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神話や建国記述「間違ってない」「感動した」 一宮市教委の注意で削除の中学校長ブログに激励

投稿日: 2015年2月23日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

http://www.sankei.com/life/news/150222/lif1502220014-n1.html

≪愛知・一宮市立中学校長のブログ全文≫

 2月11日は建国記念日です。そこで、今日は日本のルーツ、日本の起源について、お話をしたいと思います。日本の建国は、今から2675年前の紀元前660年2月11日、初代、神武天皇が即位した日が始まりです。世界一広いお墓、大仙古墳で有名な、16代仁徳天皇が、ある日高台に登って遠くをご覧になられました。すると人々の家からは、食事の準備のために煮炊きする煙が少しも上がっていないことに気付いたのです。

 仁徳天皇は「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」と仰せられ、三年間、税を免除されました。

 税を免除したために朝廷の収入はなくなり、宮殿は大いに荒れました。天皇は衣を新調されず、茅葦屋根が破れ、雨漏りがして、星の光が屋根の隙間から見えるという有様でした。

 三年がたって、仁徳天皇が同じ高台に出られて、遠くをご覧になると今度は、人々の家々から煮炊きする煙が盛んに立つのをご覧になり、その時、仁徳天皇がこのように言われたということです。

 「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」

 そして、一緒におられた皇后に「私は豊かになった。喜ばしいことだ」とおっしゃったということです。

 皇后はそれを聞いて「陛下は変なことをおっしゃいますね。衣服には穴があき、屋根が破れているのに、どうして豊かになったといえるのですか」

 すると「国とは民が根本である。その民が豊かでいるのだから、私も豊かということだ」と言われ、天皇は引き続き、さらに三年間、税をとることをお許しにならず、六年が経過して、やっと税を課して、宮殿の修理をお許しになりました。すると人々は命令もされていないのに、進んで宮殿の修理をはじめ、またたくまに立派な宮殿ができあがったといいます。

 この話は神話であり、作り話であるという説もあります。しかし、こうした神話こそが、その国の国柄を示しているとも言えるのです。

 こうした天皇と国民の関係性は、何も仁徳天皇に限ったことではありません。敗戦直後の1945年9月27日、124代昭和天皇はマッカーサーと会見をしました。そして、その会見で昭和天皇はこのようにマッカーサーに話したのです。

 「今回の戦争の責任はすべて自分にあるのであるから、東郷や重光らを罰せず、私を罰してほしい。ただし、このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出る恐れがあるから、是非食糧援助をお願いしたい。ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので、その費用の一部に充ててほしい」と述べたのでした。

 それまで、天皇陛下が、多くの国王のように、命乞いに来たのだろうと考えていたマッカーサー元帥は、この言葉を聞いて、やおら立ち上がり、陛下の前に進み、抱きつかんばかりにして陛下の手を握り、「私は初めて神のごとき帝王を見た」と述べて、陛下のお帰りの際は、マッカーサー自らが出口まで見送りの礼を取ったのです。

 このように、初代、神武天皇以来2675年に渡り、我が国は日本型の民主主義が穏やかに定着した世界で類を見ない国家です。

 日本は先の太平洋戦争で、建国以来初めて負けました。しかし、だからといってアメリカから初めて民主主義を与えられたわけではありません。また、革命で日本人同士が殺しあって民主主義をつくったわけでもありません

古代の昔から、日本という国は、天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた穏やかな民主主義精神に富んだ国家であったのです。

 私たちは日本や日本人のことを決して卑下する必要はありません。皆さんは、世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ち、世界や世界の人々に貢献できるよう、一生懸命勉強に励んで欲しいと思います。(原文のまま)

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アンネ・フランクは生きていた。 フランシン・プローズという偽名で…。

