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李登輝氏が「尖閣諸島が中国領なら証拠を出せ」と迫る

投稿日: 2012年10月3日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

李登輝氏が中国人留学生に語った「台湾」「尖閣」歴史の真実 (附:報道動画)

2012/06/07/Thu

■新国家建設に期待―大学生を前に熱弁振う
台湾の李登輝総統は六月五日、桃園県の国立中央大学へ赴き、「新時代の台湾人―私の脱古改新」と題する講演を学生たちの前で行った。
今年八十九歳となった李登輝氏。「皆さんは台湾の未来の希望。若者はいかに自我を超え、新時代の使命を担えるか」と語り、次ぎのように論じた。

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講演を行う李登輝氏
―――台湾はこの四百年史上で六つ外来政権の支配を受け、台湾人は歴史経験の断絶を受けてしまった。とくに一九四〇年代、外来の日本が敗戦し、中国の蒋介石がマッカーサーの命令で台湾の日本軍の降伏を受け入れることになり、台湾はそれに軍事占領され、新たな外来政権、中華民国の統治を受けるに至った。そこで「新時代の台湾人とは何か」が問題として浮上する。台湾を救うにはまず台湾の存在を確立すること。台湾の主になり、民主改革を要求する民意こそが「新台湾人」の力だ。
―――中国の歴史を見ると黄帝以降、商、周、明、清とどれもが帝国体制を引き継ぎ、そしてそれが「中国の法統」とされ、法統の外はみな化外の民、夷狄の邦とされてきた。
―――「一つの中国」の概念が中国人の特徴。中国五千年の歴史とは「一つの中国」の歴史。現在の中華民国も中華人民共和国も中国五千年史の延長線上だ。欧州人がかつて中国を指し、「アジア式の停滞」と呼んだのには道理がある。
―――共産革命は「アジアの停滞」からの脱却ではなく、中国伝統の覇権主義に復活であり、誇大妄想の皇帝一統の新たな出現だ。
―――中国史上の政治改革には秦の商鞅の変法、宋の王安石の変法、清の戊戌変法、立憲運動などがあるが、どれも失敗した。託古改制(古に照らして制度を改革する)をやっただけだからだ。実際には託古不改制と言えた。
―――中国法統の託古改制は民主化の潮流には受け入れられない。そこで私は脫古改新の新思考で改革を進めよと言いたい。それは託古改制の余毒であるアジアの価値観を拭い、「一つの中国」「中国法統」の束縛から脱却するためだ。
―――台湾で施行される中華民国憲法は、領土に中国の領土を含め、事実に反している。一方自国の領土としているが、事実に合わない。中国は「一つの中国」「台湾は中国の一部」と主張するが、台湾はこれを受け入れられない。
―――私は九一年に動員戡乱時期の終結を宣言し、国共内戦を終結させ、台湾は台湾、澎湖、金門、馬祖を統治するのに対し、中国が大陸を有効に統治していることを認めた。九九年にはドイチェベレの取材を受け、さらに明白に台湾と中国は「特殊な国と国との関係」だと宣言し、明確に境界線を引いた。台湾のトラブルはみな中国にもたらされている。中国との違いをはっきりさせれば、台湾は安泰となる。
―――台湾は主体性ある国家を建立すべき。教育、司法、そして魂の改革を進め、中国文化の色彩を払拭したい。
ここでの「中華民国は中国を含まない」との発言は、テレビニュースでも速報された。なぜならそれは馬英九・国民党政権による「一つの中国」と言う歴史捏造の政治宣伝を打ち破ろうとしたという「政治ニュース」だからだ。
戦後中国から流入してきたが国民党と言う外来政権は、「一つの中国」(台湾は中国の領土)と言うウソの洗脳宣伝を台湾人支配の柱とした。そして現在の馬英九政権も、李登輝氏がせっかく進めた台湾本土化政策(中国からの切り離し)を停止させ、再びその支柱を持ち出して、台湾併呑を目指す中国と歩調を合わせる状況である。
そこで李登輝氏は若者たちの前で、台湾は中国とは異なることを強調し、台湾の誇りある新国家建設を呼び掛けたのだろう。

■李登輝氏に攻撃的だった中国人留学生
さてこの講演の終了後、質疑応答の時間を迎えたのだが、そこで見られた光景が話題となった。
質問者は三名に限られ、その三番目に立ち上がった学生が中国からの交換留学生で、李登輝氏に議論を挑み始めたのだ。李登輝氏と言えば、中国政府が見れば台独分子、媚日などと罵るべき「大罪人」。これに中国人学生が食ってかかったとなれば、メディアも関心を寄せないはずがない。
留学生はまずこう聞いた。「両岸問題に関して若者は何ができるか」と。

李登輝
台湾のテレビニュース画面。「中国人学生が尖閣、台湾の位置付けを質問」と
報じた

これに対して台湾語を使い、「(良い関係を維持したいなら)台湾はオレの物だ、あれはオレの物だと言った話はしないことだ」とにこやかに諭した李登輝氏。
留学生が「台湾語は分からない」と言うので中国語に切り替え、「台湾は中国の一部と言わないことだ」。
これには拍手喝采が巻き起こった。

李登輝氏はさらに「台湾は中国の将来の民主化の基礎となる」と述べるとともに、「(中国の)上の言うことは信用しないように」と付け加えた。
しかし留学生は攻撃的だった。「蒋介石や蒋経国の後継者であるあなたは、なぜ彼らの思想に背いたのか」と質問した。なぜ「一つの中国」の考えを捨てたのかと言う意味らしい。
李登輝氏がそれには正面から答えず、再び中国で改革の失敗が繰り返される歴史に触れ、「中国は改革が必要だ。一番大切なのは民主主義を根を植えること」と答えた。
留学生は「中国はずっと進歩し続けている。ずっと改革が続いている」と反論した。

