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ケント・ギルバート氏慰安婦問題をでっち上げた朝日新聞について。

投稿日: 2014年8月25日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

ケント・ギルバート氏慰安婦問題をでっち上げた朝日新聞について。
ケント・ギルバートさんのブログから転載。

ケントギルバード

ウィットに富んだ名文ですね。
朝日新聞がいわゆる「従軍慰安婦問題」について、先日、過去の間違った記事を取り消したという話を聞きました。
ところが訂正の内容は十分ではないし、開き直った態度で全く反省している様子は無いし、謝罪も一切していないということで、保守系の私の友人たちは「朝日新聞を廃刊まで追い込むべきだ!」と物凄く怒っています。

もし誰かに「この件で日本が失った国益はHOWマッチ?」と聞かれたら、ホールインワン賞を13回取った私でも、答えに困ってしまいます。
30年以上にわたって傷付けられた国家の信用や名誉を金額に換算するというのは相当難しい問題です。
正解が計算できないから、テレビではこの問題は使えません。

ところで私も「従軍慰安婦問題はあったのだ!」と先日まで信じ込んでいましたから、朝日新聞に完全に騙された人間の一人です。

だから朝日新聞は私にも謝罪して欲しいです。
保守系の友人たちは「従軍慰安婦問題なんて無かったんですよ!」と何度か私に教えてくれました。
しかし私は全く聞く耳を持たなかったので、彼らは密かに私を馬鹿にしていたかも知れませんし、彼らの信用を失ったかも知れません。

そのことを考えると精神的苦痛を感じるから、朝日新聞に対しては損害賠償を請求したいくらいです。
というのは冗談ですが、朝日新聞にまんまと騙された被害者が他にもいることを忘れてはいけません。
韓国人です。彼らは「日本軍は韓国人女性を強制連行して従軍慰安婦(性奴隷)にした」という、朝日新聞が書いた記事を真実だと信じたからこそ、日本政府にしつこく謝罪と賠償を要求してきました。

さらに、韓国の日本大使館の目の前や、アメリカ国内の複数の場所に「従軍慰安婦像」なる銅像を設置する活動も、真剣に継続して来ました。
それなのに「あの記事、根拠が無かったから取り消します」の一言で済まされちゃったら、必死の努力を続けてきた韓国人(と一部の日本人弁護士)は、ただの赤っ恥じゃないですか!

 国連人権委員会にまで訴えて主張を認めてもらったのは、朝日新聞が従軍慰安婦問題を「真実として報道した」という事実が最大の根拠だったんですよ?
それを今さら「取り消します」っていうのは、韓国人に対するひどい裏切りです。
赤っ恥をかかされた韓国人の精神的苦痛は、私とは比較になりませんよ! 

しかも朝日新聞のせいで、国連人権委員会の調査内容がいい加減だったことまで一緒にバレちゃったんですよ! 
人権委員会に報告書を提出したクマラスワミさんには、彼女が死んでも消せない汚点が歴史上に残っちゃったじゃないですか!

慰安婦像の製作費用とか、アメリカの上院議員や市長など政治家をこの問題に巻き込むために使ってきたロビー活動の費用とか、国連人権委員会があるジュネーブまでの出張費用とか、韓国人は地道な先行投資を相当額してきたんですよ! 
お陰様でいい感じで効果が表れてきて、米国内の数か所に慰安婦銅像の設置することにも成功し、「これでもうすぐ日本政府から多額の賠償金が取れるはずだ!」と皮算用していたのに、
もう計画がぶち壊しですよ!

 どうしてくれるんですか! 
韓国人の真剣な商売の邪魔をしないで下さい!
それに、世界各国に向けて「日本はひどい国でしょ?」と
告げ口外交をしてきた朴槿惠大統領についても、なんて恥ずかしい思いをさせてくれたんですか! 

日本人は優しくて、潔く謝ると大体のことはすぐに許しちゃうお人よしだから、購読者数が毎日確実に減っていくことさえ気にしなければ、別に謝罪は後回しにしてもいいと思うけれど、朝日新聞は一日も早く、韓国と韓国人に謝罪して、もちろん賠償金も支払わないと、このままじゃ1000年恨まれますよ!
  ◆素晴らしい!!◆

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吉田調書 抄録6~10まで 産経新聞から

投稿日: 2014年8月25日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

3号機爆発 「死者出たなら腹切り死のうと」

2014.8.23 10:03 (1/3ページ)[福島第1事故「吉田調書」

 東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏の聞き取り調査をまとめた「吉田調書」。6回目は、3号機が爆発したときの証言をまとめた。

 〈ヒアリングは平成23年3月14日の行動に移っている。14日は午前6時半ごろに3号機で原子炉圧力が上昇し、爆発する可能性が高まっていた。危険と判断されたため約1時間、作業を中断、作業員は現場から退避していた〉

 吉田氏「退避かけても2号機のラインを作ったりとか、放っておけないんでものすごく迷ったんです。作業させるか、させないか、再開させるのかどうか。これは議事録には載ってませんけれど、このとき本店と『いつまで退避させるんだ』という話があり、『爆発する可能性があって現場に人間をやれない』と私は言ったんです。ただ2号機の注水とかあるんで、どこかでやる必要があるという話をしました」

 〈作業を進めたい本店と作業員の安全を考え、再開に迷う吉田氏。安全だけを考え作業が滞れば、状況はさらに悪化する。吉田氏はジレンマを抱えていた〉

 吉田氏「そろそろ現場をやってくれないかと話があり、『非常に危険だけれども現場でやらないと次のステップにいけないんでお願いします』と(作業員に)指示したと思います。圧力が落ち着いてきたから、急に爆発することはない、との判断で現場に出したら爆発した」

--現場に行ってから爆発までどれぐらいの時間があったのか

 吉田氏「(再開の)『ゴー』かけて、よしじゃあという段取りにかかったぐらいで。自衛隊の方も行かれていて準備したらすぐ『バーン』という感じだったと聞いています。最初、現場から『四十何人行方不明』という話が入ってきた。私、そのとき死のうと思いました。四十何人亡くなっているんだとすると、そこで腹切ろうと思っていました」