投稿日: 2015年2月14日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

遠藤 富貴子さんの記事をシェアしました。
★アンネ・フランクは生きていた。
 フランシン・プローズという偽名で…。
アンネ・フランクは決して死んでいなかったし、
全く傷ついてもいませんでした。
全てはナンセンスです。
彼女らは皆をもてあそび、皆を騙してきました。
アンネ・フランクの家族は捏造、フランク家は詐欺です。
https://www.youtube.com/watch?v=uY3db-hEKUM
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【必見!】
ユダヤ人の正体(ベンジャミン・フリードマン)
https://www.youtube.com/watch…
1.何故米国がWW1に参戦したのか
2.英仏露のドイツに対して企んだ陰謀と理由
3.ユダヤ人の正体とは?
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(文字おこし)
FREEDMAN
ベンジャミン・H・フリードマンは20世紀の中で最も興味深く素晴らしい人物の一人である。
フリードマンは1890年に生まれ、ニューヨークで成功したユダヤ人ビジネスマンでした。彼は1度はウッドベリー石鹸会社の主な所有者でもありました。
第2次世界大戦後に彼はユダヤ人と袂を別ち、そして彼の残りの人生を彼のかなり莫大な資産で少なくとも250万ドルを米国を支配するユダヤ人の権力構造を暴露することに費やしました。
フリードマン氏の証言は特に重要であります。
なぜなら私達の国を支配する力を得る為の最高レベルのユダヤ組織やユダヤの陰謀に彼はインサイダーをもぐりこませていたためです。
フリードマン氏はバーナード・バルーク、サミュエル・アンターマイヤー、ウッドロウ・ウイルソン、フランクリン・ルーズベルト、ジョセフ・ケネディ、ジョン・F・ケネ¬ディなど我々の時代を動かしていた人々と個人的に知り合いでした。このスピーチは1961年にワシントンDCにあるウィラードホテルで愛国的な聴衆に向かってなされたものです。
コンデ・マギンリーに代わって当時の愛国的新聞「コモン・センス」のために行われました。
ですが若干この幅広い即席スピーチは時代遅れとなっています。フリードマン氏の私達への本質的なメッセージです。
彼から欧米への警告です。これはかつてないほどに切実になってきています。聞いて下さい。
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ここアメリカ合衆国においてシオニストと同宗徒たちは完全政治を支配しています。多くの理由があるため、ここで踏み込むには多すぎて複雑すぎます。今回、私は報告を支持する質問に喜んで答えます。
『シオニストと同宗徒たちはこの国の絶対的君主であるかのごとくアメリカを支配しています。』という事実です。
さて、こんなことを言うとたいへん大まかな報告と思われることでしょう。ここに出席しているあいだ、何が起きたか明らかにします。それを時代遅れのものにしたくないのですが、皆が眠っている間に起きたことを明らかにします。自分も含み、寝ていたのです。私たちはみな寝ていたのです。何が起きたのでしょうか。第一次世界大戦は1914年の夏に勃発しました。1914年は第一次世界大戦が勃発した年です。それを覚えている私の世代の人々がここに何人かいます。さて、戦争は一方がイギリス、フランス、ロシアで、他方がドイツ、オーストリアとトルコでした。
何が起こったでしょうか。二年目まではドイツ軍はその戦争に勝っていました。名目上勝ったのではなく、実際に勝っていたのです。ドイツの潜水艦は世界には驚異となり、大西洋からすべての護衛艦を一掃させてしまいました。イギリスは兵士への弾薬切れ、一週間分の食料しかなく、立ち往生。そのあとは飢餓のみでした。
同じく、フランス軍内では反乱が起きていました。フランス軍はソンム川のベルダン守備戦で60万の若い兵士を失いました。ロシア軍は逃亡していました。玩具を拾い、家に帰ろうとしていました。戦争で、もうそれ以上戦いたくはなかったのです。ロシア皇帝が好きではありませんでした。 そして、イタリア軍は崩壊していました。
さて、ドイツでは国内において一発たりとも発砲すらおきる状況ではありませんでした。何故なら、敵の兵士は一人たりともドイツの国境をくぐって、入国してくるものはなかったのです。圧倒的優勢な戦況にもかかわらず、ドイツはイギリスに平和条項を提案したのです。イギリスに和平交渉をもちかけて、法律用語では『旧体制に戻そう』というものでした。
すなわち、それは戦争をやめて、戦争状態の前に戻そうというものでした。まあ、イギリスは1916年の夏にはそれを考えていました。真剣に考えていました!選択肢がなかったからです。ドイツが提案した寛大な和平交渉を受け入れるか、このまま戦争を続けて、完全に敗北するかでした。
戦争が続く中、ドイツのシオニストたち(ここでは東欧から来たシオニスとを指します)はイギリスの戦争内閣へ行きました。
長い話になってしまうので、手短に申し上げます。ここにいる人たちで私が話していることに興味があるとか、信じられないならば、私は自分の作成した報告書を証明できる事実たる文書をもっています。ロンドンのシオニスト達はイギリスの戦争内閣へ行き、こう言いました。『ここを見てください。イギリスはこの戦争にまだ勝てますよ。あきらめることはないでしょう。ドイツが提案した和平交渉を受け入れる必要は有りませんよ。アメリカが同盟国として、参戦したらこの戦争に勝つことができます』と。
 その当時アメリカは参戦していませんでした。アメリカは元気で、若い国です。そして、財力があり、力がありました。
  そして、シオニスト達はイギリスにこう持ちかけたのです。『戦争に勝ったあと、パレスチナを我々に与えてくれることを約束してくれるならば、アメリカが同盟国となり、あなた方と共に戦うことを保障しますよ』と。
すなわち彼らはこういう取引をしたのです。『アメリカをイギリスの同盟国として参戦させる。そして、ドイツ、オーストりア、ハンガリーとトルコを征服し、戦争に勝ったあとにその代価としてパレスチナを差し出さなければならない』と。(中東に拠点が欲しかった。聖書を引用して)
すなわち彼らはこういう取引をしたのです。『アメリカをイギリスの同盟国として参戦させる。そして、ドイツ、オーストりア、ハンガリーとトルコを征服し、戦争に勝ったあとにその代価としてパレスチナを差し出さなければならない』と。
しかし、1916年の秋にはその約束をしてしまったのです。 1916年、10月です。そのあとすぐに、私はどれだけの人がそれを覚えているか知りませんが。一方、合衆国といえば、ほぼ全面的に親ドイツでした。完全に親ドイツでした。新聞はユダヤ人に支配されていて、銀行家もユダヤ人で、この国のすべてのマスコミはユダヤ人に支配されていました。国民と言ったら、親ドイツで、ドイツからやってきたユダヤ人が大多数だったからです。そんな親ドイツ派は、ドイツがロシア皇帝を鎮圧してくれるのを見たかったのです。
