文化財返還要求の過激化を招いただけだった。

 それではそんな韓国とどう向き合えばいいのか。外務省幹部はこう明言する。

 「日本は経済面でも安全保障面でもより強くならないといけない。彼らは強い者には弱いから、いずれすり寄ってくる」

 韓国の国際世論工作には反論しつつも、基本的には相手にしないのが一番だろう。(政治部編集委員)