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人工物質が肉体を破壊してゆく;重曹は放射能汚染除去にも強い威力

投稿日: 2014年3月28日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

重曹は放射能汚染除去にも強い威力

印刷用へ】 SQ Life リンク
より、以下引用
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自然な方法で放射能による悪影響から身体を保護したい人に
ミシシッピの義理の従姉アレンダが新たな情報リンクを教えてくれたので、早速和訳しました。ご参考になれば嬉しいです。
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自然な方法で放射能による悪影響から身体を保護したい人に
ここでは、
・医学的分析目的(蛍光透視法、マンモグラフ、その他の医学的X線検査)
・放射線治療
・その他何らかの過重・有害量の放射線に晒されている場合
(例えば、原子力発電所の近隣に住んでいる、検査用放射線機器を扱う職種、核処理産業での就労、ウラン鉱山勤務、ウランまたはプルトニウム処理場で勤務など)
・劣化ウラン(DU)
・核兵器試験
・頻繁な高度飛行
・核災害(日本の原発事故のように)
などの放射性粒子または高イオン化放射線被ばくを受けている場合に、自然な方法を使って、放射性物質(例:ストロンチウム、放射性ヨウ素)による身体への悪影響から自分を守り、フリーラジカルなどの有害な副産物のデトックスと、放射能による火傷の手当てについて紹介します。
●放射線治療を受けている場合:
マクロビオティックをお奨めします。マクロビオティックは、放射線疾患とガンにとても効果的です。
●ガンと診断されて、放射線治療を全面的に避けたいと考えている場合:
放射線治療はいかなる形であっても、ガンと診断された患者を死に至らしめる治療法です。
放射能への暴露は、身体を完全に破壊するフリーラジカルを次つぎに引き起こす原因となります。 フリーラジカルは、DNA、たんぱく質、脂肪を破壊します。フリーラジカルによる損傷は、ガンを進行させる大要因であると医学的に証明されています。
人はガンで死亡するのではなく、放射線毒によって死亡しています。「治療」と呼ばれる方法で繰り返される放射線被ばくは、身体の免疫能力を上回ります。ガン患者の髪が抜け落ちるのは、ガンが原因ではありません。根底的な責任は、放射線治療にあるのです。ガンで体重が減るのではなく、放射線治療によって食欲が減退するのです。ガン患者は、ガンによって虚弱化し、病気になりやすくなるのではなく、放射線治療によって身体が毒を受けて、そうなるのです。
クシ・アベリンとクシ・ミチオ両氏による著書「マクロビオティック・ダイエット」で、ミチオ氏はこう記しています。
「1945年の長崎原爆による攻撃の時、秋月辰一郎医師は、長崎の聖フランシス病院の内科医師でした。爆撃現場から約1.6km地点であるこの病院の入院患者のほとんどが、原爆による初期の影響を生き抜くことができましたが、その後すぐに、放出された放射性物質による放射性疾患の症状を見せ始めました。秋月医師は、病院スタッフと患者に、徹底的なマクロビオティックの食事指導を行いました。それは玄米、味噌とたまり醤油のスープ、わかめやその他の海藻類、北海道のかぼちゃ、海塩という内容で、砂糖と甘いものを禁止しました。その結果、病院の全員が無事でした。同市の市民の多くが、放射性疾患によって命を落としていきました。」
●海塩について:
あらゆる放射線被ばくを生き抜く秘訣は、海塩にあります。
あなたがもし、日本の原発事故による災害に直面しているか、X線を受けた(病院や空港の検査)、あるいはガンの放射線治療を受けた場合、海塩(ヨウ化した食卓塩ではないもの)入りのお風呂に入り、体内に入った放射性物質を出しましょう。
●重曹について:
口腔ガンや咽喉ガンと診断されて、危険な放射線治療を受けなければいけない場合、重曹を水に混ぜてうがいをすることで、放射線を中和することが可能です。
重曹は、放射能汚染除去に強い威力を発揮します。 
アメリカのニューメキシコ州ロス・アラモス国立研究所のドン・ヨーク氏は、ウランに汚染された土壌の浄化に重曹を使用しました。重炭酸ナトリウムは土中からウランを分離させて結合します。現時点でヨーク氏は汚染された土壌サンプルから92%のウラン除去に成功しました。 
●これだけでは信用できない、とお感じのあなたに:
では、もうひとつお知らせ。アメリカ合衆国陸軍は、腎臓への放射線障害防止に重曹を推奨しています。
放射能は非常に有毒です。放射能暴露は、たとえ微量であっても、有害です。X線による被爆(病院と空港検査)または「放射線治療」と呼ばれる全ての治療は、最も危険な放射能中毒の原因です。
X線と放射線ガン治療は、集中的で頻繁な被ばくとなるため、放射性降下物よりも遥かに壊滅的です。
●お風呂や飲料水に重曹を:
放射性毒を体内から排出するためには、お風呂のお湯に海塩と重曹を1/2カップずつ入れてください。
毎日20~30分間を約3週間、または、2日に1度、6週間、そのお湯に浸かります。
または、西インド諸島か南太平洋諸島の海で3週間ほど泳ぐのも良いですよ!なぜ西インド諸島か南太平洋かというと、塩が高濃度だからです。
あなたが受けた放射能から身体を癒す最高の場所は、死海です。
死海の塩含有度は世界中のほとんどの海の4倍です。
海塩は放射能を体内から引っ張り出してくれるのです。
放射能降下物、X線、放射線治療で受けた被ばくのデトックスのために死海まで旅に出る予算が無い場合は、どうしたら良いのでしょう?
質の良い海塩を一つまみ、蒸留水に入れて、毎日コップ数杯を飲みます。
これで、体内の放射性物質を除去するのに必要なミネラルと痕跡元素を補給できます。
●塩水が飲めないよ!などの場合:
アミノ酸のシステインが、電離(イオン化)放射線によって生成されるフリーラジカルを撃退して、身体への放射性物質の悪影響を防ぎます。システイン、メチオニン、システィンと、その派生物は“硫化アミノ酸”の仲間です。これらのアミノ酸は、炭素、水素、窒素と酸素に加えて、硫黄を含んでいるため、上記の働きをします。
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安倍首相「笑っていいとも!」出演詳報