ユダヤ人はロシア皇帝が好きではありませんでした。この戦争にロシアが勝ってほしくありませんでした。だからドイツの銀行家たち、例にあげれば、ドイツ系ユダヤ人であるクーンロブや合衆国国内のほかの巨額銀行はフランスやイギリスに一ドルたりとも資金援助を断りました。傍観して、言いました。『フランスとイギリスがロシアと同盟関係でいる限り1セントも資金調達はしない』と。しかし、ドイツにはお金をつぎ込んだのです。ドイツにロシアと戦わせて、ロシア皇帝体制を崩壊させようとしたのです。
さて、この人たちと同じユダヤ人はパレスチナを得る可能性があると分かると、イギリスに行き、こんな取引をしました。そのとき信号が赤から青に変わるようにすべてのものが変わったのです。新聞はすべて親ドイツだったこもあり、ドイツはイギリスと商業上の理由かまたは違う観点で戦争をしていて、苦境にいると伝えていたところもありました。ところが、突然ドイツ人はよくないと書きました。ドイツ人は悪党。フン族。ドイツ人は赤十字の看護師を射殺している。赤ん坊の手を切っている。そして最低であると伝えたのです。
そうです。その直後ウィルソン大統領はドイツに宣戦布告したのです。
ロンドンのシオニストたちはアメリカの最高裁判所ブランディズ判事に電報を打ちました。『ウィルソン大統領の仕事に取り掛かってください。私たちは欲しいものを手に入れようとしているのです。さあ、仕事に行き、ウィルソン大統領の仕事に取り掛かってください。アメリカを参戦させるのです。』そしてそのように起きたのです。これがどのようにしてアメリカが参戦するに至ったかです。もう関心はありませんでした。戦争にいる権利はありませんでした。そのようなことがなかったらこの部屋にいる代わりに今夜は月に行っていたでしょう。
さて、戦争ですが、第一世界大戦にアメリカが参戦したことですが、参戦する絶対的な理由はありませんでした。参戦しましたが、強行採決されていたのです。もし私がみだらな者になりうるなら、シオニストがパレスチナを手に入れることができるように、単に騙されて参戦していたでしょう。さて、それは合衆国国民が伝えられていない事実です。第一次世界大戦になぜ参戦したのか決して知らされなかったのです。さあ、何が起こりましたか。
私達が参戦した後、シオニスト達はイギリスに行き、こう言いました。『そうですね。私たちは契約の一部を果たしました。取引を示すことを見せる文書を持ちましょう。そして、戦争に勝ったらパレスチナを下さい。』戦争がもう一年続くか、十年続くか分からないから。そう言って、領収書作りを始めました。それは手紙の形式を取り、まさに暗号のような言葉で記しました。何についてのことなのか世界がまだ分からないようにしておきました。
バルフォア宣言とはアメリカを参戦させた配慮として合意したもので、シオニストに払うべきイギリスの単なる約束事でした。この大変なバルフォア宣言とは、よく聞いているように3ドル紙幣がいかさまであるのと同じようにいかさまです。私はそれ以上に強調できるものではないと思います。
さて、それがすべての問題の始まりです。アメリカは参戦しました。アメリカはドイツを鎮圧しました。私達はそれにはまってしまいましたが、それが歴史です。
何が起きたかを御分かりですね。さて、戦争が終わるとドイツ人はパリに行きました。1919年パリの平和条約に出かけたのです。そこには117名のユダヤ人がいて、バーナンドバルク率いるユダヤ人の代表団だったのです。私はそこに参加していました。当然知っています。さて、何が起こったでしょうか。
平和会議でユダヤ人達はドイツを分断し、ヨーロッパを振り分けたとき、ヨーロッパの領土の特定の権利を主張するすべての国々にこう言いました。『私たちのパレスチナはどうなのですか。』と。初めてドイツ人の知識となるバルフォア宣言を創り出したのです。ドイツ人は初めて『ああ、策略だったのか!なぜ合衆国が参戦したのかわかった。』と言ったのです。そして、ドイツ人は初めて自分たちが敗北したことを悟り、自らにのしかかった恐ろしいほどの賠償金に苦しむことになったのです。なぜならシオニストがパレスチナを求めて、どんなことをしても手に入れようと決めていたからです。
さて、もうひとつたいへん関心のある核心を衝いています。ドイツ人がこの策略を分かった時、当然ながら憤慨しました。そのときまでユダヤ人はドイツで世界のどの国でも決してありえないような良い暮らしをしていたからです。
そこにはラーテナウ氏がいました。彼はこの国において産業と金融業界でバーナードバルーク氏の100倍重要な人物ではないでしょうか。バリン氏もいました。北ドイツロイドとハンブルグアメリカライン」二つの大きな汽船を所有していました。ホーエンツォレン家(1871-1918年ドイツを支配していた一族)に仕えたブレンチロダー氏もいました。ハンブルグには世界最大の商業銀行家のウォバークス氏がいました。ユダヤ人はドイツで商売を上手にやっていたのです。それについての疑問はありません。さて、ドイツ人は『それは酷い裏切りだった。』と感じました。
私が一番うまくなぞらえることが出来るのは裏切りです。合衆国が今日ソビエトと戦争中と仮定してみてください。戦争はアメリカが優勢だったとしましょう。そして、ソビエトに『ねえ、やめましょう。和平条項を提案します。すべてのことを忘れましょう。』と告げます。そうしたら、突然赤の中国がソビエトの同盟国として戦争に介入してきます。そして戦争に参戦すれば私たちに敗北がもたらされます。人間の想像力では測りし得ない賠償金をともない、壊滅的な惨敗です。
では、想像してみてください、その敗北後ずっと私達がともに仕事をし、忠実な市民だと思ってきた中国人がソ連に私達を売り、赤の中国が敵対して参戦してきたのは国内の中国人を通してだったとわかったら、アメリカ国内ではどう感じるでしょうか。中国人は一人として通りで顔を見せることなどしないでしょう。彼らを捕えるような便利な街頭だってありはしないでしょう。どう感じるか想像してみてください。
ええ、それこそドイツ人がユダヤ人達に対して感じていることなのです。
『ユダヤ人に親切にしてきたじゃないか。1905年からずっと、ロシアで初めの共産党革命が失敗して、ユダヤ人はロシアから逃げて、みなドイツにやってきたないか。ドイツは避難所を与え、親切に接してきたじゃないか。いわゆる『ユダヤ連邦』というパレスチナがほしいという以外にほかの理由もなく、ドイツを売り、川に投げ落としのだから。
さて、ナホム・ソコロウ氏、偉大な指導者は皆、いわゆる今日シオニズムと繋がりで読んだことのある有名人は、1919年、1920年、1921年、1922年、23年で新聞に投稿しました。新聞はそんな人たちの声明でいっぱいでした。ドイツのユダヤ人へ敵対感情の原因は、戦争中ユダヤ人による斡旋があり、それでアメリカの参戦が大きな敗北に至ったという事実をドイツが分かったからです。
