悲劇の知日家 朴鉄柱氏 韓国が抹殺した韓国人

投稿日: 2015年4月8日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

悲劇の知日家 朴鉄柱氏 韓国が抹殺した韓国人

2015年4月8日 13:29

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●悲劇の知日家 朴鉄柱氏 韓国が抹殺した韓国人(動画)

https://www.youtube.com/watch?v=hFe2xkpupBo

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以下文字おこし

(大正十一年(一九二二)、釜山生まれ 平成二年一月逝去・六十八歳、

 昭和二十九年五月「日本文化研究所」を設立)

大東亜戦争下に日本の皇典講究所を卒業。下関の住吉神社に奉職。戦後韓国に帰国。

李承晩大統領の反日政権下にあって苦汁を嘗めさせられる。

(日本の学校を出た者は、「民族反逆者裁判条例」に引っ掛かり追放)

朝鮮動乱を経て、昭和29年5月に「日本文化研究所」を設立。

研究主題は
一、日本上代文化の研究
二、帰化文化の研究
三、日本の信仰、道徳等精神文化の研究

同じころの我が国が、敗戦により自国文化の否定、罵倒する言論がまかり通っていたのとは対照的です。

その後「日本と韓国」(韓国と日本ではない)という著書を南朝鮮で出版しましたが、

「反共法」に引っ掛かり、朴氏は裁判にかけられ、三年半の刑が言い渡されました。

著書は全て没収・焼却されました。

この著書は三分の二が日本への言及であり、日韓の恒久的安定が説かれていました。

出獄後KCIAからの査察を受け、何回か投獄の憂目を見ましたが、それでも初一念を曲げず「日本文化研究所」は名称を「韓日文化研究協会」と改め、細々と続けていました。資金なく、生活は文字通り赤貧洗うがごとき状態でした。

名越二荒之助氏が昭和四十二年に学生達と訪韓し「韓日文化研究協会」を尋ねた時に荒廃して目も当てられぬくらいの研究協会の建物を指さしながら「これで松下村塾なみになりました」とカラカラと笑いました。

名越二荒之助「朴鉄柱大人を偲ぶ」より

朴氏は吉田松蔭のような生き方をもって、日韓永遠の架け橋たらんとしていたのです。

私たちが来るというので、朴氏の弟子数人も集まっていました。

朴先生と弟子たちの目は爛々と輝き、底知れぬ迫力を感じました。

対座していると、反日砂漠の中でオアシスに出会ったような安らぎを覚えました。
朴会長は我々の訪問を待ちかねたように、語り始めました。

それは堰を切った急流のように溢れ出て、とどまることを知らず、三時間がアッという間に過ぎました。

「韓国から日本をながめていると、日本が〝心〟という字に見える。

北海 道、本州、四国、九州と〝心〟という字に並んでいるではないか。

日本はすばらしい。

万世一系の御皇室(御をつけらる)を戴き、歴史に断絶がない。

日本固有の神道が、現在に至るまで相続されており、全体が調和された形でできている。

〝八紘為宇〟という考え方は、日本の大らかさの現れであって、これは積極的に世界に知らせる必要がある。

それに較べて韓国の歴史は、悲惨であって断層が深く、涙なくして見ることはできない。

暗い場所から見れば、明るい所は余計にはっきりと解る。韓国は日本文化の豊かさの中から学ぶことによって、内面的支柱を確立するよう努力したい。」

「韓国の檀君神話といっても、あれは高麗時代、モンゴルの支配下に置かれた時、一然上人が民族精神を振起するためにまとめたもので、高麗神話の性格が強い。

ほかに新羅や百済や駕洛にも神話がある。

韓国は、日本のように統一した一つの 神話にはなっていない。


日本神話は、ギリシャやユダヤの神話に較べて明るく、ロマンの香りが高く親しみやすい。

それに日本神話は檀君神話より四百年も前にまとめられた。


私が日本神話に内面的親しみを感ずるのは、日韓は同祖だと信ずるからである。

それは民族学的な立場からも立証できる。韓国は古来から祖先信 仰と自然崇敬の念が強く、山神霊廟があり、それらをまつるために、『鳥居』や『しめなわ』『ヒモロギ』を使ってきた。それに日韓両国には、「白衣」の思想が あった(これらは中国にはない)。

日本の神職は、神に近ずく時には白衣を着る。韓国民も霊廟に参拝する時には白衣を着るし、目上の人に会う時にも白衣を着るのが礼儀となっている。まず自らの身を浄める訳である。」

