日本の中にある三つのミステリー・ゾーン

投稿日: 2015年4月3日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

もしかしたらミステリー・ゾーンと言ったほうがいいかもしれない場所を、

 一つ目は「田代峠」宮城県と山形県の県境にあります。
ここはUFOの地下基地があるとも言われており、1968年1月17日に
当地で墜落死した航空自衛隊松島基地所属のF86セイバー戦闘機のパイロット、
紙西一等空尉の慰霊碑があります。
 この墜落事故についてもUFO関連で語られることもあるようですが、それらの元ネタになっているのが、高橋コウという女性の手記に書かれた内容で、昭和50年に『婦人公論』誌に掲載された実話とされているようです。

 並木伸一郎氏の話を引用しておきます。
「山形県北東部、宮城県との県境にある”田代峠”周辺は、UFOの目撃をはじめ不可解な航空機事故が多発、加えて旧日本軍の秘密大洞窟までもが存在するという、東北最大の”超怪奇ゾーン”である。
筆者はこの秘密洞窟探しを、98年来ずっと続けている。
きっかけは、高橋邦泰さん(故人)の「山菜をとりに田代峠の奥まで侵入した際、
緑色のガスに包まれて大洞窟に導かれた。磁石がグルグル回り、その内壁には雑多な金属が張りつき、中に”金星発動機五十二型昭和十九年三菱航空機株式会社”と刻まれたプレートがあった」という摩訶不思議な体験を知ったからだ。
調査の過程で、このプレートにリンクする情報を得た。
太平洋戦争末期、日本軍はナチス・ドイツのメッサーシュミツトを模した、国産初のロケット戦闘機「秋水」を三菱重工によって開発させた。
秋水のエンジンは、日本飛行機の山形工場で作られていた。
完成5機、1号機はテスト飛行で大破。
戦後、米軍によって完成3機が没収された。注目すべきは残る1機の行方だ。
この1機が今なお日本のどこかに秘匿されているのだ。
かつて田代峠に日本軍が駐屯しており、終戦間際、地下の秘密工場で戦闘機を製造していたという情報がある。
事実なら、三菱の金属プレートが張り付けられていた大洞窟は、旧日本軍の秘密工場の入り口だった可能性が高い。
その先には広大な地下工場があり、密かに運ばれた幻のロケット戦闘機「秋水」
が秘匿されているとしたら、これはまさしく日本のX-ファイルである」(作家 並木伸一郎)
元話はこれです。 
田代峠の怪
高橋邦泰さんというのは話に出てくる高橋コウさんの息子さんでしょうか。

https://youtu.be/NZ8NAKdkm6A

その二は尾瀬湿原内にある「岩塔盆地」です。
これは不可思議話の大先達である西丸震哉氏が命名した地名ですが、正式名称ではないようです。
「岩塔ヶ原」と言われることもあります。