ユダヤ人達自身もそうであることを認めています。ユダヤ人の血入りグラスはコカコーラやミュンヘンビールよりもおいしくないと1919年に気づいたのはドイツ人だったのです。そこには宗教的な意味はありませんでした。単なる宗教的信念の理由でも何の感傷もなかったのです。すべてが政治であり、経済だったのです。決して、宗教ではありませんでした。
ユダヤ人が帰宅し、日よけを下げ、『イスラエルよ、聞きたまえ』とか『わが父よ』と言っても、ドイツでは誰も気にしなかったのです。アメリカで気にする程ドイツでは気にしていなかったのです。のちにドイツで起きたこの感情は一つのことが原因でした。それはドイツ人は自分たちの敗北はユダヤ人のせいだと気づいたからです。第一次世界大戦はドイツの責任ではなく、理由もなくドイツに敵対して始まった戦争だということです。ドイツ人は何も根拠もなく有罪とされたのです。唯一成功していました。大きな海軍を築きました。世界貿易を築いたからです。
忘れないでほしいのは、ドイツの国についてです。ナポレオンの時代、フランス革命の時代に300国という小国でドイツ帝国が形成されていたことです。300ですよ!
都市国家、公国や侯爵領などでした。300もの小さな独立した政治的実体でした。そして、ナポレオンとビスマルクの時代のあいだに国々が一国として統一されました。その時代より50年以内にドイツは世界の列強国の一つとなったのです。海軍はイギリスに劣らず、世界中で仕事をしていました。だれにでも安いものを売り、よりよい製品を製造していました。
そして、何が起こりましたか。その結果として何が起こりましたか。
イギリス、フランスとロシアには策略がありました。三国が政治的にドイツを地図から外してしまおうと決める正当な理由が分かる歴史家なんて一人もいないから、ドイツを押さえつけようというものでした。
さて、その後何が起こりましたか。
ユダヤ人には敗北の責任があるとドイツが分かった時、当然憤慨しました。しかし、毛髪の1本すら傷つけていないのです。1本の髪の毛すらですよ。ジョウジタウン大学のタンシル教授はアメリカ国務省の全機密文書にアクセスしました。その中には1933年にいわゆる政治犯の収容所を調査するためにコーデル・ハルがヨーロッパに送ったユダヤ人のヒューゴ・スコーンフェルトがいました。そのスコーンフェルトが書いた国務省の文書を引用して、教授は本を書きました。
それによると、収容所では囚人は非常によい状態であることが分かったと返事に書いてありました。
囚人たちは体格が優れており、だれもがよく扱われているという内容でした。そして収容所な共産主義者でいっぱいだったのです。ええ、多くがユダヤ人で、当時ヨーロッパにいる98%の共産主義者がユダヤ人でした。そこには祭司がいましたし、閣僚、労働指導者、石工や国際提携を持つその他の人々がいました。
さて、ユダヤ人はこの事実にふたをし続けようとしました。ユダヤ人がドイツを売り、ドイツ人が憤慨したことを世界に本当に分かってほしくありませんでした。そこでドイツは適切な行動を取ったのです。言わせてください。ドイツ人はどこにおいてもユダヤ人を差別していたでしょうか。
ユダヤ人を敬遠していたのです。私達は同じことを中国人や黒人、カトリック教徒やこの国を敵に売り、敗北をもたらした他の人々にしたことでしょう。
さて、しばらくして世界中にいるユダヤ人はどうしてよいかわかりませんでした。だからアムステルダムで会合を開きました。
世界中のすべての国からユダヤ人が1933年7月に参加し、ドイツに向かってこう言いました。『ヒットラーを解雇しなさい。そして、すべてのユダヤ人たち、共産主義者であろうと何であろうと、元のところに戻しなさい。そんなふうに私達を扱えないはずだ。そして、世界中のユダヤ人はここに集まり、この最後通牒を出しているのです。』 ええ、ドイツはユダヤ人に言いました。想像できるはずです。そこでユダヤ人は何をしましたか。
1917年共産主義者が数日ドイツを占拠しました。ローザ・ルクセンブルグとカール・リープクネヒトやドイツにいるユダヤ人のグループが3日間政府を乗っ取りました。
実際、ドイツ皇帝が戦争を終えた時、共産主義者がロシアでやったようにドイツでも同じことをし、ロシア皇帝と同じ運命にあうと思ったのでオランダに逃亡しました。ドイツ皇帝はドイツを去り、安全と防衛のためにオランダに行ったのです。
さて、当時、ドイツの共産主義の脅威は鎮圧されました。それは静かでした。ユダヤ人は働き、元の位置を取り戻そうとしていました。
ドイツ人は、毛髪一本も傷つけることなく、できる限りのあらゆる方法で戦っていました。同じ団体として禁酒法支持者がいますが、アルコールに関心がある人と戦って、一人もピストルで射殺することはありませんでした。かれらもできる限りあらゆる方法で戦っていました。
ええ、それはドイツでユダヤ人と戦ってきた方法です。当時の頃の話を聞いてください。8千万人から9千万ぐらいがドイツ人で、46万人しかユダヤ人はいませんでした。ドイツの人口0、5%弱でした。にもかかわらず、ユダヤ人はすべての報道機関を支配し、経済のほとんどを支配してしまったのです。というのはユダヤ人は安いお金で入ってきたからです。マルクが切り下げられたのをご存じでしょう。ユダヤ人は実質的にすべてを買ってしまったのです。
ええ、ドイツが降伏を拒否したのが1933年です。いいですか。それはアムステルダムでユダヤ人の世界会議が開かれた年です。
会議が解散されて、アンターマイヤー氏はアメリカに戻りました。アメリカの代表団と全体会議の議長でした。彼は汽船から降りて、ABC放送局へ直行しました。アメリカ国内に流れているラジオでこう言いました。『世界のユダヤ人はいま、ドイツに対して聖戦の宣言をします。ドイツ人に対して私達は現在神聖な紛争をやっていきます。ドイツ人を餓死させて、降参させます。ドイツ人に対して、世界的なボイコットという手段を使います。ドイツは輸出業に依存しているので、それを破壊していきます。』
ドイツの食料の3分の2は、輸入されなければならない事実があります。そして、輸出の収益でのみ輸入が可能だったからです。だから、もしドイツが輸出ができないならば、ドイツの人口の3分の2は餓死することになります。3分の1の人口以上十分な食料がなかったからです。
さて、私がここに持っている宣言の中で、それはページの上に印刷されています。全ページにわたって。1933年8月7日ニューヨークタイムズの中でサミュエル・アンターマイヤー氏は大胆にこう述べています。『この経済ボイコットは自衛の手段です。ルーズベルト大統領はNRA(産業復興法)で使用を支持しています。覚えている人があるかと思いますが、ニューディール政策によって定められたルールに従わないなら、だれもがボイコットすることになっていました。勿論、この時点で最高裁判所は『違憲』と宣言しました。