「第二次大戦後の日韓関係は、李承晩政権の影響もあって、共産主義以上に日本を憎む傾向があった。

そのため日韓の氷山の一角を誇大に強調して、隠された部分を見落していた。

お互いの精神的歴史的豊かさを掘り起す努力をしようではないか。

そのために日本は自信をとり戻して、おおらかに民族形成の原点に立ち返ってほしい。」

「現在の日本人の自信喪失は敗戦に帰因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。

平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後までとり組んだ。

それまでの日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。

最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。

〝事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし〟

というのが、 開戦時の心境であった。

それは日本の武士道の発露であった。

日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨身の一撃を与えた。

それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。

日露戦争と大東亜戦争-この二つの捨身の戦争が歴史を転換し、アジア諸民族の独立をもたらした。

この意義はいくら強調しても強調し過ぎることはない。」

「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスを始めとする植民地を持った欧米諸国であった。

彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。

戦争に勝ったか敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決る、というのはクラウゼウィツの戦争論である。

日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。

日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、〝聖なる戦争〟であった。

ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐ回復できたではないか。

二百数十万の戦死者はたしかに帰ってこないが、しかし 彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇の対象となるのである。」

その後、朴氏は肺がんに犯された体に鞭打って、亡くなる一年前の平成元年一月に先帝陛下の御大喪の際に来日したそうで、朴氏から兄と慕われた中村武彦氏の文章より朴氏のお人柄を偲べます。

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<平成元年一月、先帝陛下の崩御の直後に重い足を引きずって彼は東京にやってきた。先ず二重橋の砂利の上にひざまづいて、長い間頭を上げなかった。

御大喪の日には、雨の中を早朝から皇居前の堵列(とれつ)に加わり、お見送り申し上げた。名も無き一韓国人が、瀕死の身を以て氷雨に濡れながら、泣いて先帝陛下にお別れしたその悲しい真心を、御神霊は必ずや御嘉納になったであろう。>

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この様な朝鮮人がいた事を決して忘れてはならないが、今の朝鮮は日本統治時代が良かったと言ったご老人が殴り殺され、その行為を賞賛する奴までいるような国となっています。

以上。

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【朴鉄柱氏の講演から】

 今いちいち申し上げる暇はありませんが、日本は善意はあっても悪意というものはなかったと云える。さっきも申しましたように日韓併合だって悪意じゃない。これも放っておけば、日清戦争でやっと独立権を回復してやったのに、又ロシアにやられてしまう、これじゃいつまで経ってもだめだ、それじゃ自分たちがやってやらなきゃだめだということなんで、私は善意に解釈すべきで、決して悪いことじゃないと思います。
 私一つだけ強調したいのは、昨今の教科書問題とかで日本の侵略だとか何かと言っていますが、これは欧米諸国のようなものではありません。欧米のアジア侵略こそは筆舌に尽し難いものがあったわけです。皆さんもよくご存知だからいちいち申しませんが、ジャワ、インド、ボルネオ、すべて席巻して独立国と云えるのはシャムと日本しかなかった。中国だってアヘン戦争でズタズタにやられている。事実はこういうことなんです。

ただ問題なのは今日の日本と韓国はどうしたらいいかということです。これは大変な問題です。
 先づ日本のことを申してすみませんが、日本は歴史教育が全く欠けております。なぜ歴史を教えないかというと、GHQの政策をそのまま受け継いでいるからです。これじゃいけない。教科書にその国の価値観持つのは当然です。するとね、韓国騒ぎ、中国騒ぎするから取りやめる、これじゃいつまで経っても本当の歴史は成り立たない。このことを皆様真剣に考えて頂きたい。
 と申しますのは、何度も申すようですが、日本は決して悪意でやって来たんじゃないということです。欧米の侵略戦争はもっとひどかった。それに比べれば何ということはありません。
 まあ、大東亜共栄圏ということばはあまり好きじゃなかったんですけれど、要は弱者を保護し解放するということが日本本来の思想だったんです。これは極めて正しいことです。そこが歴史をまともに教えないから、皆様がもう卑屈になったという経緯がないでもありません。ですから、そこの所を皆様方が若い人の教育に熱心に当って頂きたいということを願いする次第です。

 それから韓国も然りですが、教科書問題を始めいろんな問題で日本をたたくのは、これ援助してくれとか、お金をくれとか、借款くれとか、経済的魂胆が必ずあるわけですよ。だから、煩わしい、うるさいからやってしまえということではアジア問題、日韓問題はいつまで経っても同じなんです。そこの所をよく考えて、日本の政治家は勿論ですが、皆さんの周辺からも正しい歴史教育が出来るようにして頂きたいと思うんです。
 本当のアジア問題の解決には、自主性が第一。自主的な教育、自主的な憲法に基ずくことです。相手が聴かなければ説得すること、相手がすねていたら引張って来てでもやるという気概を持たないとダメだと思います。煩わしいから金やってしまえばそれまでだというんでは、いつまで経っても解決しないと思うんです。
 韓国でも中国でも過去の歴史にこだわって好きなこと云わせていたらキリがないですよ。よく南京事件のことを持ち出しますが、その前の済南事件などは日本の人がたくさんやられているんですから。
 私、大変僭越なことを申し上げましたが、これがこれからの日本の進み方の基本になると思います。これが出来ない限り、お金の援助をいくらやってもキリがないんです。