 〈情報が錯綜する中、多数の死者を出した責任を取ることを考えていた吉田氏。だが、徐々に情報が入り行方不明者はいなくなっていった〉

 吉田氏「自衛隊は免震重要棟に寄らないで配備されたんで状況が入ってこなかったが、4人けがをされていて1人は結構深手だったと聞いています。皆さん命はとりとめ、不幸中の幸いです。がれきが吹っ飛んでくる中で現場にいて、1人も死んでいない。私は仏様のおかげとしか思えないんです」

 --すごい映像ですものね。あの爆発。1号機と違いますね

 吉田氏「1号機は板だけですから、ポーンで終わりなんですが、3号機はコンクリートが飛んでますからね」

 --爆発をしてからの対応ですが、作業は

 吉田氏「全部中止」

 --現場から引き揚げることになるわけですね。次に再開するのが、どこかの時点でありますね。それはどういう情報が入り、どう判断したのですか

 吉田氏「1号機の時と同じく爆発しているわけですから、注水ラインだとかいろんなラインが死んでしまっている可能性が高い。1号機、3号機の注水も止まっている。それ以外の機器も止まっている。みんな茫然としているのと、思考停止状態みたいになっているわけです」

 〈茫然自失の部下に指揮官は、どのように対応したのか〉

 吉田氏「そこで、全員集めて『こんな状態で作業を再開してこんな状態になって、私の判断が悪かった。申し訳ない』と話をして、現時点で注水が止まっている、放っておくともっとひどい状態になる。現場はがれきの山になっているはずだから、がれきの撤去、注水の準備に即応してくれと頭を下げて頼んだんです。そうしたら、本当に感動したのは、みんな現場に行

こうとするわけです」

政府への不信 「腐った指示ばかりだった」

 平成23年3月11日の東京電力福島第1原発事故で、当時の吉田昌郎所長への聞き取り調査をまとめた「吉田調書」。7回目は、吉田氏と政府側とのやり取りに関する証言をまとめた。

 〈第1原発で事故が発生した場合、経済産業省原子力安全・保安院が福島県大熊町の緊急事態応急対策拠点施設(オフサイトセンター)に関係者を緊急招集し、陣頭指揮にあたることになっていた〉

 --保安院の保安検査官は(第1原発内の)保安院の事務所に通常詰めていますね

 吉田氏「はい」

 --その人たちは一旦退避か何かでどこかへ行かれたんですね

 吉田氏「はい」

 --それから、また戻ってくるんですね

 吉田氏「かなりたってからです」

 --また戻ってきたのは大体どれくらいか

 吉田氏「よく覚えていないが、事象が起こったときは保安院の方もみんな逃げてきて、免震重要棟に入られた。それからオフサイトセンターができたので、オフサイトセンターに出ていった。途中でオフサイトセンターから保安検査官をこちらに送り込むという話はあったんです。結局あれは14日だったんですけれども、来られなかった」

 --来なかったのか

 吉田氏「はい。私は記憶がないんだけれど、24時間駐在で来られるようになったのはもうちょっと後だと思います」

 --保安院から所長に直接、今どういう状況かみたいな電話はないのか

 吉田氏「ないです」

 〈13日には3号機の爆発を避けようと、建屋にたまった水素を抜くためのブローアウトパネルの開放が検討された〉

 --保安院からの指示として、パネルを具体的にどうしようかという話はしていたのか

 吉田氏「していました。パネルを開けないといけない。だけれども、(19年の)中越沖地震で(柏崎刈羽原発のパネルが)がたっと落ちて開いてしまったから、開きづらい方向に改造していたんです。どうしようもないわけですよ。だったら保安院来てやれ、馬鹿野郎と言いたくなるわけですよ。こんな腐った指示ばかりしやがってと。いまだにこのときのことはむかむか来ます」

 --保安院の出先の事務所は

 吉田氏「このころはもういません。1人もいないです

 〈菅直人首相ら官邸からも吉田氏に電話が入った〉

 --菅首相との電話は

 吉田氏「菅さんとはどっちかというと質問です。水素爆発はどういうメカニズムで起こるんだということとか、それは水蒸気爆発と違うのかというようなご質問をなさっていたのが1点ですね」

 「それから、菅さんの脇に日比野靖さんという(内閣官房)参与がいた。ごく初歩的な質問を菅さんがして、私が説明をし始めたら、ちょっと待ってくれ、その質問は日比野さんがしているからということで、日比野さんに代わって、結構忙しいときだったんだと思うんだけれども、縷(る)々(る)ご説明をしたと」

 「もう1点は、警戒区域と避難区域、20キロ、30キロの話についてこう決めたけれども、所長はどう思うみたいな話をしてきたんです。知りませんと。本店なり、そちら側の解析しているところで評価してくれと。現場の判断ではないということは申し上げました」

 --現場はどうなっているんだというので、ちょっと電話してみればみたいな話になると、所長のところに電話をするのが、東電の武黒一郎フェロー、川俣晋原子力・品質安全部長だったり、場合によっては細野豪志首相補佐官だった。どちらかというと、みんなで勉強会というか、そんな感じだったらしい。官邸で首相以下の指示がぼーんと決まって、これで行けとか、そんな感じではなかった

 吉田氏「勉強会だったんですね」

 --いざ聞いてみると、みんなそういうふうに言う。別に司令塔ではないと

 吉田氏「しかし、何をもってこの国は動いていくんですかね。面白い国ですね」(肩書は当時)

注水活動「申し訳ないがすべて意味なかった」 ヘリ放水「セミの小便」

 東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏の聞き取り調査をまとめた「吉田調書」。8回目は、自衛隊や警察、消防の注水活動に関する証言をまとめた。

 〈平成23年3月16日以降、3、4号機の燃料貯蔵プールに燃料を冷却する水があるかが課題となっていた。プールの燃料は水位が下がればむき出しの状態となり被害は甚大となる。爆発で建屋上部が破壊されていたため、上部からの放水が検討されていた〉

 〈17日には陸上自衛隊のヘリを使って上空から4回、3号機燃料貯蔵プールへ約30トン放水され、警視庁機動隊と自衛隊の高圧放水車も地上から放水した。19日には東京消防庁の消防車も放水を始めた〉

 --ヘリによる放水は午前9時48分に開始とあります

 吉田氏「セミの小便みたいですね」

 --所長は自衛隊とか警視庁などの人たちが来たときは、そこの責任者と事前に話をするとか、ありましたか

 吉田氏「ないです」

 --彼らはどういう感じなんですか。

 吉田氏「各組織によって違うんです。自衛隊と消防庁、機動隊全部違うんです。指揮命令系統も各々違う。自衛隊さんは自衛隊さんの上の方といろいろ調整して、何時に出動するとか言うんですけども、出動するといってもなかなか出動しないし、途中で引き返すし、何やっているんだという感じでした」

