日本人よ誇りを持とう!!

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神話や建国記述「間違ってない」「感動した」 一宮市教委の注意で削除の中学校長ブログに激励

投稿日: 2015年2月23日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

http://www.sankei.com/life/news/150222/lif1502220014-n1.html

≪愛知・一宮市立中学校長のブログ全文≫

 2月11日は建国記念日です。そこで、今日は日本のルーツ、日本の起源について、お話をしたいと思います。日本の建国は、今から2675年前の紀元前660年2月11日、初代、神武天皇が即位した日が始まりです。世界一広いお墓、大仙古墳で有名な、16代仁徳天皇が、ある日高台に登って遠くをご覧になられました。すると人々の家からは、食事の準備のために煮炊きする煙が少しも上がっていないことに気付いたのです。

 仁徳天皇は「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」と仰せられ、三年間、税を免除されました。

 税を免除したために朝廷の収入はなくなり、宮殿は大いに荒れました。天皇は衣を新調されず、茅葦屋根が破れ、雨漏りがして、星の光が屋根の隙間から見えるという有様でした。

 三年がたって、仁徳天皇が同じ高台に出られて、遠くをご覧になると今度は、人々の家々から煮炊きする煙が盛んに立つのをご覧になり、その時、仁徳天皇がこのように言われたということです。

 「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」

 そして、一緒におられた皇后に「私は豊かになった。喜ばしいことだ」とおっしゃったということです。

 皇后はそれを聞いて「陛下は変なことをおっしゃいますね。衣服には穴があき、屋根が破れているのに、どうして豊かになったといえるのですか」

 すると「国とは民が根本である。その民が豊かでいるのだから、私も豊かということだ」と言われ、天皇は引き続き、さらに三年間、税をとることをお許しにならず、六年が経過して、やっと税を課して、宮殿の修理をお許しになりました。すると人々は命令もされていないのに、進んで宮殿の修理をはじめ、またたくまに立派な宮殿ができあがったといいます。

 この話は神話であり、作り話であるという説もあります。しかし、こうした神話こそが、その国の国柄を示しているとも言えるのです。

 こうした天皇と国民の関係性は、何も仁徳天皇に限ったことではありません。敗戦直後の1945年9月27日、124代昭和天皇はマッカーサーと会見をしました。そして、その会見で昭和天皇はこのようにマッカーサーに話したのです。

 「今回の戦争の責任はすべて自分にあるのであるから、東郷や重光らを罰せず、私を罰してほしい。ただし、このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出る恐れがあるから、是非食糧援助をお願いしたい。ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので、その費用の一部に充ててほしい」と述べたのでした。

 それまで、天皇陛下が、多くの国王のように、命乞いに来たのだろうと考えていたマッカーサー元帥は、この言葉を聞いて、やおら立ち上がり、陛下の前に進み、抱きつかんばかりにして陛下の手を握り、「私は初めて神のごとき帝王を見た」と述べて、陛下のお帰りの際は、マッカーサー自らが出口まで見送りの礼を取ったのです。

 このように、初代、神武天皇以来2675年に渡り、我が国は日本型の民主主義が穏やかに定着した世界で類を見ない国家です。

 日本は先の太平洋戦争で、建国以来初めて負けました。しかし、だからといってアメリカから初めて民主主義を与えられたわけではありません。また、革命で日本人同士が殺しあって民主主義をつくったわけでもありません

古代の昔から、日本という国は、天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた穏やかな民主主義精神に富んだ国家であったのです。

 私たちは日本や日本人のことを決して卑下する必要はありません。皆さんは、世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ち、世界や世界の人々に貢献できるよう、一生懸命勉強に励んで欲しいと思います。(原文のまま)

ヒナ祭りと桃の花

投稿日: 2014年3月3日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

ヒナ祭りと桃の花 男雛・女雛の実名(いみな)は?