 戦前の日本の国家的行動を「侵略」の一語で片づけるような歴史観は、本当の事実を全く無視しています。
 中国革命の父孫文は当初滅清興漢をスローガンとして戦っており、玄洋社の頭山先生など日本の民間志士とのつながりが深かったんですね。偶々日露戦争が起きて日本海海戦で日本が大勝した時、孫文はロンドンに亡命していましてイギリスの高官と話をしたんですが、日英同盟のさ中というのにその某高官は、白人が有色人種に負けたのが悲しいというんです。というのは、イギリスとしてはロシアの南進政策を阻止する防波堤とするため日本と利害関係で結ばれていたに過ぎないのです。しかし最早日本の防波堤としての役は終ったということで、白人が負けたことが悲しいというんですね。
 そこで孫文は一念発起しまして日本と提携しなくちゃいけないというので帰国して来るんです。そして中東アジアの港々に船が泊まると、原地人達からあんたは日本人かと云われ、理由を聴くと有色人種が白人に勝ったのが嬉しいと云って喜んでいるんです。それで日本に来た時、大アジア主義という演税をしたんです。そしてこの時、満洲は日本に与えてもよいと云っているんですね。というのは満洲は清国を興した女真族の故郷であって、孫文としては清を中国本土から追い払って漢民族の国を建てようとしているわけですから、満洲を中国の一部とは考えておらず、寧ろ日本が投資してアジア防衛の根拠地にしてもらった方がよいと考えたわけです。
 だからこの方向に沿って日本の国家権力も動かされてきたわけで、日本は悪いことをしてないんですよ。少なくとも政府はどうあれ、在野勢力というのは本当にアジア諸民族の味方になって連携を保ってやって来ている。先程も云ったように黒龍会が東学党を支援したり、玄洋社が辛亥革命やフィリピン独立運動を支援したり……。
 そうしてみると、明治維新のパワーというのは、政権の座に就いた側になくて、在野の人達に大きな維新精神が受け継がれてアジア問題を常に真正面から捉えて来てたんですね。
 私も頭山先生に戦前一度だけお会いしましたが、君は金玉均タイプだと云われました。金玉均というのは、御存知だとおもいますが、福沢先生の門下でもありまして李氏朝鮮末期独立党を作って親日政府を構成し日本と協力して韓国を立ち直らせて東亜の安定を保ちたいと主張したんです。それを時の日本政府は相手にしなかったんですが、頭山先生らは支援し続けたわけです。これは非常に価値あることだと思います。こうした在野の努力を除いて近代日本の歴史
もあり得ないと思います。 だって当時日本政府の高官は鹿鳴館に象徴されるように欧米模倣になり切って何もなかった状態です。伊藤(博文)
さんなんかも、料亭に行くと、頭山さんが来てないか、と聴いて来ていない、というと入ったというんです。来てるというと逃げちゃうんですよ。それくらい時の首相も在野勢力を恐れていた。後の首相になった犬養さんなどもその頃は玄洋社の志士だったんです。
 今日でも皆さん達のような民間の人こそが真の日本の歴史に立って尽力して頂ければいつか必ずアジア諸国との深い理解と友好が成り立つんじゃないかと思います。

 政府に任せたらダメなんです。私のよく知っている立派な人でも政府と結託すると必ず悪く染まるんですよ。
 私自身も朴正熙の時代から共和党に来てくれと云われたことがあるんですが、私は日本文化のこと以外は政治も知らないし、但し「古事記」なら講義しましょうと云って断りました。それが却って向うの心証を害してしまいまして弾圧され
たんです。「日韓間題の将来」という本も書いたんですが、反共法に引っかかって刑務所に入ったんですよ。こういうよう政治家に任せると目先に追われてダメなんです。在野の方が結束して勉強し、修行教化していけばやがて実現しま
す。これが基本だと思います。
 但し日本はゆくゆくは憲法改正しなくてはいけませんね。私どもの情報では韓国政府もおいおいよくなりつつあるらしい。というのは韓国野党に私友人がいるんですが、結構立派な人がいますので、次期政権は野党に帰ってくると思うん
です。すると私も遅ればせながら命ある限り協力してやっていきたいと思います。
 今まではよくないことばかりでしたが、日韓の文化交流の根は非常に深いんですから、これを民間の力で充分掘り下げていく研究機関を作っていけば必ず道が開けると思います。

 私、冒頭にも申しましたように「私と日本」という本を書いておりまして、個人的内容かと思うかも知れませんが、これを書き通しておきたいと思うのは、韓国の若い人の将来のためなんです。私が先駆者とは申しませんが、少なからずそ
うした気概で書いていますから、日本文化の理解に一生捧げ尽くしたいということは誰か分かってくれるんじゃないかと思うんです。
 貴重な時間を私ごとき者のお話をお聴き頂き、有り難く存じました。今後とも御指導賜り相携えて仕事をしていきたいと思います。

以上です。

image朴鉄柱氏

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