投稿日: 2014年3月22日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

2014.3.21 19:42 http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140321/ent14032119430008-n1.htm

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フジテレビの「笑っていいとも」に出演した安倍晋三首相とタレントのタモリ=3月21日(フジテレビ提供)

 21日、フジテレビ系のバラエティー番組「笑っていいとも!」に現役首相として初めてスタジオで生出演した安倍晋三首相。司会のタモリさんに「長続きの秘訣(ひけつ)」を尋ねたり、ストレス解消法について答えたりした。タモリさんから、首相動静に「『笑っていいとも、タモリと会食』と載りたい」とおねだりされると…(敬称略)

 司会のタモリ「さあ、まいりましょう。今日のゲストは何と首相ですよ。安倍晋三首相です。どうぞ」

 「お忙しいところようこそ。どうぞお掛けください。いっぱい花束来ていますけど、EXILEは関係ないですよね」

 安倍「私、食事もしたことあるんですよ」

 タモリ「えっ?」

 安倍「昨年ですね、ASEAN(東南アジア諸国連合)の10カ国の首脳が日本に集まりまして、その晩餐(ばんさん)会で歌を歌っていただいたり。特別にいろいろと協力してもらいましたね」

 タモリ「自由民主党青年局(からの花束)。初めて見ましたね、私も。ようこそおいでくださいました。現役の総理がバラエティーに出るのは初めてじゃないかと思います。ありがとうございます」

 安倍「何といっても32年間ですからね。32年間続いた番組はこれ、国民的番組ですから。ですからそれだったらぜひ、出していただきたいと。(番組の)5000回のときに、当時の小泉純一郎総理が電話出演した。私、官房副長官をやっていまして。5000日というのはすごいな、とそういう話をされたのかな。あの時小泉総理が、『官邸来ませんか』って言ったんですよね」

 タモリ「そうそう。そうですね。「いいとも!」って言って、行ってないですね」

 安倍「そういう記録が全部官邸には残っているんですね」

 タモリ「ありがたいんですが、こうやって現役の総理が出てくれることはバラエティーを認めていただいたということになるんで。ずっと前からですけど与党野党かかわらず、バラエティーをバカにしているという…」

 安倍「それはないとおもいますけどね。ただまあ、批判されるんではないかという危険性が伴うもんですからね。ただですね、タモリさんのこの『笑っていいとも!』、まさに国民的番組ですしね、いろいろな方々が見ていますし。われわれもいろんなことを例えばそこで、いつも政治番組だけで話すこと以外にも話ができる機会はあんまりないです」

 タモリ「よろしくお願いします」

 安倍「昔、結婚式の仲人をやったとき、この番組のディレクターをやっていた人が私の地元の人だったもんですから。そのとき(タモリさんも)出席されたんですよ。忘れているかもしれないですけど。私、衆院議員になったばかりのころですけど」

 タモリ「そうですね。この間、ちょっとすれ違ったのは出版記念のときなんですけど

 安倍「ああ、そうですか」

 タモリ「すごかったですね。私の前にSPがいたんですけど、私の前に立ってじーっと見るんです(笑)」

 安倍「あそこ(舞台袖)にもいますけど」(SPが画面に映る)