第一話 天神四代とお雛様
 この物語は、遠い昔霧のかなたのおおよそ三千年前のお話です。
 天照神の日嗣(ひつぎ)の皇子(みこ)オシホミミとタクハタチチ姫(伊勢外宮・豊受神の玄孫・やしゃご)の結婚の儀を間近にひかえて、宮中は支度に追われる気忙しい毎日でした。
 その頃、天照神はイサワノ宮(現・伊雑宮いざわのみや。三重県磯部町)に坐して、君の御心は天下あまねく照り輝き民も豊かに暮らしていました。皇子オシホミミはタカの国府(こふ、現・多賀城市)のツボワカミヤ(壷若宮)に坐して、ヒタカミノ国(日高見国、旧・陸奥)を治めていました。
 そんなある日のことです。もうすぐ君の奥方になられるタクハタチチ姫(真名スズカ姫)の兄タカギが、君に質問をしました。これは、晴れの婚礼前に緊張を少しでも和らげて一時をくつろいでお過ごしいただこうとの配慮あってのことでした。
 「結婚式の時、神前で新郎新婦が交す三三九度のお神酒(みき)には、一体どんな言われがあるのでしょうか」と、居並ぶ諸神の同意を得るかのようにゆっくりとお聞きになりました。
 これを聞いた君はにっこりと微笑まれると、臣や司を始め大勢の諸神、諸民を前にして静かに天地創造の物語から始めました。
 「それは遠い遠い昔のことです。まだこの高天原(天体)が生まれるずっと前のこと、天も地も未だ分かれていない、もちろん太陽も月も星も生まれていない前のことです。このウツホ(宇宙)の闇を支配していたのは、混沌としたアワ、ウビ(エネルギー)のようなもので、それは限りなく巡り漂って煮えたぎり、姿も形もありませんでした。
 それから長い時が流れて、このウツホの闇が陰(メ)と陽(ヲ)に分かれる兆しが現われ初めました。
 やがてその中にアメミヲヤ神(天祖神)がお生まれになり、神が最初(うい)の一息(ひといき)をウビ煮えたぎるウツホに吹き込むと、宇宙は静かにまどかに(丸く)巡り始めて、その中心に天御柱(あめのみはしら)が立ち昇り、混沌とした宇宙はやっと姿を現わし始めました。
 清く軽く巡れるものは陽(ヲ・男)となって、左巻に廻り天となり太陽が生まれました。重く濁れるものは、右巻に巡り陰(メ・女)となり、このクニタマ(地球)となり、後に月を生みました。
 さてこの地球に最初にお生まれになられた神のお名前を、クニトコタチと申し、花タチバナの木を植えて理想郷トコヨの国を建国しました。  クニトコタチは八人の御子を産んで、その御子達を世界の八方に派遣し、それぞれの国を建てて治めさせたので、この八人をヤモヤクダリ(八面八降)の御子といいます。後にこのヤミコ(八御子)はそれぞれの国の国王の先祖となりました。この二代目の世嗣(よつぎ)の八御子を総称してクニサッチといいます。そのいわれは、クニトコタチは始め自分同様サギリ(厳選)の道を以て全世界を一人に統治させようとしましたが、各々譲り合ってお互いを立てたので、やむなくサッチ(分割)の道で国を与え治めさせました。
 ト・ホ・カ・ミ・エ・ヒ・タ・メの八御子の名は、各々クニサッチの神の頭文字を表わし、たとえばトのクニサッチ、ホのクニサッチ、カのクニサッチ。。。のように呼びました。このようなわけで、この国では八(ヤ)という言葉にはたいへん尊い意味があり、ヤモトカミ(八元神)とも言って、世界の大元はこの八柱により支えられています。
 後にこのトホカミエヒタメの八神は、各々五人ずつ子供をもうけました。
 次に、この八面(ヤモ・世界)を嗣いで治めた三代目の神の名をトヨクンヌといいます。トヨクンヌは天命を受けて、神の子孫を君、臣、民(きみ、とみ、たみ)のミクダリ(三降・三階級)に分けて各々の役割を定めて国を治めました。
 この神の弟君にウケモチ(保食)という神がいました。ウケモチの神は、何とか民を豊かに繁栄させたいと望んで、ある日天にましますアメミオヤ神に一心に祈ったところ、ついに御心が通じて天からヒヨウル種(太陽と月の精気を含んだ種)が落ちてきました。この種を水辺に蒔いたところ、ウル田(水田)のゾ苗(水稲・うるち)となって、八月一日(旧暦)には稲穂もあつく実って大豊作となりました。ウケモチはこの悦びを先ず兄トヨクンヌに報告して、八房(やふさ)に実った稲を献上しました。
 大変喜んだトヨクンヌはこの稲穂をアメミオヤ神とアメミナカヌシ神に捧げて、先ず感謝のお祭をして、各々県主(あがたぬし)に分け与えて国に籾(もみ)を持ち帰らせて、順次民に分け与えて広めたので、稔りの秋祭を皆が楽しめるようになりました。この時から民の糧も増えて暮しも豊かになり国の平和が永く続くようになりました。
