知らなかった1945年からの歴史・・・

投稿日: 2013年8月11日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

産経新聞 阿比留瑠依政治部記者のFBからシェアしました。

東京裁判でインド代表のパール判事の言葉が・・・・・・・

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先日、産経紙面上のコラムで、東京裁判の判事で唯一の国際法専門家だったインド代表のパール氏が、広島の原爆死没者慰霊碑の碑文について述べた言葉を引用したところ、それなりに反応があったので、きょうはパール氏のそれ以外の印象深い言葉をいくつか抜粋紹介しようと思います。
釈迦に説法ですが、パール氏は判決文(意見書)の最終章である「勧告」で、「本官は各被告はすべて起訴状中の各起訴事実全部につき無罪と決定されなければならず、またこれらの起訴事実の全部から免除されるべきであると強く主張する」と全員無罪を主張しました。「裁判を仕組んだ側の連合国当局の驚愕と狼狽(ろうばい)は言語に絶した」(日本側弁護団副団長の清瀬一郎氏)とされます。
【パール判決文からから】
「時が熱狂と偏見をやわらげた暁には、また理性が虚偽からその仮面をはぎとった暁には、そのときこそ、正義の女神は、そのはかりを平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するだろう」
「戦勝国は、敗戦国に対して、憐憫から復讐まで、どんなものでも施し得る立場にある。しかし、戦勝国が敗戦国に与えることのできない一つのものは正義である。少なくとも、もし裁判所が法に反し、政治に根ざすものであるならば、その形や体裁はどう繕っても、正当な裁判とはいえない」
「もし非戦闘員の生命財産の無差別破壊というものが、いまだに戦争において違法であるならば、太平洋戦争においてはこの原子爆弾使用の決定が、第一次世界大戦中におけるドイツ皇帝の(無差別殺人の)指令、および第二次世界大戦中におけるナチス指導者たちの指令に近似した唯一のものである」
「本件の被告の場合は、ナポレオンやヒトラー(など独裁者)のいずれの場合とも、いかなる点でも、同一視することはできない。日本の憲法は完全に機能を発揮していた。元首、陸海軍および文官は、すべての国家と同様、常態を逸しないで、相互関係を維持していた。(中略)今次行われた戦争は、まさに日本という国の戦いだった。これらの人々は、なんら権力を簒奪したものではなく、国際的に承認された日本国の機構を運営していたにすぎなかった」
【日本での講演から】
「私は日本に同情するがため、かの意見を呈したのではない。私の職務は真実の発見である。真実を探求した結果、かような結論になった」(昭和二十三年、東京弁護士会での講演)
「日本とドイツに起きたこの二つの国際軍事裁判を、他の国の法律学者がこのように重大問題として真剣に取り上げているのに、肝心の日本において、これが一向に問題視されないというのはどうしたことか。これは敗戦の副産物ではないかと思う。米国の巧妙なる占領政策と、戦時宣伝、心理作戦に災いされて、過去の一切があやまりであったという罪悪感に陥り、バックボーンを抜かれて無気力になってしまった」(二十七年、大阪弁護士会での講演)
「一九五〇年の英国の国際事情調査局の発表によると、東京裁判は結論だけで、理由も証拠もないと書いてある。(中略)私一人は無罪と判定した。私はその無罪の理由と証拠を微細に説明した。しかるに他の判事らは、有罪の理由も証拠もなんら説明していないのである。おそらく明確にできないのではないか」(同年、広島弁護士会での講演)
「米国は原子爆弾を投下すべき何の理由があったであろうか。日本はすでに降伏すべき用意ができていた。(中略)これを投下したところの国から、いまだかつて真実味のあるざんげの言葉を聞いたことがない」(同年、広島での世界連邦アジア会議での演説)》
……私はかつて、来日したパール氏の息子さんと握手する機会があり、今もそれはとても大事な記憶となっています。もちろん、パール氏を神格化したり、全部正しいなんて言ったりする気はありませんが、あの時代にあって、こういう意見を堂々と述べてくれた人がいたことはやはり本当に有り難いとも感じています。
ただ、東京裁判でパール氏が被告全員無罪を訴えたことはよく知られていても、具体的に述べた内容は知らないという人がけっこういるので、何かの参考になればと思います。