 タモリ「目を見ていると『本当にお前タモリか』って見ているようで(笑)。あれはちょっと。あっ、先ほどの話ですけど、お笑いとかバラエティーをやっているとなかなか国からほめてもらえないんです。俳優だとほめてもらえる。お笑いだとほめてもらえない。しかも落語とかある分野になりますとほめてもらえる。私みたいに何にも分野がない、何をやるかも分からないとなるとほめてもらえない。その辺は、政府としての見解をちょっとお伺いしたい」

 安倍「それは、無形文化財だと思いますね」(会場「おーっ!」と拍手」)

 タモリ「ありがとうございます」

 安倍「あの『ボキャブラ天国』という番組ございましたよね。私、ファンでしてね。なかなか相当の技術というか、考えていかないとできませんから。で、私はよく見ていたんですが、特に一回持病が悪化して入院していたとき、十数年前、そのときはやっぱり『ボキャブラ天国』を見ると笑うじゃないですか。笑いっていうのは健康にはすごくいいんですよ。暗い気持ちで『ボキャブラ』を見るとですね…」

 タモリ「入院して『ボキャブラ』見て笑ってた?」

 安倍「笑ってたんです。“大玉”とか出るやつですよね」

 タモリ「バラエティー好きなんですか」

 安倍「私はたまに見ますよね」

 タモリ「資料とか見るとバラエティーとか一切出てこないですが」

 安倍「バラエティーのことはあんまり聞かれないですから。ですからまあ、こういう楽しい番組というのはですね、気持ちが朗らかになることが大切ですよ。人間こう、プラス志向でね。こういう(贈られた)花、いつから始まったのかは知りませんけれどね。こういう花というのは『この人贈ってくれてありがとう』という気持ちにもなるし、見方によっては『あいつの花がないじゃないか』と思う人もいるわけですね(笑)。これは物事の見方なんだろうと思いますね。やっぱり『贈ってくれてありがとう』というところで止めておくのが大切で(笑)」

 タモリ「(笑)きりないですからね。しかし、総理、首相動静という一日のスケジュールを見ていると面白くて。昨日だって、(参院)予算委員会の(予算が)成立するかの瀬戸際で午前中に十何人に会うんですよ。午後に国会もありながらも15件ぐらいをこなす。俺にはできないですよね」

 安倍「あれは実際にはですね、例えば役所の人たちもあれ(首相動静)に載るのは局長以上なんですね。それ以上若い人たちもいっぱい来ていますからね。それは名前出ないですから。秘書官とか官邸のスタッフもある程度の一定以上の人しか名前が出ないですから。実際はもっともっとたくさんの方に会っています」

 タモリ「昨日見ていると、麻生(太郎・副総理)さんが午前、午後1回きていますけど。午前中は2分、午後3分しか会っていないですけど。麻生さん嫌いなんですか(笑)」

 安倍「(笑)。いや麻生さんのお宅はですね、うちのすぐそばでね。うちにも来られたことがありますし、私も行ったことがあります。そうすると結構長い話をしていますよ。2分で『嫌いだからさようなら』ということではないですよ。それはお互い忙しいですから。そういう関係で。あれ(動静)は全部出るもんですからね。それはしようがないですね。まあ、タモリさんみたいに32年間(首相を)やるわけではありませんからね」

 タモリ「でも、あれ見るだけですごい。あれはできない」

 安倍「タモリさんも1回、一日の動静を出してみたらどうですか?」

 タモリ「たいしたことない。(番組終わって)後のほうはずっと、『酒』って出るだけ(笑)。だれだれと飲食、酒、って」

 安倍「でも体形は変わらないですね。なんか、特別な。なんか健康的なことをやっておられるという雰囲気はまったくないです」

 タモリ「ないです。ないです(笑)。でも一応こう見えて朝走っているんですよ。(首相は)ジムに?」

 安倍「ええ。私、たまに行っていますけどね」

 タモリ「(とんねるずの木梨)憲武と会うでしょ。ジムで」

 安倍「あっ、そうですね。サウナで。どっかで見た人だなと私も思って。まあ裸ですからね。裸だとあんまり分からないっていうのもあるじゃないですか。あんまりじろじろ見るのも失礼だから」

 タモリ「ジムでちゃんとやっていらっしゃる」

 安倍「そんなに長い時間ではないですけど、それなりに。やっぱり運動不足になるとですね、精神的にもよくないですから。運動して汗を流すとですね、ストレスをそれで流していくことになる。5000回のときでしたっけ? どっかのタイミングで『番組が長続きする秘訣は反省しないこと』とおっしゃっていましたね。私は反省しているんですよ(笑)。毎日ね」