--何でそんな、あれだったのですか

 吉田氏「やはり線量の高い所に来るのは、はっきり言ってみんな嫌なんです」

 --自衛隊によるヘリ、警視庁の高圧放水車、消防庁の注水とあって、この中でこれは良かった、これは駄目だったというのはありますか

 吉田氏「機動隊さんのものは最初に来てもらったんだけれども、余り役に立たなかったんです。要するに効果がなかった」

 --効果がないというのは

 吉田氏「水が入らなかったということです」

 --自衛隊のものはどうでしたか

 吉田氏「はっきり言って今から申しますと、すべて意味がなかったです。注水量的に全部入ったとして10トンとか20トンの世界ですから。燃料プールの表面積から考えて全部入ったとしても意味がない」

 --消防庁のものは効いてないんですね

 吉田氏「全く効いていないです。だから、ヘリも効いてないし、自衛隊さんも申し訳ないけれども量的に効いていないし、消防庁も効いていないし、機動隊は全く効いていなかったと思います」

 〈自衛隊、警察、消防が懸命の思いで注水活動にあたったが、高圧放水車や消防車は用途が違うため難航した。22日には新たにコンクリートポンプ車(通称・キリン)が導入され4号機で注水開始。27日にはキリンを3号機にも導入した〉

--(キリンなど)ああいうものはどうなんですか

 吉田氏「あれはいいです。あれが来て初めてちゃんと注水できたということです。筒先をプールの近くに持っていって入れますから、ロスがほとんどなくて全部水が入るというのがキリン以降の話です」

 --これは東電なり本店からそういう話があったのですか

 吉田氏「(自衛隊、警視庁、消防庁の)ピュッピュン作戦は、効いたとしてもずっと続けないといけない。連続注水できるということでコンクリート注入車が使えるのではないかというのが本店からあって、キリン部隊というのを本店で作ってくれたんです。その連中が動かし方などをマスターして、やってみたらそれなりに水が入るということで、自衛隊さん消防庁さんのお世話にならずに済んだということです」

「これは誰が殺したんですか」地震・津波対策への思い 

 東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏の聞き取り調査をまとめた「吉田調書」。9回目は、福島第1原発の地震・津波対策に関する吉田氏の証言をまとめた。

■関心高くなかった

 吉田氏「これは声を大にして言いたいんだけれども、本当は原発の安全性だけでなくて、東日本大震災で今回2万3千人が死にましたね(実際は死者・行方不明者合わせて約1万8500人)。これは誰が殺したんですか。(地震の規模を示す)マグニチュード9が来て死んでいるわけです。あの人たちが死なないような対策をなぜそのときに打たなかったんだ」

 〈原発事故を防げなかったことに対し、吉田氏は聴取の中で何度も悔悟の念を吐露するとともに、地震・津波被害を少なくできなかったのか、問題を投げかけている。吉田氏は平成19年4月、東電に新しく設けられた原子力設備管理部の初代部長に就任し、地震・津波対策に傾注した経験があるからだ〉

 --自然災害から原子力施設をどう守るかという備えなど過去の状況についてうかがいたい

 吉田氏「19年当時、あまり地震・津波に対して関心が高いということはなかったんです。会社全体としてもそうですし、世間全体としてもそうだったんです。一番大きかったのは(19年7月の)中越沖地震があって、想定している地震動の何倍という地震がきた。これはまさに私どもの原子力設備管理部で対応しないといけなかった。その中でまず、福島第1原発について、近辺の断層をもう一度調査するということを一生懸命したということです」

--それが19年7月ですね

 吉田氏「今まで考えていた地震動より大きい地震が来るとすると、例えば、建物や配管とか機器の補強をしなければいけないということになりますから、そちらの解析を重点的にやりましょうと。20年の途中から、随伴事象としての津波の話をきちっと評価していく必要があるという話が出てきたというのが私の記憶です」

 --東電の土木グループが土木学会の先生方に話を聞く中で、福島で10メートルを超える津波の想定値が出てきた

 吉田氏「私の考え方からいうと、津波自体は、国とか地方自治体がどうするんですかという話とも絡んでくるでしょう。東電だけがこれを対応してもしようがない。発電所を守るという意味では当然必要なんですけれども、オールジャパンで、今の対策ではまずいという話をした記憶があります」

 --初めて津波想定値を聞かれたときにどういう印象だったか

 吉田氏「それは、『うわあ』ですね。私が入社したときに、最大津波はチリ津波といわれていたわけですから。高くて3メートルぐらい。10メートルというのはやはり非常に奇異に感じるというか、そんなのって来るの?と」

■対策費用が大事

 --会社の方針はどうだったのか

 吉田氏「社内では、地震対策の会議を社長会という形で月1回の頻度でやっていた。その中で当然のことながら一番重要なのはお金、対策費用が非常に大事なことだと。耐震補強工事にこのぐらいかかるとか、免震重要棟を福島にも造らないといけないとか」

 --最終的にどうやれるかという検討は

 吉田氏「今回の事故で津波は10メートルではなくて、15メートルも来てしまったわけですから、もともと10メートルの検討をしていても間に合わなかったと今は思っている。今回はあまりに津波が大きすぎて、ポンプ自体がすっ飛んでしまうようなことを考えますと、また全然別の対策になるわけです。どういう津波なんだというところがはっきりしないときに対策と言っても、議論は非常に難しいんです」

「死んだと思った」 チャイナシンドロームと「東日本壊滅」

 東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏の聞き取り調査をまとめた「吉田調書」。最終回は吉田氏らの緊張がピークに達した2号機をめぐる証言をまとめた。

死んだと思った

 〈平成23年3月14日午後、福島第1原発1、3号機に続いて2号機が緊急事態に陥った。原子炉の冷却機能が失われ、炉内圧力が上昇。炉内を冷却するために「原子炉主蒸気逃がし安全弁」(SR弁)を開いて、圧力を下げて注水しようとしたが作業は進まなかった〉