 諸民は、ウケモチの神をイナリ神(稲荷)と称えて、後の世まで感謝の心を伝えました。これにより八月一日には親しい人を招いてご馳走をふるまい、お互いに贈り物をして楽しむ風習が始まりました。これを八朔(はっさく・八月一日)の祝といいます。
 さて話を元に戻して、トヨクンヌの神は男女合わせて百二十人もの御子に恵まれましたが、各々がお一人でお暮らしになり、男女が一緒に暮らす夫婦(めおと)の道はまだ定まっていませんでした。こんな訳で、三代目までの神様を独神(ひとりかみ)といいます。
 丁度、天の真榊木(まさかき)を植え継いで、五百本目になる頃のことです。四代目を嗣いだ男神の名前をウビチニと言い、この神はスビチニと言う女神と初めてご夫婦になられて最愛の妻としました。
 この両神(ふたかみ)の美しい物語が雛祭の由来となり、男女の結婚制度の始まりともなりました。」
 君はここまで一気にお話になると、一息つかれて、間もなく迎えるタクハタチチ姫との生活(くらし)に思いをいたし、大層和まれたご様子でした。
「むかし昔、コシの国(越前)のヒナルノ岳(現・日野山、越前富士)の神の宮(日野神社、福井県武生市)で、木の実をお持ちになってお生まれになった男女の御子がありました。
 その種を庭に植えておいたところ、三年目の三月(やよい)の三日に、百(たくさん)の美しい花が咲いて初夏になると香りの良い実が百(たくさん)なりました。花も果も百(モモ)に付いたので、この花をモモの花と名付け、実をモモの果と呼び、モモの木といいました。
 この若い両神(ふたかみ)の名前もモモの木と実にたとえて、男神の名をモモヒナギと名付け、女神の名はモモヒナミと名付けました。
 因にヒナ祭のヒナの意味は一(ヒ)から七(ナ)までで、まだ人(成人、一から十、ヒからト)になる前の若者のことです。  君と呼ぶのは、桃の木(キ)と実(ミ)のことで、この時から男神の名前には木(キ)、女神には実(ミ)と付けるのが習わしになりました。(例:イサナギ、イサナミ)
 モモヒナギとモモヒナミが人(ヒト)として立派に成人されたある年の弥生三日のことでした。この時初めて御神酒(おみき)を造り両神に奉りました。このお酒を造った神はイノクチという所のスクナミ神で、庭の竹株に雀がたくさん集まって籾(もみ)を入れるのを見ているうちに、ふと閃いて、籾を醸してにごり酒を造り、桃雛木(モモヒナギ)と桃雛果(モモヒナミ)神に、竹筒に入れて献上したところ、モモヒナギの神は大層このお酒をお誉めになり、スクナミ神にササナミという神名を新たにくだされました。このササナミ神は後にササケ山に祭られて、サケの語源となりました。この両神に捧げたお酒を、桃の木(キ)と実(ミ)にちなんでお神酒(ミキ)と名付けました。
 時は春、満開の桃の花の下で盃に酒を酌み、先ず男神が女神にすすめて女神が先に、逆さに写った月影をそおっと飲み、後に男神が飲んでお二人は床に入られ交わりました。これを、トコミキ(床神酒)と言います。
 お二人の愛の交わりは大層熱く、室に閉じ籠ったまま三日目の朝ようやく姿を現わしました。たぎりつきせぬ情熱を冷まそうと清流で寒川(さむかわ・氷川)を浴びた時、二人の情熱は完全に燃えて昇華していきました。その折に、袖を大(ウ)そう濡らしてしまわれたのが男神、少(ス)々濡らされたのが女神。それ以来、男神の名をウビチニ(大きくちびる)、女神をスビチニ(少しちびる)と名付けました。
 このウビチニとスビチニ神の愛の炎は高く天に昇って、これも古い伝えにある天地創造の頃のウビが煮えたぎる様を彷彿させるものでした。
 この様に多い(ウ)少ない(ス)を表わすウ・スのお名前の両神の美しいお姿は、男神は冠(かむり)をかぶり大袖を召し、袴をはいていました。女神は小袖に上被衣(うわかつぎ)を召して、二人立ち並ぶお姿(立ち雛)は雛形(ひながた)として、永く今日まで伝えられています。
 この時、両神にならって八十人の有力な神様達も皆妻を娶り、結婚式を祝うようになりました。この後、諸民も皆妻を定めて夫婦となり、この時結婚の風習が天下の法(のり)と定まりました。
 三年後の弥生の三日を記念して、ここに三三九度のしきたりがうまれました。