 タモリ「職種が違うので一概に『反省しないで』とは言えないですから」

 安倍「反省しながらですね、ストレスはため込まない必要がありますね」

 タモリ「難しいですね」

 安倍「ストレスをため込むと、さっき言った発想になるんですよ。『あいつの花がないじゃないか』と(笑)。こうなるとマイナス志向がどんどんいきますから、そうなると国の政策を考えていく上においてですね、私がマイナス思考になると日本全体にも影響していく可能性がありますから、その意味においてもなるべくですね、気持ちを明るく、と」

 タモリ「前の首相のときとの心境の変化はそういうことですか」

 安倍「前のときにはですね、もっと若いですから肩に力が入るんですね。そうするとですね、うまく息抜きをしようということがなかなかできなかったですね。ええ。そういう意味では今回は息抜きできるときは息抜きをしようと」

 タモリ「徹底しようと」

 安倍「まあ、例えば、お叱りをいただくこともあるんですが、ゴルフもですね自然に触れようと。ゴルフをやることによって精神的にも常にリフレッシュできているなあという感じはありますね」

 タモリ「前のときはなかった」

 安倍「前のときはなかったですね」

 タモリ「大変ですねえ」

 安倍「あの、32年間、辞めようと思ったことはないんですか?」

 タモリ「それがないんです。よく聞かれるけど、思い当たるふしがない。それで私は、お酒は、お酒は飲まれますか?」

 安倍「最近は飲めるようになりました。前は全然飲めなかったんですけどね」

 タモリ「今度一緒に飲みましょうか?」

 安倍「ぜひ、ゆっくりですね、長続きの秘訣を聞きたいなあと思います(場内拍手)」

 タモリ「40代のときは二日酔いで来てた。朝から上機嫌なんです」

 安倍「じゃあ、番組にはプラスですね」

 タモリ「プラスなんです。酔い覚ましにはもってこいの番組なんです」

 タモリ「ちょっとお願いがあるんです。明日の新聞に『笑っていいとも、タモリと会食』と載りたいので、イチゴ持ってきますので…」

 (イチゴが運ばれる)

 安倍「イチゴ好きですしね。日本のイチゴは世界一ですから。海外に行く際にもですね、必ずイチゴを持って行く。私が食べるためではなくてですね、海外の人たちにイチゴを宣伝するために必ず出して、晩餐会をやるときにデザートに出してもらって皆さんに食べてもらう。みんなおいしい、おいしいと言いますね。で、これいただいて。会食、ですか」

(2人でイチゴをほうばる)

 タモリ「うん、うまい…。明日どう(新聞に)出るかが問題だ(笑)」

 安倍「食べ方も、ですね。やっぱり見る人を楽しませる食べ方ですね」

 タモリ「えっ、私が?」

 安倍「何となく。一口で行くかと思わせて、半分で。そこが芸なんですね。これちゃんと評価しないとダメですね」

 タモリ「いやいや一口でいこうと思ったですけど。イチゴがどうも、(首相に)ペースを合わせないといかんと思って、(イチゴを)割ったんですが、(首相が)もう食べているなと(笑)」

 (トークが終わり、「100人アンケート」に進む)

 タモリ「それじゃあ、100人アンケートを。女性100人がスイッチを持ってますんで、何でも結構です」

 安倍「それではですね、今日は若い人が多いんですが、例えば『政治家と握手した人』。政治家として握手して、あれなんですね、握手しに来なくてもこっちから行きますからね」

 タモリ「何人ぐらいいますかね、100人中」

 安倍「今日は割と若い人が多いからですね、100人中6人ぐらい」

(スイッチオン。100人中27人がスイッチを押す)

 タモリ「ええーーー! 多いですね」

 安倍「多いですね。最初私ね質問考えたときに30人ぐらいにしようかと思ったんですよ。でも今日若い人が多いからね少ないなと思いまして、訂正したんですが。変えない方がよかったですね」

 タモリ「これ変えない方が当たっているんです。大幅に残念でした」

 安倍「はっはっはっはー(笑)」

 タモリ「じゃあ、月曜日のゲストを(とモニターに木村拓哉さんが映しだされる)」

 タモリ「『スマスマ』に一度お出になられた」

 安倍「そうですね。(番組内の)『ビストロスマップ』に」

 タモリ「ちょっと代わります」

 安倍「もしもし、安倍晋三ですけどもー」

 木村「もしもし、木村拓哉です」

 安倍「あっ、お元気ですか。私一度、官房長官時代に『ビストロスマップ』に出て…」

 木村「あのときはありがとうございました。今度はぜひ、首相としても」

 安倍「あのですね、木村さんが作ったおそばを食べてですね、木村さんのチームに勝利を(笑)与えたんですけどね。覚えていますか。あれ本当においしかったです」

 木村「ありがとうございます。またぜひ来店してください」

 安倍「私の妻が木村さんの大ファンで。あんまり関係ありませんですけど(笑)。それではまた活躍してください」

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「日本は、助けない」韓国高官は凍り付いた

投稿日: 2014年3月19日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

「日本は、助けない」韓国高官は凍り付いたhttp://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140315/waf14031509060005-n1.htm