 --(14日の)16時30分くらいから減圧操作を開始したが、手間取った

 吉田氏「(現場からの報告では)バルブが開かないと」

 吉田氏「何せ焦っていたんで、早く減圧させろと。私自身、パニックになっていました」

 --SR弁がなかなか開かないというところから、夜に行くぐらいのころ、退避なども検討しなければいけないのではないかみたいな話というのは出ていた

 吉田氏「(略)廊下にも協力企業だとかがいて、完全に燃料露出しているにもかかわらず、減圧もできない、水も入らないという状態が来ましたので、私は本当にここだけは一番思い出したくないところです。ここで本当に死んだと思ったんです」

 吉田氏「これで2号機はこのまま水が入らないでメルトして、完全に格納容器の圧力をぶち破って燃料が全部出てしまう。その分の放射能が全部外にまき散らされる最悪の事故ですから。チェルノブイリ級ではなくてチャイナシンドロームではないですけれども、ああいう状況になってしまう」

 〈炉内から冷却水がなくなれば、核燃料が溶け落ちるメルトダウン状態に陥る。さらに溶融した炉心が格納容器の底に穴を開ける最悪の事態がメルトスルーだ。映画「チャイナシンドローム」は米国の原発事故でメルトスルーした核燃料が地球の内部を溶かしながら進み裏側の中国にまで達するという設定。現実には起こらないとされる〉

 吉田氏「そうすると、1号、3号の注水も停止しないといけない。ここから退避しないといけない。放射能は、今の状況より現段階よりも広範囲、高濃度で、まき散らす部分もありますけれども、まず免震重要棟の近くにいる人間の命に関わると思っていました。(中略)みんなに恐怖感与えますから、電話で武藤(栄副社長)に言ったのかな。ここは私が一番思い出したくないところです、はっきり言って」

 --それは、SR弁がなかなか開かないからか

 吉田氏「開いたんです。(中略)SR弁が開いたにもかかわらず圧が落ちない。もう一つは(炉圧が下がったのに)消防車の燃料がなくなって水を入れるというタイミングのときに入らない。そこでもまたがくっときて、これでもう私はダメだと思ったんですよ。ここが一番死に時というかですね」

--14日の夜中の話か

 吉田氏「19時ぐらいからですかね。実際はですね」

 --ようやく減圧した21時ごろにタイミング悪く消防車が燃料切れした

 吉田氏「そうです。(中略)水が入ったら逆に今度は水が加熱した燃料に触れますから、ふわっとフラッシュして、それで圧力がぐっと上がってしまったという現象だと思っているんですけど、また水が入らなくなる」

 --(深刻だったのは)3号機よりも2号機

 吉田氏「3号機は水を入れていましたでしょう。1号機も水を入れていましたでしょう。(2号機は)水が入らないんですもの。水が入らなければただ溶けていくだけですから燃料が。燃料が溶けて1200度になりますと、何も冷やさないと圧力容器の壁抜きますから、それから格納容器の壁もそのどろどろで抜きますから、チャイナシンドロームになってしまうわけです。(中略)燃料が全部外に出てしまう。プルトニウムであれ、何であれ、今のセシウムどころの話ではないわけですよ。放射性物質が全部出てしまうわけですからわれわれのイメージは東日本壊滅ですよ」

 --すぐに退避というふうになっていない

 吉田氏「水がやっと入ったんですよ。あとはずっと水を入れ続けるだけだということで、やっと助かったというタイミングがあるんです」 (肩書は当時)

 =この企画は阿比留瑠比、天野健作、荒井敬介、桑原雄尚、佐々木美恵が担当しました。

朝日新聞の誤報にはちゃんと謝罪せよ!これが朝鮮側が報道した貴重な証拠記事だ!

投稿日: 2014年8月23日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

なにが日本の強制連行だ! 朝鮮人の日常的な人身売買を日本の警察は一生懸命取り締まり被害少女たちを救ってきた よく見ろ!これが朝鮮側が報道した貴重な証拠記事だ!

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吉田調書 抄録1~5まで 産経新聞から

投稿日: 2014年8月23日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

福島第1事故「吉田調書」

ヒーローが一転「逃げ出す作業員」「恥ずべき物語」に 朝日報道、各国で引用

 外国の有力メディアは、「吉田調書」に関する朝日新聞の記事を引用し、相次いで報道した。韓国のセウォル号事故と同一視する報道もあり、「有事に逃げ出した作業員」という印象が植え付けられている。

 米紙ニューヨーク・タイムズ(いずれも電子版)は5月20日、「パニックになった作業員が福島第1原発から逃げ出した」と報じた。「朝日新聞によると」という形で、記事では第1原発所員の第2原発への退避を「命令違反」だと報じている。

 英紙ガーディアンは5月21日付で「『フクシマ・フィフティーズ(福島の50人)』と呼ばれたわずかな“戦闘員”が原発に残り、ヒーローとして称えられた。しかし、朝日新聞が明らかにしたように650人が別の原発に逃げたのだ」と記した。

 オーストラリアの有力紙オーストラリアンも「福島のヒーローは、実は怖くて逃げた」と見出しにした上で、「事故に対して自らを犠牲にし果敢に闘った『フクシマ・フィフティーズ』として有名になったが、全く異なる恥ずべき物語が明らかになった」と報じた。

 韓国紙・国民日報は「現場責任者の命令を破って脱出したという主張が提起されて、日本版の“セウォル号事件”として注目されている」と報道。韓国で4月に起きた旅客船沈没事故で、船長が真っ先に逃げたことと同一視している。

吉田調書 抄録1~5

海水注入、事故直後から指示 現場判断「停止なんて毛頭考えていなかった」

 東京電力福島第1原発事故で、当時の吉田昌郎所長が、事故直後の早い段階から原子炉を冷やすために海水注入を指示していたことが、政府の事故調査・検証委員会の聴取に答えた「吉田調書」で分かった。海水注入の検討の際には、現場と東電本店(東京都千代田区)など外部とつないでいたテレビ会議の音声を遮断していたことも判明。海水注入は塩分が炉を傷め、廃炉につながるため躊躇(ちゅうちょ)していたと批判されたが、現場では廃炉を前提に注水を検討していた。

 国会事故調査報告書など公表資料によると、海水注入の指示は、平成23年3月12日午後2時54分とされている。その1分前には注水していた淡水が枯渇した。

 吉田調書によると、吉田氏は「指示はもっと早い時点にしている」と強調。時間は明確ではないが「冷やすのに無限大にあるのは海水しかないから、もう入れるしかなかった」とし、12日午前中の淡水注入の段階から検討していたという。