 この日の宵に花の下でお神酒を酌み交わした盃に、月が逆さに写り映えるのを楽しんで飲みほしたところから盃(さかずき・逆月)の言葉もうまれました。人々はこのサカズキを生んだ両神をヒナガ岳の神として末永く称えました。」
 君はこの後、五代、六代、七代の天神のお話に移っていきました。
第二話 少彦名(スクナヒコナ)と雛祭り
 大国主の本当のお名前をヤシマシノミノオオナムチといいます。
 生まれながらにして、優しい性格の持ち主で、人々の信望も厚く、国土経営にも優れた手腕を発揮しました。雨の多い冷害の年も、台風による被害にも、日照り続きの乾ばつにも人々を飢えから守るための倉には、備蓄米が満ち満ちて国は平和を謳歌していました。
 そんなある日、オオナムチが農業指導のために大国の郷(さと、現・豊郷、愛知川町付近、滋賀県)を巡視していた折、湖の彼方から鏡を舳先(へさき)に付けた舟が近ずいてくるのに出合いました。
 オオナムチが供の者に、
 「あれは何者か」と、聞きますが誰も答えられませんでした。その時一人クエヒコ(大神神社、摂社クエヒコ神社、奈良県)という者が進み出て申し上げるには、
 「あの者は、カンミムスビ(タカミムスビ六代目、白山神社祭神)の千五百人もある御子の中でどうしようもない落ちこぼれの、教えの指をもれ落ちたスクナヒコナでございます」と、答えました。
 これを聞いたオオナムチは思うところあって、スクナヒコナを丁重に迎えると手厚く恵んで、供に力を合わせて一緒に諸国を巡り国民の糧となる水田開発に努め、養蚕や裁ち縫いの技術を女性達に教え広めて国土経営に尽くしました。
 又、病める者のためには薬草を栽培して、時には人間にとどまらず鳥や獣の病気も治して愛情を注ぎました。
 ある時は、稲子(いなご)の大量発生の報を聞くとどんな遠方へも一緒に馬で駆けつけて、オシ草(玄人)と言う薬草で虫祓いをして民の糧を守りました。
 この様に、一見順風満帆の二人の国造りにも、満れば欠けるのたとえがあるように、暗い人生を暗示するかのような、むら雲がおおい始めるのを誰が知りえたでしょうか。
。。出雲の国譲り。。
 ついに、オオナムチは、いわれなく諸悪の根源として宮中から攻撃され、国を追われて最北の地、津軽に追放されてしまいました。
 この事件があってからのスクナヒコナは一人オオナムチと離れて、アワ国(現・滋賀県)に伝わるカダの楽器を一心に習得すると、あまりにも献身的に、あまりにも国に思いを託した自分の生き方をすべて捨て去り、心の苦しみを背負ったまま諸国流浪の行脚に身をやつしました。
 津々浦々を巡り歩いてカダ楽器で弾き語る物語は、いつも決まって人の心が美しく優しく輝いていた天神四代のヒナ祭りの物語でした。
 人々が忘れ去っていたヒナ祭りの物語を全国に教え広めて、やがて年老いるとついに和歌の国のカダの浦に一人至り、ウビチニ・スビチニの微笑む雛の国へと神上がりました。
 今日でも人々は、あまりにも一途で、あまりにも壊れやすかったスクナヒコナの人柄を知ってか知らでか、アワシマ神(注・アワの国に出現した神)としてご当地の淡島神社(別名 加太神社、和歌山市)にお祭りしています。
 毎年弥生の三日になると、全国各地から持ち寄った雛人形を社前に奉納し、雛流しの神事を盛大に祝ってスクナヒコナを偲んでいます。
第三話 結婚三日目朝の祝い歌
 これはヒコホホデミとトヨタマ姫の鹿児島宮(現・鹿児島神宮祭神カモハデズミ)で結婚式後の三日目朝のお話しです。
 トヨタマ姫の兄トヨズミヒコ(弟タケズミヒコは下鴨神社祭神、京都)は、今回新たに定まった六人の局(つぼね)達に、各々桃の花をあしらった揃の玉笠をかぶらせ、皆の手には木の玉椀(たままりも)に水を張って持たせると、いよいよ結婚三日目の朝、新婚ホヤホヤの二人が部屋から出てくるのを待ちました。
 やっと手を取り合って先に現われたヒコホホデミに、六人の局達は一斉に水を降り注いで声をそろえて歌いはやしました。
モモヒナギ  交合(まじばい)後の  三日の日の
川水浴びて  ウビチニの  上(神)から下(シモ・民)へ
花婿(はなむこ)に水  まいらせう  まいらせう
 この時、九州の三十二県の県主達(あがたぬし)も諸民と一緒になって声を揃えて、この祝い歌を唱いはやして、ついには万歳万歳(よろとし、よろとし)の喜びの声が輪となって国中に広がってゆきました。
終り
出典
 ホツマツタエ (国立公文書館蔵)
 秀真(ほつま)政傳紀 (和仁估安聰訳述)