2014.3.18[大阪から世界を読む

南北軍事境界線がある板門店で警備に当たる北朝鮮軍兵士=2014年3月12日(AP)

南北軍事境界線がある板門店で警備に当たる北朝鮮軍兵士=2014年3月12日(AP)

 安倍晋三首相が意欲を示している集団的自衛権行使の容認に関連して、日韓両政府の協議で緊迫したやりとりがかわされていたことはあまり知られていない。日本政府関係者が放った一言に韓国の政府関係者は凍り付き、言葉を失ったという。

(笠原健)

「日本は韓国を助けない」

 「朝鮮半島で再び戦火が起きて、北朝鮮が韓国に侵攻しても日本は韓国を助けることにはならないかもしれない」

 昨年、開かれた日韓両政府の非公式協議で、日本側の出席者の一人がつぶやいた。協議は、日韓の外交・安全保障問題をテーマに北朝鮮情勢や集団的自衛権の行使容認などについて意見交換するために開かれた。

 発言の意味は慰安婦をめぐる歴史問題や竹島(島根県隠岐の島町)の不法占拠などで、韓国に対する感情が最低レベルに落ち込んだことを受けて、朝鮮半島有事になっても日本は韓国支援に動けない可能性があるということを示したものだった。

 ただ、その意味の重みを韓国側の出席者はとっさには理解できなかったようだ。日本はすでに周辺事態法を平成11(1999)年に制定している。この法律は、朝鮮半島で有事が起きた場合、韓国軍とともに北朝鮮軍と戦う米軍を支援することを主な目的としている。

 「自分たちで朝鮮半島有事が起きたことを想定した法律を作っておきながら、今さら何を言うのか?」。当初、韓国側の出席者にはあきれかえったような雰囲気が漂ったという」。

 韓国側出席者のそうした表情を見て取った日本側出席者は今度はゆっくりとかみ砕くような口調で説明した。

 「日本は米国との事前協議において、米軍が日本国内の基地を使うことを認めないこともあり得るかもしれないということだ」

 ここに至って、ようやく韓国側の出席者も日本側出席者の発言の意味を飲み込んだようだった。

「ノー」と言える日本

 日米安保条約に基づいて、米国は日本防衛の義務を負っている。その米軍のために国内の基地を提供し、その使用を認めている。ただし、これはあくまでも日本の防衛が目的だ。

 米軍が日本国外で軍事行動するために国内の基地から航空機などが発進する場合には日米両政府の事前協議が必要となる。日本側出席者の発言は、この事前協議において、国内から米軍が韓国来援に向おうとしても日本側は「ノー」ということもあり得るということを示したものだ。

 実は日米両政府間で事前協議が行われたことは一度もない。ベトナム戦争や湾岸戦争でも、日本政府は、「米軍は移動している最中に命令を受けたのであって、ベトナムやイラクに直接、向うために国内の基地を発進したわけではない」という論理で、米軍の作戦行動を担保してきた。

 だが、朝鮮半島有事が起きた場合、これまで通りの論理で米軍の作戦行動を日本は裏打ちすることができるのか。国内の嫌韓感情がさらに高まれば、韓国支援に対する拒否感情も当然、強まる。政府がどんなに韓国支援に動こうとしても世論の強い支持がなければ、全面的な支援は難しくなる。

対北の国防策を無視する「反日」国家・韓国

 韓国の国防政策にとって、米軍の来援は死活的な意味を持つ。米軍の来援があるからこそ、韓国は北朝鮮と対峙(たいじ)することができる。その米軍は沖縄や岩国など日本国内の基地を使って、韓国軍と一緒になって武力攻撃を仕掛けてくる北朝鮮と戦うことになっている。在韓米軍はいるが、韓国にとって日本の国内基地から米軍が来援することが自国の安全保障の大前提となっている。だが、その前提が崩れるかもしれないとしたら…。

 もちろん、日本政府が事前協議を米国に求めて、その場で「ノー」を言う可能性は限りなくゼロに近い。だが、これまで一切タブー視されてきた日米両政府の事前協議に日本側が触れたことの意味はあまりにも大きい。果たして韓国はどう受け止めるのか。

ヒナ祭りと桃の花

投稿日: 2014年3月3日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

ヒナ祭りと桃の花 男雛・女雛の実名(いみな)は?