 さらに吉田氏は海水注入を東電本店と相談しなかったことにも言及。「別にいちいち言う必要はない」として、テレビ会議の音声を遮断していたという。

 テレビ会議の公開映像によると、吉田氏が1号機への海水注入の翌日となる3月13日、2号機の原子炉を冷却するための海水注入の準備を報告。その際、東電本店の社員が「いかにももったいないなという感じがする」と話し、塩分で腐食し廃炉になることを本店側が恐れた場面がある。

 しかし吉田氏は聴取の中で機器への損傷を問われると「燃料が損傷している段階でこの炉はもうだめだと。再使用なんて一切考えていなかった」と廃炉が前提だったと証言している。

 海水注入をめぐっては12日夜、首相官邸側からの中止要請を無視し、吉田氏が運転員に中止しないよう耳打ちし注入継続を指示していたことが明らかになっている。このことについて吉田氏は「注水を停止するなんて毛頭考えていなかった。いつ再開できるか担保のないような指示には従えないので私の判断でやる」と述べた。(「吉田調書」取材班)

海水注入「テレビ会議、音声切った」「うるさい、黙っていろ、と」

 東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏の聞き取り調査をまとめた「吉田調書」。2回目は、原発への海水注入に関する吉田氏の証言をまとめた。

 〈全交流電源を喪失した福島第1原発では、東日本大震災翌日の平成23年3月12日午後、炉心の状態が分からなくなってきた〉

 --水位計がおかしかったと

 吉田氏「間違いなくおかしかった。そこを信用し過ぎていたという所については大反省です」

 --水位計が信用できないと思い始めたのはいつか

 吉田氏「水位計そのものよりも放射線量が上がっているのがおかしいと。普通に冷却が効いていれば、水位はあって線量が上がることはないわけですね。想像からすると、燃料損傷に至る可能性はあるなと」

 〈燃料を冷やす淡水が尽き始める。通常は水につかっている燃料が露出すれば炉心溶融(メルトダウン)に至り、放射性物質が拡散する。現場では、苦肉の策として海水を投入する準備が始められた〉

 --最初の海水注入の指示は3月12日午後2時54分か

 吉田氏「書いてあるものとしては最初になるが、この日の午後から海水注入をする準備をしておきなさいということは言っております。3号機の逆洗弁ピット(くぼ地)に津波の時の海水が残っている。かなりの量があるというのを聞いて、そこから取るしかない。注水しようと最終決定したのが午後2時54分で、もともとの検討はその前にやっている」

 --海水注入はテレビ会議を通じて東電本店の人と話し合ったのか

 吉田氏「誰かに聞いたと言うより、淡水をいつまでやっていても間に合わない。だから海水を入れるしかないと腹を決めていましたので、会議で言ったかどうかは別にして消防班に海水を入れるにはどうすればいいのかと検討させた」

 --本店は把握していたのか

 吉田氏「細かい状況については報告していなかったですね。(テレビ会議の)音声切っていますよ」

 --切れるんですか

 吉田氏「切れる。図面を持ってきて、ポンプ何台か、消防車何台あるんだと検討している。それなら別にいちいち言う必要はないわけで。本店に言ったって、逆洗弁ピットに海水がたまっているなんていう情報は100万年経ったって出てきませんから、現場で探すしかないわけですね」

 --炉の中に海水を入れる経験は聞いたことがあったか

 吉田氏「世界中でそんなことをしたことは1回もありません。ないけれども、淡水が有限で、冷やすのに無限大にあるのは海水しかないですから、もう入れるしかない」

 --海水を入れると機器が全部使えなくなるからお金がかかるとは思わなかったか

 吉田氏「全くなかったです。もう燃料が損傷している段階でこの炉はもうだめだと。再使用なんて一切考えていなかったですね」

 〈12日午後3時半に海水注入の準備が完了したが、その6分後、1号機が水素爆発したため中断。再び準備が整ったため、午後7時4分に海水注入を開始した〉

--海水注入開始はこの時間でいいのか

 吉田氏「いろいろと取り沙汰されているが、注入した直後に官邸にいる武黒(一郎・東京電力フェロー)から電話がありまして、官邸では海水注入は了解していないと。だから海水注入は停止しろという指示でした。本店と話をして、やむを得ないというような判断で止めるかと。うちはそんなことは全く思っていなくて試験注入の開始という位置づけです」

 「ただ私はこの時点で注水を停止するなんて毛頭考えていませんでしたから、いつ再開できるか担保のないような指示には従えないので私の判断でやると。担当している防災班長には、中止命令はするけれども、絶対に中止してはだめだという指示をして、それで本店には中止したという報告をしたということです」

 --海水注入は所長に与えられた権限と考えるのか

 吉田氏「マニュアルもありませんから、極端なことを言えば、私の勘といったらおかしいんですけれども、判断でやる話だと考えておりました」

 --それを止めろというのは雑音だと考えるのか。本店との話し合いは

 吉田氏「何だかんだいうのは、全部雑音です。本店の問い合わせが多いんです。サポートではないんですよ。途中で頭にきて、うるさい、黙っていろと、何回も言った覚えがあります」(肩書は当時)

津波襲来、全電源喪失「はっきり言って、まいった」「絶望していた」

 東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏の聞き取り調査をまとめた「吉田調書」。3回目は、原発に津波が襲来した時の吉田氏の証言をまとめた。

 〈東日本大震災が発生した平成23年3月11日、運転中の1~3号機が緊急停止した。地震の約50分後、約15メートルの津波が襲い、全交流電源喪失状態に陥った〉

 吉田氏「これははっきり言って、まいってしまっていたんですね。もう大変なことになったと」

 --大変さの程度だが、具体的にどういうことをされたのか

 吉田氏「具体的な運転操作は、運転員の方がプロだから任せているんです。箸の上げ下ろしでこうやれ、ああやれということではない。対外的な連絡だとか、状況把握をするということがメーンだったと思います。地震があってみんな気持ちがこうなっている(動揺している)んで、落ち着いてやれとそれは言いました。余震があるかもしれないから、その注意はちゃんとしておけと」