 高畠 精二

シェアしてね!安倍総理の靖国参拝は世界から非難されてはいない!本当のアジアとアメリカの声!

投稿日: 2013年12月29日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

シェアしてね!安倍総理の靖国参拝は世界から非難されてはいない!本当のアジアとアメリカの声!

http://tinyurl.com/mjyztbg

2013-12-29 00:32:18NEW !
テーマ:ブログ

みんなの力を貸して!「本当の声」を日本中に伝えてください!

ベトナム:「我々は中国や韓国のような卑怯な外交手法をとるつもりはない」 


 なでしこりんです。安倍総理の靖国神社への参拝にケチをつけている中国や韓国の狙いは、自国の悪政をごまかすための手段であることを、実は「日本以外の国家」はよく知ってくれています。日本を愛する有志たちが、日本を守るために資料を集めてくれました。皆さんはこの資料をそのままでもいいし、自分の記事のネタにしてもいいので、一人でも多くの日本国民に「事実」を伝えてください。

アメリカでも国内から、「アメリカは日本に干渉すべきではない」という声明が出されています。オバマ政権は、中国や韓国による「政治目的の靖国攻撃」に利用された己の無知さに遅かれ早かれ気づかされることになるでしょう。でも今は、日本のマスゴミの「捏造情報」を上回る量を私たちは拡散しなければなりません。まずはあなたのブログやフェイスブック、ツイッターにこの資料を貼ってください。どうか日本を守るためにあなたの力を貸してください!みんなの力で日本を守りましょう! By なでしこりん

マスゴミが隠蔽する、中韓以外のアジア諸国及びアメリカの声


まずは本当のアジアの声

★シンガポール リー元首相:「靖国問題も中国が心理的なプレッシャーをかけているだけ」
★台湾、李登輝元総統:「国のために命を亡くした英霊をお参りするのは当たり前の事。外国が口を差し挟むべきことではない」
★カンボジア:フン・セン首相:「戦没者の霊を弔うことは当然のこと」首相の靖国参拝に理解
★インドネシア:ユドヨノ大統領:「国のために戦った兵士のためにお参り、当然」靖国参拝に理解
★ベトナム:「我々は中国や韓国のような卑怯な外交手法をとるつもりはない」
★マレーシア、外相:「過去は過去である」
★タイ:「参拝を支持」
★インド:「参拝を支持する」

★パラオ、レメンゲサウ大統領:靖国参拝に「すべての人のために祈るのは正しいこと」と支持を表明
★ソロモン諸島のケマケザ首相:「日本とソロモン諸島の共通の文化は先祖に感謝すること。英霊が祭られている場所を拝見したい」

ここからはアメリカの声

★マイケル・オースリン氏:「日本が対処すべき問題で、在日米大使館はあのような声明を出すべきではなかった。米政府は関係国の解決に向けた努力を促すべきで非難すべきではない」
★米ジョージタウン大 ケビン・ドーク教授:「靖国参拝は日本国民と、民主的な選挙で国民から選ばれた安倍首相ら国会議員が自身で決める、日本のすこぶる国内問題だ。中国と韓国がなぜ、この日本の国内問題に首を突っ込むのか、いまだに理解できない」

★シーファー元駐日大使:「アメリカ政府は、日本の靖国参拝に干渉することはない」
★ウォーツェル米中経済安保調査委員長:「『歴史認識非難』は単なる対日攻撃手段、靖国参拝、中止すべきでない」
★トーマス・スニッチ氏:「中国には日本の戦没者追悼に対し一定の方法を命令する権利はない 」
★アーサー・ウォルドロン氏:「事の核心は日本に対し覇権を確立したいという中国の野望だ」

日本の歴史が消え始めた・・・・日教組の影響か??