第一話 天神四代とお雛様
 この物語は、遠い昔霧のかなたのおおよそ三千年前のお話です。
 天照神の日嗣(ひつぎ)の皇子(みこ)オシホミミとタクハタチチ姫(伊勢外宮・豊受神の玄孫・やしゃご)の結婚の儀を間近にひかえて、宮中は支度に追われる気忙しい毎日でした。
 その頃、天照神はイサワノ宮(現・伊雑宮いざわのみや。三重県磯部町)に坐して、君の御心は天下あまねく照り輝き民も豊かに暮らしていました。皇子オシホミミはタカの国府(こふ、現・多賀城市)のツボワカミヤ(壷若宮)に坐して、ヒタカミノ国(日高見国、旧・陸奥)を治めていました。
 そんなある日のことです。もうすぐ君の奥方になられるタクハタチチ姫(真名スズカ姫)の兄タカギが、君に質問をしました。これは、晴れの婚礼前に緊張を少しでも和らげて一時をくつろいでお過ごしいただこうとの配慮あってのことでした。
 「結婚式の時、神前で新郎新婦が交す三三九度のお神酒(みき)には、一体どんな言われがあるのでしょうか」と、居並ぶ諸神の同意を得るかのようにゆっくりとお聞きになりました。
 これを聞いた君はにっこりと微笑まれると、臣や司を始め大勢の諸神、諸民を前にして静かに天地創造の物語から始めました。
 「それは遠い遠い昔のことです。まだこの高天原(天体)が生まれるずっと前のこと、天も地も未だ分かれていない、もちろん太陽も月も星も生まれていない前のことです。このウツホ(宇宙)の闇を支配していたのは、混沌としたアワ、ウビ(エネルギー)のようなもので、それは限りなく巡り漂って煮えたぎり、姿も形もありませんでした。
 それから長い時が流れて、このウツホの闇が陰(メ)と陽(ヲ)に分かれる兆しが現われ初めました。
 やがてその中にアメミヲヤ神(天祖神)がお生まれになり、神が最初(うい)の一息(ひといき)をウビ煮えたぎるウツホに吹き込むと、宇宙は静かにまどかに(丸く)巡り始めて、その中心に天御柱(あめのみはしら)が立ち昇り、混沌とした宇宙はやっと姿を現わし始めました。
 清く軽く巡れるものは陽(ヲ・男)となって、左巻に廻り天となり太陽が生まれました。重く濁れるものは、右巻に巡り陰(メ・女)となり、このクニタマ(地球)となり、後に月を生みました。
 さてこの地球に最初にお生まれになられた神のお名前を、クニトコタチと申し、花タチバナの木を植えて理想郷トコヨの国を建国しました。  クニトコタチは八人の御子を産んで、その御子達を世界の八方に派遣し、それぞれの国を建てて治めさせたので、この八人をヤモヤクダリ(八面八降)の御子といいます。後にこのヤミコ(八御子)はそれぞれの国の国王の先祖となりました。この二代目の世嗣(よつぎ)の八御子を総称してクニサッチといいます。そのいわれは、クニトコタチは始め自分同様サギリ(厳選)の道を以て全世界を一人に統治させようとしましたが、各々譲り合ってお互いを立てたので、やむなくサッチ(分割)の道で国を与え治めさせました。
 ト・ホ・カ・ミ・エ・ヒ・タ・メの八御子の名は、各々クニサッチの神の頭文字を表わし、たとえばトのクニサッチ、ホのクニサッチ、カのクニサッチ。。。のように呼びました。このようなわけで、この国では八(ヤ)という言葉にはたいへん尊い意味があり、ヤモトカミ(八元神)とも言って、世界の大元はこの八柱により支えられています。
 後にこのトホカミエヒタメの八神は、各々五人ずつ子供をもうけました。
 次に、この八面(ヤモ・世界)を嗣いで治めた三代目の神の名をトヨクンヌといいます。トヨクンヌは天命を受けて、神の子孫を君、臣、民(きみ、とみ、たみ)のミクダリ(三降・三階級)に分けて各々の役割を定めて国を治めました。
 この神の弟君にウケモチ(保食)という神がいました。ウケモチの神は、何とか民を豊かに繁栄させたいと望んで、ある日天にましますアメミオヤ神に一心に祈ったところ、ついに御心が通じて天からヒヨウル種(太陽と月の精気を含んだ種)が落ちてきました。この種を水辺に蒔いたところ、ウル田(水田)のゾ苗(水稲・うるち)となって、八月一日(旧暦)には稲穂もあつく実って大豊作となりました。ウケモチはこの悦びを先ず兄トヨクンヌに報告して、八房(やふさ)に実った稲を献上しました。
 大変喜んだトヨクンヌはこの稲穂をアメミオヤ神とアメミナカヌシ神に捧げて、先ず感謝のお祭をして、各々県主(あがたぬし)に分け与えて国に籾(もみ)を持ち帰らせて、順次民に分け与えて広めたので、稔りの秋祭を皆が楽しめるようになりました。この時から民の糧も増えて暮しも豊かになり国の平和が永く続くようになりました。