それにもかかわらず、世界中のユダヤ人がドイツを敵対し、ボイコットを宣言しました。あまりに効果があり過ぎて、「ドイツ製」ということばを世界のどこのお店においても一点たりとも見つけることができないくらいでした。
事実、ウールワース会社の幹部は数百ドル価値のある瀬戸物や皿を川に捨てなければならないほどで、そうしなければ彼らのお店がボイコットされると話してくれました。だれかが店内に入ってきて、ドイツ製と刻まれた皿を見つけると、「ヒットラー」、『殺人犯」等の合図があり、デモが行われるのです。まるで南部で行われている座り込みデモのようなものです。
R.Hメーシーですが、たまたまユダヤ人であったシュトラウスという家族に支配されていました。ある女性が「ドイツ製」と刻まれてあるケムニッツ製のストッキングを見つけました。ええ、綿のストッキングでした。私はこの20年間女性の足を観察してきましたが、綿のストッキングを見たことがありませんでした。メーシーがそうでした!メーシーはボイコットされ、数百人が「殺人犯」、「ヒットラー」などの看板を掲げて、周辺を歩き回っているのを私は見ました。
さて、その時まではどのユダヤ人の毛髪一本も傷つけられることはドイツではありませんでした。苦しみ、飢餓も殺人もありませんでした。何もなかったのです。さて、当然ながらドイツ人は言いました。『私達に対してボイコットを宣言し、私達全員を失業に追いやり、産業を行き詰られている人々は誰なのか。だれがわたし達にそうさせるのか。』と。ドイツ人は同然ながら憤慨しました。確かにドイツ人はユダヤ人の店舗に「鍵十字」を書きました。
ドイツ人は店主のところに行きお金を与え、そんな店主もボイコットの一端をになっており、ドイツを飢餓にさせて、世界中のユダヤ人に降伏させようと企てているのに、なぜそんなことをすべきなのか。首相や長官にあるべきだった人を誰が命令するつもりだったのか?ばかげていました。
この状況がしばらく続きました。ポーランド出身の若いユダヤ人がパリのドイツ大使館に入り、職員の一人を射殺したのが1938年で、そのときに終わりました。そのごドイツ人は本当にドイツ国内でユダヤ人に対して乱暴に扱うようになったのです。そして、窓を壊したり、通りで喧嘩などをする姿を見かけるようになりました。
さて、「反ユダヤ主義」という言葉を意味がないから、使うのが嫌な人がいるかもしれませんが、しかし、意味があります。だから私は使っています。ドイツ国内のユダヤ人に対する感情で、その唯一の理由がユダヤ人に責任がるということです。第一が第一次世界大戦に対して、第二が世界規模のボイコットに対して、第三は第一次世界大戦は彼らに責任があると私は言ったでしょうか?ボイコットに対してーーーこんな状況が手に負えなくなってきたので第二次世界大戦にしても、ユダヤ人とドイツ人がどちらが生き残るかといことを確認するため戦争でかたをつけたほうがいいというのが絶対的でした。
この時期私はドイツに住んでいました。ドイツ人がヨーロッパがキリスト教が共産主義になるかを決めていたことを知っています。中間はありませんでした。ドイツ人は『できるならば、キリスト教を続けるつもりだ。』と決定しました。そして、再び武装し始めたのです。ドイツ人の意図はそれはアメリカがソビエトを認識したころで、1933年11月ごろでした
ソビエトがかなり力をつけたときでした。『ああ、もうじき出番が来る。もっとも強くなければの話だが。』とドイツは悟ったのです。
アメリカで同じことが言われています。『私たちの出番はすぐにくるでしょう。強くならなければ。政府は830億ドル、または840億ドルの血税を防衛費として使っています。』と。誰に対しての防衛ですか?ロシアを乗っ取り、モスクワにいる4万人のユダヤ人に対する防衛です。悪魔のような手段で世界中、ほかの多くの政府をも乗取ったのです。
さて、この国(アメリカ)では今、第三次世界大戦の危機に瀕しています。勝者が現れないから、私の想像力をひるませるのです。分かっています。核爆弾はメガトンという用語で測定されることを知っています。1メガトンはTNT100万トンという用語で使われています。さて、アメリカの核爆弾は10メガトンの力があり、それは1000万のTNT分に当たります。それは最初の開発期のことで、5,6年前のことです。さて、現在開発されている核爆弾は200メガトンの威力があります。そしてソ連がどのくらいメガトン級の核爆弾を持っているかは、神のみぞ知るところです。
ですから、今私達は何に直面しているのでしょうか。核戦争に発展しかねない世界戦争を誘発するならば、人類は消滅してしまいます。なぜそれは起こるのでしょうか。第三幕のために起こるのです。カーテンを第三幕のために開くのです。第一幕は第一次世界大戦で、第二幕は第二次世界大戦であり、第三幕は第三次世界大戦になるのです。
世界のユダヤ人、シオニストと同宗徒たちは、「世界政府」の足がかりとして永久にパレスチナを維持するために、アメリカをまた使うと決めているのです。それは、私がここに立っているのと同じぐらい真実です。私だけがそれを読んだのではなく、ここにいる多くが読んでいて、世界中に知れ渡っていることなのです。
さて、何をしましょうか。皆さんが救う命は皆さんの息子のものかもしれません。皆さんの息子が今夜出兵するかもしれません。1916年ロンドンでシオニストがイギリス戦争内閣に契約させ、ヨーロッパに息子を出兵させた内容以上のことを皆さんは知らないのです。
あなたはその時そのことを知っていましたか。アメリカ人、誰一人として知らなかったのです。知ることを許されていませんでしたから。
それでは、だれが知っていましたか。ウィルソン大統領は知ってました。ハウス大佐は知っていました。他の者たちも知っていました。
私は、知っていたでしょうか?何が起きているか、ある程度のところまで分かっていました。ウィルソン大統領が当選されたのが1912年ですが、私はその選挙期間中、ヘンリー・モーゲンソー・シニア氏の連絡係でした。事務所内ではそのような話が出てました。また、私は財務委員会議長であったヘンリー・モーゲンソー・シニア氏の諜報部員であり、シニア氏と会計係のロロ・ウェルズ氏の連絡係でもありました。だから私はウィルソン大統領がテーブルの先頭に座り、その他の閣僚も同席するような会合に一緒に座っていました。取り巻いていた連中がウィルソン大統領の頭に累進課税制度や何が連邦準備制度なのかをたたき込み、またシオニスト運動を教え込んでいたのを耳にしていました。
そして、ブランダイズ判事とウィルソン大統領はこの上なく親しく、ウッドロー・ウィルソン大統領は、何が起きているか決定することに関しては赤子のように無能でした。そのようなことを通してアメリカは参戦していったのです。私達がみな眠っているあいだに。
アメリカの青年たちは虐殺されるためにそこへ送られたのですか。何のためですか?そうすることで、ユダヤ人がパレスチナを自分たちの連邦として所有ことが出来るからです。ユダヤ人はあまりに多くだましたので、アメリカ人は行くのか来るのか分からなくなってしまいました。