投稿日: 2013年5月18日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

645年→646年に変わった

大化の改新に「そもそもなかった」説

NEWS ポストセブン 5月18日(土)7時6分配信

 ほとんどの日本人が「645年」と答えるであろう「大化の改新」は、“蒸し米で祝おう”などと覚えたが、今の教科書では、646年の改新の詔から始まる政治改革に書き換わっている。だが、近年では、大化の改新すらなかったとする説が物議を醸しているのだ。
 大化の改新を簡単におさらいすると、645年に権勢を誇っていた蘇我入鹿、蝦夷(えみし)親子を中大兄王子(天智天皇)と中臣鎌足が誅殺した「乙巳(いつし)の変」が起こり、直後に即位した孝徳天皇が「改新の詔」を発令し、公地公民制など律令国家の礎を築いたとするもの。
 これがなかったとはどういうことか。大化の改新を否定する立命館大学の山尾幸久名誉教授が語る。
「『日本書紀』の孝徳紀には645~647年、天皇が11の詔を下したとあります。漢字の音訓が混じった和化漢文で書かれ、群臣の前で読み上げたとされています。しかし、和化漢文が一般化するのは670年ごろのことなので事実としておかしい。
 また、孝徳天皇が営んだとされる前期難波宮は、近年の発掘調査で、もう少し後世の天武天皇の時代のものではないかと見直されている。律令制度が我が国で本格化するのは、白村江の戦(663年)で敗北し、国内の改革を痛感するようになった天智天皇の時代だ。こうした点を総合的に判断すると、大化の改新なるものは疑う必要がある」
 もっとも、この説は山尾氏自ら「異端」と認め、今も学会の主流は改新の詔に端を発する政治改革は行なわれたとするものだ。だが、山尾氏はこうも続ける。
「『日本書紀』が編纂された奈良時代は天武天皇系がわが世の春を謳歌した時代で、真に律令制による改革を行なった天智天皇を過大に評価することはないだろう。何らかの政治的意図で天智天皇を“格下げ”するために、中大兄皇子を残虐なクーデターの首謀者として位置づけた可能性は捨てがたい」
 大化の改新を日本書紀の通り理解すれば、蘇我氏を滅ぼした国内のクーデターによって中央集権国家が誕生したことになるが、実際の改革がもっと後に行なわれていたとすれば、外圧に対する敗北で危機感を強め、国家を改革したという異なる歴史を読み取ることもできる。
※週刊ポスト2013年5月24日号

存在感薄まる聖徳太子 

十七条の憲法の功績も否定され始める

年々、教科書における存在感が薄くなっているのが「聖徳太子」だ。推古天皇の摂政として国政を担当、冠位十二階や十七条憲法を制定したと私たちが習った聖徳太子像は、今では厩戸王(うまやとおう)という呼び名が強調され、「国政の担当者」から「協力者」へと格下げされている。文教大学付属高校講師で、歴史家の河合敦氏は、聖徳太子が“失脚”した経緯についてこう話す。

「1996年に中部大の大山誠一教授が厩戸王は実在したが、聖徳太子の功績は『日本書紀』の編纂時に捏造されたものだとする論文を発表し、『聖徳太子非実在説』が論争を巻き起こしました。今では、教科書の記述が示すように厩戸王と死後に神格化された聖徳太子を分けるのが学会でも主流になっています」

 さらに、聖徳太子の最大の功績とされてきた「和をもって貴しとなす」の条文から始まる十七条憲法については、聖徳太子どころか実在の執筆者とされた厩戸王の功績としてすらも否定され始めているのだ。

 その鍵となるのが、唯一十七条憲法が記されている「日本書紀」だ。「日本書紀」は奈良時代の720年に完成。その一部である「推古紀」には、〈推古天皇一二年四月三日 皇太子(厩戸王)自ら憲法十七条を書き記した〉と記載されている。前出・河合氏が指摘する。

「厩戸王のころに皇太子という肩書は存在せず、条文の記述にも、当時は使われなかった『国司』という言葉が出てきたり、文法上の誤りが複数あったりするために、いつ誰かは分かりませんが、後世の捏造とする説もあります。ただ、聖徳太子の神格化は確実に見直されつつあるが、こちらの方はまだまだ議論の分かれるところです」

※週刊ポスト2013年5月24日号

徳川綱吉 教科書記述一変、

生類憐みの令は慈愛の政治と評価

いま使われている歴史の教科書では聖徳太子の事績や実在に疑問がつけられたり、鎌倉幕府の成立が1192年ではなくなっている。「いいくに作ろう鎌倉幕府」は今や「いいはこ(1185年)作ろう鎌倉幕府」になっているのだ。

 そして、教科書の変化で目に付くのは、人物評価の「上がった人」「下がった人」の明暗である。

 実在そのものにも疑問がついた聖徳太子が「下がった人」の典型だが、聖徳太子から親書を託され、最初に隋に渡ったとされた遣隋使の小野妹子も、そのひとり。

「無礼な(607年)遣隋使・小野妹子」なんて語呂合わせを覚えている読者は多いかもしれないが、山川出版社の教科書(以下、引用は同社のものより)では、現在では〈600年の派遣に続けて607年には小野妹子が遣隋使として中国に渡った〉と初の遣隋使ではなかったことが明記され、かつては太文字だったのも細字に格下げされた。親書を託した聖徳太子も存在が疑われているから、将来の教科書では名前そのものが消えているかもしれない。