 諸民は、ウケモチの神をイナリ神(稲荷)と称えて、後の世まで感謝の心を伝えました。これにより八月一日には親しい人を招いてご馳走をふるまい、お互いに贈り物をして楽しむ風習が始まりました。これを八朔(はっさく・八月一日)の祝といいます。
 さて話を元に戻して、トヨクンヌの神は男女合わせて百二十人もの御子に恵まれましたが、各々がお一人でお暮らしになり、男女が一緒に暮らす夫婦(めおと)の道はまだ定まっていませんでした。こんな訳で、三代目までの神様を独神(ひとりかみ)といいます。
 丁度、天の真榊木(まさかき)を植え継いで、五百本目になる頃のことです。四代目を嗣いだ男神の名前をウビチニと言い、この神はスビチニと言う女神と初めてご夫婦になられて最愛の妻としました。
 この両神(ふたかみ)の美しい物語が雛祭の由来となり、男女の結婚制度の始まりともなりました。」
 君はここまで一気にお話になると、一息つかれて、間もなく迎えるタクハタチチ姫との生活(くらし)に思いをいたし、大層和まれたご様子でした。
「むかし昔、コシの国(越前)のヒナルノ岳(現・日野山、越前富士)の神の宮(日野神社、福井県武生市)で、木の実をお持ちになってお生まれになった男女の御子がありました。
 その種を庭に植えておいたところ、三年目の三月(やよい)の三日に、百(たくさん)の美しい花が咲いて初夏になると香りの良い実が百(たくさん)なりました。花も果も百(モモ)に付いたので、この花をモモの花と名付け、実をモモの果と呼び、モモの木といいました。
 この若い両神(ふたかみ)の名前もモモの木と実にたとえて、男神の名をモモヒナギと名付け、女神の名はモモヒナミと名付けました。
 因にヒナ祭のヒナの意味は一(ヒ)から七(ナ)までで、まだ人(成人、一から十、ヒからト)になる前の若者のことです。  君と呼ぶのは、桃の木(キ)と実(ミ)のことで、この時から男神の名前には木(キ)、女神には実(ミ)と付けるのが習わしになりました。(例:イサナギ、イサナミ)
 モモヒナギとモモヒナミが人(ヒト)として立派に成人されたある年の弥生三日のことでした。この時初めて御神酒(おみき)を造り両神に奉りました。このお酒を造った神はイノクチという所のスクナミ神で、庭の竹株に雀がたくさん集まって籾(もみ)を入れるのを見ているうちに、ふと閃いて、籾を醸してにごり酒を造り、桃雛木(モモヒナギ)と桃雛果(モモヒナミ)神に、竹筒に入れて献上したところ、モモヒナギの神は大層このお酒をお誉めになり、スクナミ神にササナミという神名を新たにくだされました。このササナミ神は後にササケ山に祭られて、サケの語源となりました。この両神に捧げたお酒を、桃の木(キ)と実(ミ)にちなんでお神酒(ミキ)と名付けました。
 時は春、満開の桃の花の下で盃に酒を酌み、先ず男神が女神にすすめて女神が先に、逆さに写った月影をそおっと飲み、後に男神が飲んでお二人は床に入られ交わりました。これを、トコミキ(床神酒)と言います。
 お二人の愛の交わりは大層熱く、室に閉じ籠ったまま三日目の朝ようやく姿を現わしました。たぎりつきせぬ情熱を冷まそうと清流で寒川(さむかわ・氷川)を浴びた時、二人の情熱は完全に燃えて昇華していきました。その折に、袖を大(ウ)そう濡らしてしまわれたのが男神、少(ス)々濡らされたのが女神。それ以来、男神の名をウビチニ(大きくちびる)、女神をスビチニ(少しちびる)と名付けました。
 このウビチニとスビチニ神の愛の炎は高く天に昇って、これも古い伝えにある天地創造の頃のウビが煮えたぎる様を彷彿させるものでした。
 この様に多い(ウ)少ない(ス)を表わすウ・スのお名前の両神の美しいお姿は、男神は冠(かむり)をかぶり大袖を召し、袴をはいていました。女神は小袖に上被衣(うわかつぎ)を召して、二人立ち並ぶお姿(立ち雛)は雛形(ひながた)として、永く今日まで伝えられています。
 この時、両神にならって八十人の有力な神様達も皆妻を娶り、結婚式を祝うようになりました。この後、諸民も皆妻を定めて夫婦となり、この時結婚の風習が天下の法(のり)と定まりました。
 三年後の弥生の三日を記念して、ここに三三九度のしきたりがうまれました。