 さて、どの裁判官でも陪審員に説示するときには『みなさん、ひとつでも嘘とわかるようなことを目にしたのなら、全ての証言を無視することが出来ます。』と言います。それは正しいです。ここにいる人たちのなかでどちらの州ご出身なのかはわかりませんが、ニューヨーク州ではそうやっています。もし証人が嘘を一つでもつくなら、その証言を無視するのです。
さて、事実は何でしょうか。ユダヤ人という言い方ですが・・・ユダヤ人としてその名を知られているので、みなユダヤ人と呼んでいますが・・・私はそう呼んでいません。 私は『いわゆるユダヤ人』と呼んでいます。何故なら、私は正体を知っているからです。さて、何が起きたのでしょうか。
東欧のユダヤ人は、世界に住んでいるユダヤ人口の92%を占めており、自分達のことをユダヤ人と呼んでいますが、もともとはカザール人だったのです。
アジアの中心で、奥深いところに住んでいた、好戦的な部族でした。非常に好戦的でだったために、アジア人は東欧に追いやってしまったのです。そして減らすために・・・それで東欧の歴史をそんなに混乱することはないでしょう。彼らははカザール王国を築いたのです。80万平方マイルの広さでした。ロシアもその他の国もなく、カザール帝国は欧州で一番大きな国で -あまりに巨大で、強力だったので、他の君主が戦争に行きたいときにカザール人4万人もの兵士を貸すほどだったのです。そのくらい巨大で、強いかったのです。
され、カザール人は男根崇拝者で、卑猥なものでした。今はその詳細に踏み込みたくありません。人々の信仰は他の多くの異教徒や世界の野蛮な人々と同じものでした。
さて、カザール王は国の堕落につくづくうんざりし、いわゆる一神教を採用しようと決めました。キリスト教かイスラム教のいずれかだったわけです。イスラム教徒の信仰、あるいは今日知られるユダヤ教・・・本当はタルムードですが。 だから、こまを回すように、『どれにしよう~かな・・・?』と言い、いわゆるユダヤ教を選び、国教となったのです。王はパンベディタやスラのタルムード学校に人を派遣し、その教えのもと数千人のラビを育てて、80万人の王国にシナゴークや学校を開きました。80万平方マイルの王国にですよ。そして、おそらく千人から2千人が、いわゆるユダヤ人になったのです。旧約聖書だけでなく、創世記のときにさかのぼっても、聖地に足を踏み入れた先祖を持つ人なんか一人もいません。誰一人もいないのです!それにもかかわらず、キリスト教徒のところにきて、パレスチナでの武装蜂起を援助するよう、こう言うのです。
『ええ、確かに神の選民を約束の地ー先祖の故郷へ帰還するお手伝いをしたいのでしょう。
私達はあなた方、キリスト教徒の救い主として、一人子を与えたのですから。日曜日に教会に行き、跪き、ユダヤ人を崇拝しているではないですか。私たちはユダヤ人ですよ。』と。
ええ、ユダヤ人というのはアイルランド人同様に改宗した異教徒のカザール人のことでした。それから、『聖地の人々』と呼ぶのは全く馬鹿げています。5400万の中国人イスラム教徒がいます。5400万人ですよ。モハメッドは西暦620年に死んだのですが、その当時5400万の中国人は宗教的信念でイスラム教を受け入れたのです。
では、想像してみてください。モハメッドが生まれたアラビアのメッカの町から中国は2000マイルも離れているのです。5400万人の中国人がアラブ人と呼んでいるとしたら。想像してみてください。そんな人たちを気が狂っているのではないかといいでしょう。5400万人の中国人がアラブ人であると信じる人はだれでも狂っているに違いないのです。その人たちはアラビアのメッカを起源とする宗教的な信仰を取り入れただけなのです。
同じことがアイルランド人にも言えます。アイルランド人がキリスト教徒になったとき、だれもアイルランド人を海に投げ込んだり、キリスト教徒である住人の新しい作物を聖地から輸入したりはしませんでした。アイルランド人にはキリスト教徒的な気質があったからです。異なった人々ではなかったのです。同じ人々で、キリスト教を宗教的信念で受け入れたのです。
さて、異教徒の話に戻りますが、アジア人であり、トルコフィン族で、アジアから東欧へ追いやられたモンゴル人種でした。カザールの王がタルムードを信仰したので、だれもが同じようにしたのです。選択の余地などありませんでした。スペインと同じです。王がカトリックなら、だれでもカトリックにならなければならなかったのです。そうでなかったら、スペインから出て行かなければならないのです。だからだれでも木と茂みのような土地で生計をなし、封建制度のもとに縛られている人間は – 皆、いわゆる「ユダヤ人」になったのです!
ですから、キリスト教徒にとってどんなにばかばかしいことか想像してみてください。- 世界の列強のキリスト教国が、『神の選民が祖先の地、約束の地へ帰還する援助をするので、力と威信を使います。』と言うのですから。
さて、それ以上に大きな嘘はあるでしょうか。 それ以上に大きな嘘はあるでしょうか。
ユダヤ人は新聞、雑誌、ラジオ、テレビ、出版事業を支配しているし、説教壇には聖職者がいて、演説台には同じ言語を話す政治家を持っているのです。頻繁に耳にすれば、自然に黒を白と信じるようになるのです。黒を黒ともう呼べなくなるでしょう。黒を白と呼ぶようになれば、だれもあなたを責めたりしなくなるでしょう。
さて、それは大うその一つですが、これこそ世界に起きたすべての不幸の根源なのです。『償いの日』がユダヤ人にとって非常に神聖な日であることを知っていますか。
そして、その日には・・・
私もその一人だったのですが!これは噂なんかではないのですよ。事実を伝えようとここに立っているのですから。私は民衆扇動家になるためにここにいるのではないのです。ここにいるのは事実を伝えるためです。
『償いの日』にはシナゴークに行き、最初に唱える祈りは「立ちなさい」で、これは立つための祈りです。三回短い祈りを繰り返します。それがコール=ニドレイと言われるものです。次の12年間、するかもしれないどんな宣誓、誓い、誓約を全能なる神と契約を取り交わすのですー12か月ー 次の12か月間するかもしれないどんな宣誓、誓い、誓約は無効であり、無駄になります。宣誓は宣誓でなくなるし、誓いは誓いでなくなり、誓約は誓約でなくなるのです。力、効力などもなくなるのです。
そして、それ以上にタルムードは教えています。『忘れないことだ - 宣誓、誓い、誓約をするときはいつでも、償いの日に唱えたコール=ニドレイを思い出しなさい。それは約束を果たすことを免除されることなのだから。』
あなた方はどのくらいユダヤ人の忠誠心に頼れますか。1916年にドイツ人が頼っていたのと同じようにユダヤ人の忠誠心に頼ることもできます。そんなことをしていたら、アメリカ人はドイツ人が苦しんだのと同じ理由で同じ運命に苦しむことになるでしょう。4-1