あるとき西丸氏が航空写真を機械で立体視していたら、湿原の中に尖ったドーム状の地形があり、人工物のようにも見える。
仲間をさそって実際に行ってみたら、岩塔自体は小山に木が重なって生えているものだったが、そこで奇妙な体験をした、という内容が『山だ原始人だ幽霊だ』だったか、(違ったらごめんなさい)に書かれていたと思います。この地は、地下の大神殿がある、ドッペルゲンガーに遭える、生き残ったサンカの住処であるというような噂があり、立ち入り禁止区域という話もありますが、いろんな人がブログに現地の写真などを載せていますね。 
 西丸オヤビン(敬愛を込めてそう呼ばれる)の話を引用してみます。
「何度か山で見た男の幽霊のなかで、本州の最奥、尾瀬ヶ原北方の山中、私が岩塔盆地と名付けた湿原地帯で出会った例を紹介しておこう。
 私のほかに五人ほどの仲間で、テントを設営して泊まり込んでいたある日の夕方、まだ明るい時刻に、山の奥の側から一人の男が近づいてきた。
こんな辺鄙なところに人がやってくるとはめずらしいなと思って見ていた。
前にそのあたりのことを山の雑誌に書いたこともあるので、それを見てやってきたのかな、と思った。
 だんだん近づいて、水たまりの水をはねながらやってくる。
彼は、私がはいていたのよりも立派な登山靴をはいていた。
私たちはテントを二はり張って、ちょうど夕飯の炊事の用意か何かをしていたときで、みんな手を休めてその男を見ていた。かれは、十数メートルほどの近くにまで来ていながら、われわれの話し声にも知らん顔、全然こちらを見むきもせずに
そのままスーとわれわれの横を通りすぎて行く。 私は前に穂高岳の下、横尾谷の岩小屋で、完全装備をした若い男の幽霊に同じような無視のされ方を受けているので、また出たなと思ってすぐに男のあとを追いかけた。
が、ちょうど原っぱの途中に張り出している林の角で一瞬のうちに姿を見失った。
 私も、すぐにその場所へ行って探したが、その向こうの原っぱにも姿は見えない。原っぱの中をあちこち駆けまわり、「オーイ」と呼んでみたけれども、何の反応もない。夕暮れどきだから、われわれの設営した場所をはずすと、
そのあたりには泊まり場がないはずなのだ。もっとも、ヤブの中であろうと何であろうと、よほど自信のある人なら、どこでも寝てしまえるかもしれないが」
 ここに到達するにはそんなに山登りはないけどかなり歩きます。
昼の印象は風光明媚そのものという感じですが、夜になると雰囲気が一変します。地下神殿?の入り口は、そうとう探し回りましたが、自分には見つけられませんでした。
*これは紹介していいかどうか迷ったのですが、種明かし編がありました。
場所は別のようですが。
私は幽霊にされてたようです

https://youtu.be/plidCt4lJ04

さて三つ目は、

前二つほど有名ではないんですが「田和山遺跡」(島根県松江市)
というところです。
『不思議ナックルズ』で紹介されたので少しずつメジャーになってきましたが、前二つのゾーンのように伝説化していくでしょうか。
 市立病院の移転にともない、新用地候補であった小高い丘から、弥生時代中期頃と思われる環濠遺跡が出土しました。環濠というのは基本的には堀ですが、木柵や防堤などをともなうこともある境界です。
環濠は丘の頂を囲むように三重に掘られていましたが、それに守られた頂には人の住む住居はなかったのです。
この当時の一般住居は竪穴式ですが、柱跡からの推測で、そこには神殿状の高床式の建物があったことがわかっています。
 この遺跡を巡って、保存派と病院建設強硬派とが対立し裁判にまで発展しました。

これはよくあることなんですが、他の例と異なるのは、当時の反対派の市長を含め、反対派の市議3人、そして開発が始まれば工事を請け負うであろう建築会社の会長、計5人がわずか2か月の間に相次いで急死したのです。
みな高齢ではありましたが、それぞれ現役で活躍されていた方々です。
 このことから地元では祟りの存在がささやかれるようになりました。裁判のほうは市側が遺跡保存に方針を転換したこともあり、保存が決定し国指定史跡となりました。この遺跡の特異な点は、上記したように他に例を見ない厳重な環濠が守っていたのは、出雲大社の原型を思わせるような神殿状建物であったことです。人の住む住居は環濠の外から見つかりました。
ここにはいったい何があったのでしょうか。

 環濠内からは三千個をこえる石つぶてや銅剣型石剣などが出土しましたが、
石の剣は実際の戦闘に使うには重く、またすぐ折れてしまうために祭祀用のものではないかと考えられています。これらから、ここは古代の儀式的な模擬戦闘の場であったとか、神殿に銅鐸を置いて守っていたとか、古代の貴人のための産屋であった(そこで出産をした)などの様々な説が出されていますが、確定はしていません。

 最後の産屋説は、有名な「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」というスサノオの命が詠んだとされる日本最初の短歌からきています。
「盛んな雲が立つ、湧き出る雲が八重垣を作る。我が妻を籠もらせるために八重垣を作る」というような意味で、妻を籠もらせるとは出産を意味すると解したのです。
 また、地元では「垣をめぐらした山には入ってはいけない。たちまちに死が訪れる」というような伝承があるとナックルズには書かれていました。

https://youtu.be/O00RHdjx4VE

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