 この日の宵に花の下でお神酒を酌み交わした盃に、月が逆さに写り映えるのを楽しんで飲みほしたところから盃(さかずき・逆月)の言葉もうまれました。人々はこのサカズキを生んだ両神をヒナガ岳の神として末永く称えました。」
 君はこの後、五代、六代、七代の天神のお話に移っていきました。
第二話 少彦名(スクナヒコナ)と雛祭り
 大国主の本当のお名前をヤシマシノミノオオナムチといいます。
 生まれながらにして、優しい性格の持ち主で、人々の信望も厚く、国土経営にも優れた手腕を発揮しました。雨の多い冷害の年も、台風による被害にも、日照り続きの乾ばつにも人々を飢えから守るための倉には、備蓄米が満ち満ちて国は平和を謳歌していました。
 そんなある日、オオナムチが農業指導のために大国の郷(さと、現・豊郷、愛知川町付近、滋賀県)を巡視していた折、湖の彼方から鏡を舳先(へさき)に付けた舟が近ずいてくるのに出合いました。
 オオナムチが供の者に、
 「あれは何者か」と、聞きますが誰も答えられませんでした。その時一人クエヒコ(大神神社、摂社クエヒコ神社、奈良県)という者が進み出て申し上げるには、
 「あの者は、カンミムスビ(タカミムスビ六代目、白山神社祭神)の千五百人もある御子の中でどうしようもない落ちこぼれの、教えの指をもれ落ちたスクナヒコナでございます」と、答えました。
 これを聞いたオオナムチは思うところあって、スクナヒコナを丁重に迎えると手厚く恵んで、供に力を合わせて一緒に諸国を巡り国民の糧となる水田開発に努め、養蚕や裁ち縫いの技術を女性達に教え広めて国土経営に尽くしました。
 又、病める者のためには薬草を栽培して、時には人間にとどまらず鳥や獣の病気も治して愛情を注ぎました。
 ある時は、稲子(いなご)の大量発生の報を聞くとどんな遠方へも一緒に馬で駆けつけて、オシ草(玄人)と言う薬草で虫祓いをして民の糧を守りました。
 この様に、一見順風満帆の二人の国造りにも、満れば欠けるのたとえがあるように、暗い人生を暗示するかのような、むら雲がおおい始めるのを誰が知りえたでしょうか。
。。出雲の国譲り。。
 ついに、オオナムチは、いわれなく諸悪の根源として宮中から攻撃され、国を追われて最北の地、津軽に追放されてしまいました。
 この事件があってからのスクナヒコナは一人オオナムチと離れて、アワ国(現・滋賀県)に伝わるカダの楽器を一心に習得すると、あまりにも献身的に、あまりにも国に思いを託した自分の生き方をすべて捨て去り、心の苦しみを背負ったまま諸国流浪の行脚に身をやつしました。
 津々浦々を巡り歩いてカダ楽器で弾き語る物語は、いつも決まって人の心が美しく優しく輝いていた天神四代のヒナ祭りの物語でした。
 人々が忘れ去っていたヒナ祭りの物語を全国に教え広めて、やがて年老いるとついに和歌の国のカダの浦に一人至り、ウビチニ・スビチニの微笑む雛の国へと神上がりました。
 今日でも人々は、あまりにも一途で、あまりにも壊れやすかったスクナヒコナの人柄を知ってか知らでか、アワシマ神(注・アワの国に出現した神)としてご当地の淡島神社(別名 加太神社、和歌山市)にお祭りしています。
 毎年弥生の三日になると、全国各地から持ち寄った雛人形を社前に奉納し、雛流しの神事を盛大に祝ってスクナヒコナを偲んでいます。
第三話 結婚三日目朝の祝い歌
 これはヒコホホデミとトヨタマ姫の鹿児島宮(現・鹿児島神宮祭神カモハデズミ)で結婚式後の三日目朝のお話しです。
 トヨタマ姫の兄トヨズミヒコ(弟タケズミヒコは下鴨神社祭神、京都)は、今回新たに定まった六人の局(つぼね)達に、各々桃の花をあしらった揃の玉笠をかぶらせ、皆の手には木の玉椀(たままりも)に水を張って持たせると、いよいよ結婚三日目の朝、新婚ホヤホヤの二人が部屋から出てくるのを待ちました。
 やっと手を取り合って先に現われたヒコホホデミに、六人の局達は一斉に水を降り注いで声をそろえて歌いはやしました。
モモヒナギ  交合(まじばい)後の  三日の日の
川水浴びて  ウビチニの  上(神)から下(シモ・民)へ
花婿(はなむこ)に水  まいらせう  まいらせう
 この時、九州の三十二県の県主達(あがたぬし)も諸民と一緒になって声を揃えて、この祝い歌を唱いはやして、ついには万歳万歳(よろとし、よろとし)の喜びの声が輪となって国中に広がってゆきました。
終り
出典
 ホツマツタエ (国立公文書館蔵)
 秀真(ほつま)政傳紀 (和仁估安聰訳述)

 高畠 精二