【野口裕之の軍事情勢】 イスラム国の蛮行で暴かれる「韓国が知られたくない恥史」

投稿日: 2015年2月2日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

           http://www.sankei.com/world/news/150202/wor1502020009-n1.html

 イスラム過激武装集団《イスラム国》と韓国が、小欄の頭の中で混ざり合った。両者に共通するのは「民主主義とは異質な法治体系」の他「歴史への常軌を逸した執着」ではないか。片や歴史を遡り、現代の主権国家枠を否定。片や歴史を遡り、主権を捏造し人権否定を覆い隠す。と、考えを整理していた1月23日、イスラム国の蛮行がきっかけで、日韓併合(1910年)の正統性や、百ウン十万と報じられてもいる韓国政府が行った自国民大虐殺など、「韓国が知られたくない哀史/恥史」へと筆を走らせる仕儀と成った。

独立認めなかった米国

 1月23日。イスラム国が拘束したジャーナリスト、後藤健二氏(47)のご母堂(78)は会見で、父親が日韓併合時代、朝鮮・馬山(マサン)に駐屯した大日本帝國陸軍の部隊長だった旨示唆した。調べると、朝鮮軍管区の馬山駐屯直轄部隊指揮官(中佐)がご母堂と同姓だったが、追加取材はしなかった。小欄の興味は、会見が誘った朝鮮軍管区を通して思い出した「韓国の哀しい生い立ち」にある。