 --非常用電源が使えないことで、次にどういう対応を取ろうと考えたのか

 吉田氏「絶望していました。全部の炉心冷却が止まって、バッテリーが止まった後、どうやって冷却するのかというのは自分で考えても、これというのがないんですね」

--緊急対策本部の雰囲気はどうだったか

 吉田氏「どちらかというと、みんな愕然(がくぜん)という感じで声が上がらないんですね。少なくとも技術屋の中では、大変なことになったという共通認識があったと思います」

 〈地震で外部電源は断たれたものの、原発の設備や機器に重要な損傷はあったのか、事故後大きな争点となった〉

 --津波が来るまでの50分間にどれだけ分かったのか知りたい

 吉田氏「スクラム(原発の自動停止)した後、いろんなパラメーター(数値)がとりあえず異常ないかと。各中央制御室に確認しています」

 --例えば、配管から水漏れが生じているとか、何か白煙が上がっているとか、平時と異なる事象がプラント内で生じているという情報は津波の前の段階であったのか

 吉田氏「基本的にはなかった。水漏れとか機器の損傷とか、私は全く聞いておりません」

 --地震後津波までに、人の生命、身体の安否の確認は

 吉田氏「グループ異常なしとか、全員いましたとかいう報告が随時上がってきています。プラント(原発)を運転している人たちは逃げられないから、各中央制御室で人員を把握して報告するというのが次々と入ってきました」

 --主要な機器を扱っている人は逃げてはいけないのか

 吉田氏「運転員は基本的には中央制御室から離れてはいけない。建物が壊れてもというのは極端な話なんですけれども、基本的には」

非常用電源が動き安心

 --運転している原子炉について、冷温停止に向けて危機感はあったか

 吉田氏「すごく強く持っていました。非常用電源が動いたので、ほっとしたんですね。こんな大津波が来るとは思っていないんですけれども、当然地震によって津波が来る可能性はある。海水系ポンプが引き波で使えなくなるのが怖いんですけれども、とりあえずプラントは一定の安全は保たれているという安心感はあったんですが」

 --津波が来るということに対して、かなり時間的に切迫していると思うが、何か対策として講じたことは

 吉田氏「津波の対応というのは結局、事前に手が打てるかというと、この時間で手を打てるものが全くない。津波が来ることを想定して、これから操作をしないといけないぞということだけです」

1号機爆発「短時間のドンという振動」「どう生かすかが一番重要だ」

 東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏の聞き取り調査をまとめた「吉田調書」。4回目は、1号機が爆発したときの吉田氏の証言をまとめた。

想定していなかった

 〈1号機は平成23年3月12日午後3時36分、水素爆発を起こし、原子炉建屋上部が大きく損壊した〉

 --どのように爆発を把握したのか

 吉田氏「爆発については全然想定していなかった。免震重要棟にいたが、1号機は全然見えないんですね。線量が高いから外に出られないような状態で、誰も外に行って見ていない。その時に下から突き上げるような、非常に短時間のドンという振動がありましたから、また地震だという認識でおりました」

 「現場から帰ってきた人間から情報が入ってきて、原子炉建屋の一番上が柱だけになっているという情報が入ってきて、何だそれはと。その後、けがした人間も帰ってきて。最初は原因が分からないという状況でやっていました」

 --爆発する前、炉心の状態はどのようなものだったか

 吉田氏「格納容器の圧力が上がっていたわけだから、ベント(排気)しようということで操作したわけですよ。バルブを開けても圧力

--水素が発生しているという認識は持っていたのか

 吉田氏「持っていました。ただし、格納容器の中にとどまっているので、まずは容器の圧力を下げないといけない。加圧している原因が水素であり、これをベントで逃してやらないと」

 --周辺では放射線量が相当上昇して、格納容器の中からどんどん漏洩(ろうえい)したという可能性が高かったのか

 吉田氏「高いですね」

今思えばアホだけど

 --水素爆発が意外だったというのは何か変ではないか

 吉田氏「格納容器の爆発をすごく気にしていたわけです。今から思えばアホなんですけど、水素が建屋にたまるという思いがいたっていない。今回の大反省だと思っているけれども、思い込みがあって、あそこが爆発すると思っていなかった。所長としては何とも言えないですけれども」

 --徹底的に考えないと

 吉田氏「今回のものを設計にどう生かすかという所が一番重要だと思っている。これからこの国が原子力を続けられるかどうか知りませんけれども、続けられるとすればそうですね」

 --爆発で損傷状況はどうなのか

 吉田氏「作業をしていた人間が上がってきて、破片やがれきなどいろんなものが飛び散ってきていますと。電源車が使えなくなったという話もきて、消防車も注水が一時できないような状態になっている」

 --作業員はいったん退避させているという状態か

 吉田氏「まずは安否確認です。とりあえず死んだ人がいないということでほっとしたが、一番近くにいたうちの保全担当が爆風で腕を折って帰ってきたんですね。そいつにどうなっているんだという話を聞いたら、もう大変ですよという話が入ってきた」

 「次のステップとして一番怖いのは格納容器が爆発するんじゃないかということになるが、データを見ていると容器の圧力は爆発前後で大きく変わっていないわけです。格納容器は健全だったということなので、要するに可燃源はもうなくなっている可能性が高いと判断して、水を入れに行かないとどうしようもないので、人をどうするかという判断が一番悩ましかった」

 --電源車も使えない状態だったのか

 吉田氏「新たな電源車をよそから注文して。これから先、山ほどいるでしょうから、手当たり次第送ってこいと注文はずっとしていた」

バランスでベントできない。もう1つは注水。この2本に絞って作業を傾注していた」

ベント躊躇せず「大臣命令で開くもんじゃない」

 東京電力福島第1原発事故で、当時の吉田昌郎所長への聞き取り調査をまとめた「吉田調書」。5回目は、原子炉格納容器の圧力を下げるベント(排気)に関する証言をまとめた。

一番遠いのは官邸

 〈平成23年3月11日の東日本大震災の津波の影響で冷却機能を喪失した第1原発。格納容器の圧力が最初に高まったのが1号機で、早い段階からベントに着手していた〉

 --12日に日付が変わる頃に、1号機のドライウェル(格納容器上部)圧力が600キロパスカルということで、格納容器内の方に圧力容器から放射能が漏れているんではないかという懸念が考えられた

 吉田氏「600キロパスカルだとすると、漏れているとしか考えられない」

 --そういう認識に至り、その次の対応として格納容器ベントを実施する可能性があることから準備を進めるよう指示しているが、(圧力抑制室の水を通す)ウエットウェルベントということか