 さきほど投稿したインドのパール判事の言葉は、平成17年8月1日付産経紙面に前面見開きで載った特集記事「これで分かる東京裁判」に私が書いたものです。この特集は私と加納宏幸記者が執筆したもので、さきほど要望のあったオランダのローリング(レーリンク)判事についても取り上げているので、その部分と原爆投下に関する部分をここにアップします。
《■オランダ判事「裁判誤り」、竹山道雄氏に後年吐露
小説『ビルマの竪琴』の作者として知られるドイツ文学者の竹山道雄氏(故人)は昭和二十二年に偶然、東京裁判のオランダ代表判事、ローリング氏と知り合い、裁判について親しく意見を交わすようになった。
竹山氏の著作『昭和の精神史』などによると、ローリング氏は「東郷をどう思うか」とA級戦犯とされた東郷茂徳元外相について意見を求めたり、裁判への疑問を述べた竹山氏に対し、「いまは人々が感情的になっているが、やがて冷静にかえったら、より正しく判断することができるようになるだろう」と漏らしたりしている。
ローリング氏は二十三年十一月の東京裁判の判決時には、オランダ政府の意向に逆らい判決内容に反対する意見書を提出。意見書は被告全員を有罪とした本判決とは異なり、畑俊六、広田弘毅、木戸幸一、重光葵、東郷茂徳の五被告に無罪判決を下した。
それから八年後の三十一年、オランダを訪問した竹山氏に対し、ローリング氏は「あの裁判は誤りだった」と東京裁判を批判。さらに「もしあの裁判がいま行われれば、あのようには考えられないだろう。俘虜虐待などの通常の戦争犯罪は別として、政策の結果として起こったことに対しては、ああいう結論にはならなかっただろう。おおむねインド人のパールのように考えただろう」と振り返っている。
◆◇◆
■原爆投下、完全にタブー視
東京裁判の公判第五日の昭和二十一年五月十四日、米国人のブレイクニー弁護人の弁論が途中から日本語に通訳されないという珍事が起きた。ブレイクニー弁論は日本文速記録でも「以下通訳なし」とされて明らかにされず、英語能力に乏しい日本人には中身が伝わらなかった。実は東京裁判でタブーとされた米国による原爆投下に言及したため、通訳が止められたもので、連合国側が原爆問題に神経質になっていた様子が分かる。
ブレイクニー氏は「国家の行為である戦争の個人責任を問うことは、法律的に誤りだ」「戦争は合法的だから、戦争での殺人は罪にならない」と指摘。そのうえで、「(訴因の一つの)真珠湾爆撃による米軍人の死が殺人罪になるならば、われわれは広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。(中略)何の罪科で、いかなる証拠で、戦争による殺人が違法なのか。原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認した者がいる。その人たちが裁いている!」と訴えた。
通訳が止められた件については、清瀬一郎弁護人が抗議し、ウェッブ裁判長は「必要な翻訳は、できるだけ早い機会に提供する」と答えたが、その後も翻訳文は配布されなかった。
東京裁判ではこのほか、原告団のソ連への配慮からか「共産主義の脅威」もタブーとされた。》
……私は日本が戦争に負けた以上、勝者が押し付けてくる戦後秩序をある程度受け入れるのはやむを得なかったとは思います。ただ、やむを得ずそれを受け入れたとしても、別に全部肯定したり、納得したりしなければいけないことにはならないはずです。受け入れつつも、「それはおかしいね」ということを押さえて、かつ主張し続けることだってできるし、編に自粛する必要はないと思うのでした。

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