南朝と北朝どちらに正当性が

投稿日: 2019年12月10日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

或る疑問がある。
南朝と北朝の正当性って説明されてもよくわかりません。
孝明天皇は北朝で、明治天皇からは南朝って‼
北朝は京都で南朝は吉野と教わった。

足利義満が「南朝を正統と認めます」という政治的決着で南北朝を合一したから、です。
そんな馬鹿な、南北朝は「北朝勝利」で終わったから、南朝の子孫は消えて、北朝の子孫が今の天皇に至るのではないのか?
この系図を見ても北朝の子孫が次の後小松天皇になって南朝に戻る?。

三種の神器は後醍醐天皇の許にあり、神器なくして擁立された光明天皇には正統性はない。そこで足利尊氏はなんとか神器を得ようと、一計を図って後醍醐天皇に京都へのお帰りを請うた。そして京都に戻られた後醍醐天皇を幽閉して、神器を光明天皇に渡すように強要した。

後醍醐天皇は、こうした事態も予期されていた様子で、偽物と言われる神器を渡された上で、秘かに、吉野に逃れ出た。こうして南朝が始まったのである。

後醍醐天皇在位のまま神器もなしの北朝擁立実質的にはそうでも、形式的には、南北朝の分裂は「南朝正統」で決着したんです。
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南朝が正統である」という聖断を下した
 1911年に、「南北朝のどちらが正統であるか」という議論が帝国議会で起きたことがあります。
 そのとき、明治天皇は北朝系にも関わらず、「南朝が正統である」という聖断を下したのです。

明治天皇の皇后が「皇太后」と書かれている
 明治神宮では、「明治天皇と昭憲皇太后(一条美子)を祭神としている」と書かれていますが、「皇太后」は「天皇の母親」という意味です。
 明治天皇の妻を言うのだから、本来なら「昭憲皇后」と書かなくてはいけません。
 宮内庁も明治神宮も、「今更正すことが出来ないから」という理由で、今もこの誤用を放置しています。

楠木正成を賛美した 明治天皇が43歳のとき、南朝系の武将である楠木正成の銅像を皇居に作ったことがあります。
 また、戦前の教科書では「楠木正成が英雄で、北朝の味方の足利尊氏が反逆者である」と書かれていました。

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