 一方、歴史研究の成果で、逆に評価が上がった人物もいる。

 関ヶ原の戦いで西軍を組織した石田三成について、1988年版では〈五奉行の一人石田三成は、小西行長らとはかって家康の排斥をくわだてて挙兵し〉と悪役臭が漂うような表記になっていたが、現在は〈豊臣政権を存続させようとする石田光成と家康との対立が表面化し〉と、石田側にも大義があったように改められた。

 劇的に評価が上がったのが、江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉である。1988年版にはこうある。

〈生類憐みの令をだして犬や鳥獣の保護を命じ、それをきびしく励行させたため、庶民の不満をつのらせた〉
〈綱吉はぜいたくな生活をするようになり、仏教への信仰から多くの寺社の造営・修理を行い、幕府の財政を急速に悪化させた〉

 みなが知る暴君の印象を強めるものだったが、現在では180度変わった。

〈犬を大切に扱ったことから、野犬が横行する殺伐とした状態は消えた〉
 悪法とされてきた生類憐みの令が、〈綱吉政権による慈愛の政治〉とまで褒められている。『教科書から消えた日本史』の著者で、文教大学付属高校講師の河合敦氏は「綱吉ほど近年の研究で教科書上の評価が変わった人物はいない」という。

 徳川吉宗が「暴れん坊将軍」になったように、「憐れむ坊将軍」が時代劇になる日も近いかもしれない。

※週刊ポスト2013年4月19日号

中国に仕掛けられたら自衛隊の戦力ではどのようになるのでしょうか?日本優勢ですか?それとも負けちゃいますか?

投稿日: 2013年2月8日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

 空軍力は、空中早期警戒管制機から作戦誘導を受けられる航空自衛隊は、受けられない中国、韓国、北朝鮮の参加国の空軍に圧勝可能です。
これは、ミサイルを発射する機会を相手に与えないからで、ファントムが旧型であっても、ミサイル発射機として役立つところに、醍醐味があります。

 海軍は、遠距離作戦を行う能力と上記航空自衛隊に支援される海上自衛隊が圧倒的に有利ですが、潜水艦が原子力で無いので、シーレン防衛線で、中国に敗退する可能性があると思います。この場合、日本の国防は危機的状況になります。

 陸上自衛隊は、優秀な戦車を有していますが、いわゆる陣地を作成困難な現状では、制空権を奪取された場合、殲滅される可能性が高いと思います。
 しかし、結局、(1)予備役による戦力補充の有無と、

          (2)政治的に迅速に戦争を行うことが出来るがもっとも重要です。、今の日本は、アジア最弱の戦力であり、日米安保条約なしでは、独立は維持できないと思います。日米安保なしでは、中国や、北朝鮮による政治的な騒乱によって、日本の政治ががたがたになり、戦争どころでなくなり、戦力を有したまま敗北、占領されるでしょう。
 

この辺の議論すら出来ないので、日本は平和ボケといわれるのです。
(1)愛国心や国民としての国への義務の必要性と、それによってもたらされる

(2)国家による教育、福祉の国民への提供義務を、教育し、本来の国民を育てていくことが、適切な防衛力を育てる第一歩と思います。

 自衛隊を作った旧軍人は、本当の国民が育ったときに、すぐに役立つ軍になるよう、組織作り、装備の仕方などのノウハウを、今の自衛隊に残してくれていますから、一見、自衛隊は強いように見えますが、今の荒廃した教育を続けていくのであれば、戦争そのものが出来ません。
 つまり、自衛戦争が出来るようにきちんと教育することが大事と思います。