 吉田氏「この時点では手順に従ってということなので、まずウエットウェルベントをして、それで下がらなかったら、最後は(水を通さない)ドライウェルベントをしなければいけない。こういうことを全部指示している」

--手順書では中央操作室のスイッチで弁が開けるが、今回はそれができない

 吉田氏「AO(空気駆動)弁のエアがない。もちろんMO(電動駆動)弁は駄目だと。手動でどうなんだというと、線量が高いから入れないというような状況が入ってきて、そんなに大変なのかという認識がやっとでき上がる。その辺が、また本店なり、東京に連絡しても伝わらない」

 --すごい階層がある

 吉田氏「一番遠いのは官邸ですね。大臣命令が出ればすぐに開くと思っているわけですから。そんなもんじゃない」

 --午前6時50分に(海江田万里)経済産業相が法令に基づくベントの実施命令を出した経緯は知っているか

 吉田氏「知りませんけれども、こちらでは頭に来て、こんなにはできないと言っているのに、何を言っているんだと。実施命令出してできるんだったらやってみろと。極端なことを言うと、そういう精神状態になっていますから。現場では何をやってもできない状態なのに、ぐずぐずしているということで東京電力に対する怒りがこの実施命令になったかどうかは知りませんけれども、それは本店と官邸の話ですから、私は知りませんということしかないんです」

被曝覚悟で手動、腹を決める

 〈午前7時11分、ベント遅れにいらだつ菅直人首相が陸上自衛隊ヘリコプターで第1原発に到着。吉田氏らから説明を受けた後、午前8時4分には宮城県に向け飛び立った〉

 --菅首相が第1原発に来て帰っていく上空をベントで(放射性物質を含む気体を)どんどん吹かしていくのはどうなのかということから、操作を遅らせたという判断は

 吉田氏「全くないですね。早くできるものはかけてしまってもいいんじゃないですかくらいですから。総理大臣が飛んでいようが、何しようが、炉の安全を考えれば早くしたいというのが現場です」

 --機材とか十分準備できていないし、線量も高いし、できるか分からないが作業を余儀なくされた

 吉田氏「被曝(ひばく)しますけれども、最後は手動でやるしかないというふうに腹を決めて、午前9時に(現場へ)やってくれとお願いした」

 --何かやろうと思っても何もできない状態なのに、下げろと言うんだったら、お前らやってみろと言うしかない

 吉田氏「現場はできる限りのことをやって、後がスムーズに行くようにと思っているんですけれども、なかなかそれが通じない。躊躇(ちゅうちょ)していると思われているんです。何も躊躇などはしていないですよ」(肩書は当時)

読売新聞系の「The Japan News」が「朝日新聞の捏造記事」を英文で報道しています。

投稿日: 2014年8月15日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

August 10, 2014

The Japan News by The Yomiuri Shimbun

 

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Asahi Shimbun makes long-overdue corrections over ‘comfort women’

 

7:52 pm, August 06, 2014

The Yomiuri ShimbunAfter a review of its reports on the so-called comfort women issue, which has become a huge thorn in the side of Japan-South Korea ties, The Asahi Shimbun has admitted its mistakes in the reports—albeit partially—and retracted some of the contents.

The retractions allude to reports on remarks by Seiji Yoshida, who claimed to have forcibly taken away local women from Jeju Island, South Korea, to make them serve as comfort women. During World War II, Yoshida was said to be the former head of the mobilization department of the Shimonoseki Branch of Romu Hokoku-kai, an organization in charge of recruiting laborers.

In September 1982, the newspaper reported—without verification—the remarks of Yoshida, who claimed to have “hunted up 200 young Korean women in Jeju Island.”

Misperceptions about Japan

The report added fuel to anti-Japan sentiment in South Korea, and also became a basis of misperception of Japan spreading through the world. In its Tuesday morning edition, the Asahi concluded—for the first time—that Yoshida’s remarks were baseless, and finally retracted the newspaper’s reports regarding the remarks.

We cannot help but point out the correction should have been made at a much earlier stage. Doubts about Yoshida’s remarks have been raised as early as 1992. The newspaper’s negligence in allowing the issue to linger for more than 20 years is deplorable.

The Asahi has, by its own account, reported about Yoshida on at least 16 occasions. Historian Ikuhiko Hata raised doubts over Yoshida’s remarks in 1992, but the newspaper has long refrained from making a correction.

In March 1997, The Asahi Shimbun carried a special article on the reports about the comfort women issue. However, the newspaper only said it was unable to confirm the authenticity of Yoshida’s remarks.

Yoshida’s remarks were cited by a 1996 U.N. Human Rights Commission report compiled by Radhika Coomaraswamy, helping propagate a misunderstanding in the international community that the forcible recruitment of comfort women took place.

Another serious problem with the Asahi’s reports is the mix-up between comfort women and female volunteer corps.

In a front-page article carried in January 1992, the Asahi stated that “South Korean women became the major target of forcible recruitment conducted in the name of the female volunteer corps. The estimated number [of victims] range from 80,000 to 200,000.”

The report was issued just before then Prime Minister Kiichi Miyazawa’s visit to South Korea. It prompted the government to conduct an investigation into the comfort women issue, resulting in a statement issued by then Chief Cabinet Secretary Yohei Kono, which expressed the government’s “sincere apologies and remorse” to former comfort women.

In Tuesday morning’s edition, the Asahi admitted its mistake over the mix-up for the first time, saying that the female volunteer corps refers to groups of women mobilized for work in munitions factories and elsewhere during wartime and are “completely different” from comfort women.

“We have been working not to confuse the two since 1993,” the newspaper said in the Tuesday edition. However, the Asahi’s reports have prompted the false understanding that even girls of primary school age were recruited as comfort women.

The Asahi defended its coverage by saying in its two-page spread: “Little progress had been made in investigating the comfort women issue at that time. Some documents to which [Asahi] reporters referred contained statements in which the female volunteer corps was mixed up with the comfort women.” Then the special feature said that some other national dailies had also published articles containing a similar mix-up.

In reporting on the female volunteer corps and Yoshida in initial stages, The Yomiuri Shimbun also ran some stories including factual errors. In the late 1990s and onward, however, we corrected such errors through our editorials and other articles.