 大日本帝國は1945年8月15日、大東亜戦争(1941~45年)敗戦を国民に知らせた。無政府状態を憂う朝鮮総督府は《朝鮮建国準備委員会》設置を比較的冷静・公平に対処できる朝鮮人指導者に要請した。ソ聯軍侵攻→朝鮮人政治・思想犯の釈放・流出→朝鮮共産化→日本人への掠奪・暴行…が想定され、朝鮮人釈放や治安維持への協力を取り付ける意図もあった。だが、自治組織に過ぎぬ委員会は45年9月6日《朝鮮人民共和国》を樹立し“独立”を宣言してしまう。

 一連の流れの中で、朝鮮総督の阿部信行・陸軍大将(元首相/1875~1953年)や朝鮮軍管区司令官の上月良夫・陸軍中将(1886~1971年)が総督府はじめ主要な建物から日章旗を降ろし、太極旗(現韓国国旗)を掲揚させる。

 しかし“独立宣言”直後、進駐した米軍は太極旗を降ろさせ、日章旗を再び掲揚させた。米軍の軍政が本格的に始まるや、日章旗が星条旗へと付け替えられた。なぜか-

 米国は日章旗掲揚で朝鮮=日本だと公認。軍政に正当性を持たせた。朝鮮が別国家ならば解放したことになり、解放後は統治を朝鮮に任せる過程を生む。従って終戦直後、米軍上陸前の統治を総督府に密命した。治安も朝鮮軍管区や日本の官憲に担わせた。上陸後も、日本人官吏は相当期間軍政を支援、治安も軌道に乗るまで日本側が協力した。日本側の統治能力や軍紀を大いに評価していた背景も在った。反面、米国は当初、朝鮮人を軍政より徹底的に遠ざけた。朝鮮人の軍政登用は牛歩で進められた。なぜか-

強弁だけの「抗日戦」

 統治能力欠落や、度を超した自己主張、激高しやすい民族性に加え、偏狭な民族主義者や共産主義者が入り乱れ、一致団結して建国に邁進するまとまりに欠けている…など。こと朝鮮人に関し米国の学習能力は高かった。実際45年秋、30もの朝鮮人軍閥が警察署や新聞社、企業・工場・商店を勝手に接収。米軍は武装解除を強制したが効果は限られた。政党や政治結社も200近くにのぼり、指導者は内部抗争を繰り返し暗殺・テロが横行した。そも朝鮮人民共和国ですら中華民国に建てた韓国臨時政府と対立。2つの“政府”それぞれの内部でも抗争に明け暮れた。米国は朝鮮人の政党も政治活動も全く認めなかったのに、この有り様。

 斯くなる混乱では、38度線の北側に陣取るソ聯軍に対する力の均衡維持は覚束ない。米国の最重要課題はソ聯の半島支配阻止で、南朝鮮独立は副次程度の認識だった。米国は、曲がりなりにも内閣・政府を通じ権力を行使した日本と同じ統治形態ではなく、韓国に直接軍政を敷いた正解を噛み締めた。

 しかも朝鮮人は戦前~戦中~戦後と、日本に向けまともなゲリラ抗戦も民族蜂起も起こしていない。むしろ帝國陸軍内の朝鮮人高級軍人の武勇は目覚ましく、触発された朝鮮人が志願兵募集に殺到した。42年と43年の場合、募集各4000/6000名に25万5000と30万人超が受験。競争倍率63/50倍が裏付ける朝鮮人の戦意に日本=朝鮮一体を確信する米国専門家もいた。

 韓国が「日帝を打ち負かして独立を勝ち取った」と強弁しようと、独立は日本敗戦3年後。米国は聯合国による長期の半島信託統治を描いたが、北朝鮮に統一国家を建設する動きを見せたソ聯に対抗、韓国の独立実施を大きく前倒しした。日本ではなく、日本に勝った米国に棚ぼた式で譲ってもらったのだ。

無辜の民を大虐殺

 哀れ韓国は「歴史の不完全燃焼」に身悶えるだけでコンプレックスを癒やせない。制御不能な嫉妬の炎は“歴史の新作”を次々ひねり出すエネルギー源と化す。半面、取り憑かれたような情念で日本を「口撃」している間は、不都合な史実は目立たない。韓国の為政者の反日カードは国家戦略であり続ける。

 《国民保導連盟事件》も反日の激しさで埋没させたい超弩級の傷。会見で具体名が出た「馬山」も事件の舞台だった。

 保導連盟とは、共産主義者が転向し、韓国に忠誠を誓う人々と家族を再教育・統制すべく立ち上げられた思想保護観察組織。ところが、朝鮮戦争(1950~53年休戦)勃発で連盟加入者名簿は虐殺リストに変わる。北朝鮮軍がソウルに迫るや初代大統領・李承晩(イ・スンマン)大統領(1875~1965年)は国民や韓国軍将兵を見捨てて逃亡。その際、連盟登録者を“危険分子”として処刑するよう軍・官憲に命じた。北朝鮮側間諜が紛れた可能性は有るが、大多数は無辜の民。食料の優先受給目的で登録した人もいた。政治犯ら政権に目障りな人々もついでに抹殺された。韓国紙によれば60万~120万人、政府も《子供を含む最低10万人以上》の国民を虐殺し、排水溝や海に遺棄した暴挙を認めた。馬山でも廃坑や刑務所内で殺戮が行われた。

 おびただしい数の韓国人が難を逃れ、日本に密入国し、大半が居座った。そうか。(南北)朝鮮とイスラム国の最大の共通項は凶暴で残忍。であるが故に大量の死者・棄民を輩出しても心痛まぬ思考回路。まだある。日本を歴史捏造でいたぶり、つきまとって離さぬ韓国。日本人を拉致・誘拐する北朝鮮とイスラム国。わが国を「解放」でじらす外道ぶりはソックリだ。(政治部専門委員 野口裕之/SANKEI EXPRESS