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ちなみに日本における米軍の弾薬量が馬鹿に多いのは、日本が世界最大の軍隊・アメリカ軍の弾薬庫だからです。逆に言えば、米軍だからそれだけの量を日本に備蓄している。
 自衛隊の弾薬貯蓄量は、ソースは飛びましたが世界では標準クラスのはずです。逆に言えば、防衛戦闘を行うにはそれなりに適当な量であるということです。
 極論を言えば、国際的な戦闘力の差の比較などあまり意味はなく、結局は現在想定しうる脅威に対してどれだけ対抗できる戦力とそれを支えるバックボーン(補給・資金・法的条件・国民の意識・国際環境etc)を持つか、ということなのですが、
「現在の自衛隊の戦力は国際的にはどの程度のものなのでしょうか?」
 とのご質問なので、こちらのほうに可能な範囲でお答えしたいと思います(あくまで主観ですが)。
 まずは海上自衛隊。こちらは、イギリス海軍などと共に米軍の次に位置しているとお考えください。これを損害を抑えて確実に撃破したいならアメリカ海軍の艦隊を2つ3つ引っ張って来い、くらいには。
 まぁ、西太平洋域をカバーする米海軍第7艦隊の補完部隊(攻撃力は断トツだが艦隊防衛力に難あり)というのは歴史的背景を考えれば事実でしょうか。
 東アジア圏の海軍力としては、アメリカを除外すればまずトップ。
 個人的には、軽空母があってもいいかなぁ(空母は攻撃兵器だ、ということで反発されますが空母が戦力に加わったくらいで侵略が出来るなら台湾海峡はとっくに火の海)。
 次に航空自衛隊。領域(領土・領海・領空)の広さと経済力から考えれば妥当な域にあると思います。兵器は比較的充実していますし、ソフト面も平均程度はあったのが、最近は伸び傾向にあるかと。
 紛争の危険性があり、あるいは現実に紛争を抱えている中東域の国々の平均を上回る程度の空軍力でしょうか。流石に、中東域では(これまた米軍を除いて)文句なしにトップのイスラエル程ではないかと。
 次期戦闘機は何になるんでしょうね……?
 最後に陸上自衛隊。
 陸自不要論なんてものを聞きますが、ナンセンス。陸上自衛隊に軍事上要求されるのは抑止力です。「陸上時3倍の法則」というのを聞かれたことはありませんか? 根拠は薄いらしいですが、感覚的に分かりやすいですし、言わんとすること自体はある程度正しいと思うので、これを例に挙げさせていただきます。
 単純に人数で考えますが、陸自の兵数が16万、これに打ち勝って上陸するには上記の法則からすれば48万以上の兵力を投入しなければならないことになります(あくまで単純化のための思考です)。海自と戦って、空自と戦ってやっと防衛線を突破して状態で、あと48万人戦力を投入する、というのは現実的には無理です。
 閑話休題。
 陸自の戦力、というと、フランス陸軍と同等あたりかなぁ、というのが主観です。東西を他国と陸続きで接しているフランスと同等なのですから、戦力的には十分。先進国の中では平均クラス、世界的には上位15には入る……?
 とりあえず、最近はテロや工作員とどう戦うか、というような体制に移行中。

海外メディア絶賛!金庫5700個で現金23億円!96%返還

投稿日: 2012年9月30日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★
海外メディア絶賛!金庫5700個で現金23億円!96%返還

金庫は5700個で現金23億円!!

恐ろしい金額です・・・。

中野寛成国家公安委員長は18日の記者会見で、

東日本大震災の被災地で拾得物として警察に届けられた金庫は

7月10日現在で

約5700個で、中から回収された現金が

約23億7000万円に上ったことを明らかにした。

岩手、宮城、福島3県警は、

このうち約96%に当たる約22億7000万円を持ち主に返還したという。

3県警は業者に委託して金庫を開錠。

中にあった現金を一枚一枚洗って乾燥させ、

預金通帳や権利書などから持ち主を特定した。

中身が空の金庫もあったが、

多くはホテルや旅館の客室に備え付けられたものだったとみられる・・・。

この東日本大震災で、津波で流された5700個もの金庫が警察に届けられ、

23億円近い現金が持ち主に返されたニュースに対して

欧米のメディアが驚いています。

イギリスの新聞「デイリーメール」は、

「イギリスが略奪に頭を抱えているなか、日本人の誠実さが証明された」と

自己批判を交えながら絶賛しています。

アメリカのオンラインニュースサイトも

「災害の後は略奪がつきものだが、

日本ではその逆のことが起きている」と報じています。

震災の後、心無い人たちの電化製品などの窃盗などのニュースがあり

ちょっと寂しい事だな・・・と思っていましたが

このようなニュースを海外メディアが絶賛してくれると

日本人として嬉しい気持ちになりますね♪

日本人としての誇りとモラルを持った行動を心がけていきたい!!と

思うわせる嬉しいニュースでした♪

親日国 前代未聞の『感謝デモ』

投稿日: 2012年9月8日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

【転載】 当時自衛隊叩きに躍起になってたメディアの捏造・隠蔽から目覚めよう! 誇りある日本の再生のために。
国民が知らない反日の実態
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1.html
本当のこと知っていますか? ミコ☆スマ
http://mikosuma.blog.shinobi.jp/
元動画
http://www.youtube.com/watch?v=nx5-4O6r-8E