Assertions unchanged

We question the Asahi’s assertions about how so-called comfort women were kept at facilities to provide sex for soldiers. Though the heart of the matter was whether they were recruited by force, the national daily argued that great importance must be attached to the fact that those women were caught in a situation marked by “a coercive nature” with which they had been “deprived of freedom.”

In initial stages, the Asahi continued to insist the crux of the problem was that these women had been forcibly recruited, citing testimony from Yoshida and other sources. However, the testimony and data used by the paper as a basis for its reasoning were later disproved. Then the Asahi started to argue that the retention of those women in facilities had a coercive nature.

The Asahi’s assertion has remained fundamentally unchanged in this respect, as illustrated by its latest feature, which stated that the essence of the problem lies in the fact that “women were deprived of freedom in brothels, and their dignity was violated.”

There is no doubt that a large number of women, including those from the Philippines and Indonesia, had their honor and dignity injured during World War II. There may have been cases deemed inexcusable from a present-day human rights perspective, even if no coercive action was taken by the prewar government and the military.

Still, it is necessary to discuss two issues related to the whole controversy as separate matters—that is, how to deal with sex-related issues facing soldiers and whether the Japanese wartime military was involved in forcibly recruiting women for the provision of sex.

Questions can be asked as to the appropriateness of calling the Japanese government to task by insisting coerciveness was prevalent in the provision of sex by those women in a broad sense of the term. We believe focusing on such questions is an attempt to sidestep the real issue.

Gaining a proper perception of history requires thorough efforts to uncover the whole truth behind any historical issue.

Better Japan-ROK ties needed

South Korean President Park Geun-hye strongly opposed a report issued by the Japanese government in June regarding the results of investigations into how the so-called Kono statement on comfort women was drafted and issued in 1993, using Coomaraswamy’s U.N. report and other data as a basis for her assertion. Her unbending hard-line stance on Japan is unlikely to change.

The government should not easily compromise on the controversy. It must persist in urging South Koreans to gain a proper understanding of our government’s stance on the comfort women dispute.

Relations between Japan and South Korea are strained today. There has been no summit meeting between the two nations for more than two years. We hope the media and the public in both nations will come to have an accurate grasp of all the facts, a task essential for their respective efforts to build a future-oriented relationship between the two neighbors.

(From The Yomiuri Shimbun, Aug. 6, 2014)

まずは皆様ご自身で記事の保存をおこなっていただき、あらゆる「つて」を頼りに拡散をお願いいたします。朝日新聞は、「自分たちの犯罪行為」を世界に謝罪する気はないようです。 ならば「私たちの手」で情報の拡散をおこなうしかありません。日本国民と世界中に暮らす日本人の名誉を傷つけながら反省もせず、謝罪行為をおこなわない朝日新聞関係者への攻撃を強めると同時に、「朝日のウソ」「韓国のウソ」を世界中に伝えましょう。記事の一部をご紹介します。

Misperceptions about Japan 


 「日本への誤解」 

The report added fuel to anti-Japan sentiment in South Korea, and also became a basis of misperception of Japan spreading through the world. In its Tuesday morning edition, the Asahi concluded—for the first time—that Yoshida’s remarks were baseless, and finally retracted the newspaper’s reports regarding the remarks.


 (朝日新聞の)その報道は、韓国の反日感情に燃料を注ぎ、世界中に広がっている日本への誤解の基礎になった。 火曜日の朝日新聞はその朝刊で-初めて-「吉田の証言には根拠がない」ことを認め、最終的にその証言に関する新聞報道を取り消した。


 We cannot help but point out the correction should have been made at a much earlier stage. Doubts about Yoshida’s remarks have been raised as early as 1992. The newspaper’s negligence in allowing the issue to linger for more than 20 years is deplorable.


 私たちは、「(朝日新聞は)もっと早い時点で訂正をおこなうべきであった」と指摘せざるをえない。吉田証言への疑念は早くも1992年から提起されていた。 20年以上も問題を引きずっている「朝日新聞の誤報」は嘆かわしいかぎりだ。 (一部抜粋)http://megalodon.jp/2014-0810-1647-44/the-japan-news.com/news/article/0001478078

「ライブドアニュース」によると、朝日新聞社長の木村伊量が「謝罪を拒否」したとことを伝えています。報道機関が、みずから誤報を認めておきながら、「謝罪を拒否」するというのは常識では考えられません。以下、ライブドアの記事です。

政治評論家の加藤清隆氏が、朝日新聞の木村伊量社長と、従軍慰安婦報道が誤っていたと朝日新聞が認めたことについて、会話した事を明かした。

 朝日新聞は5、6両日にかけ、これまでの慰安婦報道を検証する記事を掲載。朝鮮人女性を強制連行したという吉田清治氏の証言は虚偽だったとして、記事を取り消した。
 加藤氏は朝日新聞の検証記事が掲載された5日、木村氏と会う機会があったため、これらの記事に対する同社の姿勢について質問したという。
 加藤氏は「(朝日新聞が)ここまで吉田清治という人間の取材が間違ってたと、16本に及ぶ記事を全部取り消しますという。そこまで言うならば、はっきり一面で謝罪した方が良いよと、それが朝日新聞のためですよと言ったけども」と、その会話内容を語った。
 しかし、木村氏は「歴史的事実を変えることはできない。従って謝るようなものではない」と述べ、謝罪を拒否したという。
 加藤氏は、新聞社がこれほど多くの記事を取り消すとなった場合、けじめとして「謝罪文の掲載」と「社内の処分(32年前で関係者がいないなら現在の社長、取締役、編集担当、編集局長など)」が行われるべきだと主張。今回の一件で謝罪がなかったことにより、逆に問題を拡散させたのではないかと懸念した。
http://news.livedoor.com/article/detail/9134890/

正直言って、日本国内に存在する新聞社で、日本のみならず海外にまでデマ情報を日常的に拡散し、これほどまで「日本を辱め、日本人を苦しめた」新聞社は「朝日が史上最悪」でしょう。遅かれ早かれ、木村伊量には何らかの天罰が下ることになるでしょうが、私たち日本国民はもっと怒るべきです。朝日がやっているのは、バカな韓国人を扇動して、日本人を攻撃させているのですから。 朝日新聞関係者全員が、日本国民と、アメリカで韓国人から攻撃を受けている日系人、在米日本人に謝罪すべきです。 手遅れにならないうちにすぐに!