■「尖閣諸島が中国領なら証拠を出せ」と迫る
次いで留学生は、尖閣諸島を日本領だとする李登輝氏の主張に咬み付いた。「あなたは釣魚島は日本の物と言いうが、そこで私はあなたの立場について答えさせたい」と。
これに対して李登輝氏の回答は「清朝が台湾を日本へ割譲する際、釣魚台は台湾の属していなかった」と明確だった。
ちなみにこの歴史事実は、中国人の尖閣領有の主張を根底から覆すものである。
それでも「国民党も釣魚島は中国の一部と言っている」と返す留学生に、李登輝氏は「中国人の思想は証拠がない場合が多い」と反論。「もし日本領ではなく、台湾、中国の物と言うなら、その証拠を出してみなさい」と、学生へ一歩一歩近づいて行くと、あまりの熱意に側近らは健康状態を懸念。司会もここで終了を告げ、質問を遮った。
だが留学生はそれを無視。李登輝氏への憎悪の念に燃えていたのか、それとも李登輝氏との議論に勝ち、本国で名を上げようとでも思ったか。さらに質問を続けた。
■「歴史の真実を知れ」と中国人にメッセージ
「あなたの講演を聞いていると、台湾は各王朝から捨てられ、管理されなかったかの印象を受けるが、しかし三国時代の東呉の歴史には台湾の記載があり、元も澎湖に巡検使司を置いていた。別に清の劉銘伝時代から(開発が)始まったわけではない」と、「台湾は古来中国固有の領土」との歴史捏造宣伝を裏付けるための中国公式史観を持ち出した。

そこで李登輝氏は「台湾人は元々どこからも管理されていなかったのだ(中国の領土ではなかった)」「台湾の歴史を理解しなければだめだ。台湾人は可哀想なのだ。(外来支配を受け続けた)悲哀がある。なぜかわかるか」と聞かれ、「日本が長く統治しすぎたから。思想などに影響を与えた」

「日本は台湾を近代化したのだ。これを否定してはいけない」と言うと、すかさず「台湾の近代化は米国の影響だ」と言って話を遮ろうとし留学生。そこで場内はブーイングの嵐。司会が慌てて制止する場面も。
だがここで李登輝氏は「そんなに台湾史に興味があるのか」とやさしく語りかけ、台湾史に関する書籍を留学生に贈るとともに、自身の名刺を渡した。
李登輝氏がこのとき若者に伝えたのは「真実を知れ」と言うことだ。

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台湾史の本と名刺を渡される中国人留学生。李登輝氏の真心に応えることはできるか
かくてこの日の講演会は終了したのだった。
かつて台湾では、国民党政権による取り締まりへの恐れから、「台湾は中国の一部ではない」「尖閣諸島は台湾の領土ではない」「日本は台湾を近代化した」と言った事実を語ることも憚れ、逆に中国人の歴史捏造が定着してきたが、そうしたものへは勇気を以って反論し、論破し、中国を恐れずに台湾の存在、尊厳を守り抜く姿勢の大切さを、この日大勢の学生は李登輝氏から学んだのではないだろうか。
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講演終了後の記念撮影。学生たちは李登輝氏から多くのことを学んだはずだ
中国人とのトラブルを恐れ、その歴史捏造の前で反論を控え、かえって中国を増長させ、その結果トラブルを拡大させてしまう日本人も、李登輝氏の姿勢に学ぶべきだ。
※掲載写真は李登輝氏のFACEBOOKより(テレビ画面のものを除く)。
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親日国 前代未聞の『感謝デモ』

投稿日: 2012年9月8日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

【転載】 当時自衛隊叩きに躍起になってたメディアの捏造・隠蔽から目覚めよう! 誇りある日本の再生のために。
国民が知らない反日の実態
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1.html
本当のこと知っていますか? ミコ☆スマ
http://mikosuma.blog.shinobi.jp/
元動画
http://www.youtube.com/watch?v=nx5-4O6r-8E

台湾は中国の一部ではない

投稿日: 2011年10月6日 | 投稿者: ★ちょろQコレクション★

1996年。ある意味で、台湾にとって大きな年だったのではないでしょうか? 第一に中国海軍による台湾海峡での軍事演習。第二に史上初めての台湾総統直接選挙。蒋介石総統率いる中国国民党政権が台湾に進駐し、「中華民国」台湾政府を樹立してからはや半世紀。「一つの中国」を声高に叫ぶ中国政府、「一つの中国・一つの台湾」を標榜する初の「民選総統」李登輝。果たして、台湾は中国の一部なのでしょうか? それとも・・・


▲台湾初の民選総統・李登輝

ず、台湾の歴史から見てみましょう。台湾が中国史に初めて登場するのは隋の時代。610年、隋が「流求国」を討ったと言う記事が史書に残っているのですが、この「流求国」が台湾の事だと言われています。しかし、その一件だけで台湾は中国史に登場しません。台湾が歴史の舞台に再び登場したのは、それから9世紀ものち、大航海時代まっただ中の1544年の事です。インドのゴアを占領し、マラッカ海峡を制し、マカオを占拠したポルトガル船によって台湾は「発見」されました。台湾を「発見」した船員が「ILHA FORMOSA!(イラ・フォルモサ)」(麗しき島)と感嘆したところから、欧米では現在でも、台湾を「フォルモサ」と呼ぶ事がしばしばあります。そして、このポルトガルによる台湾の「発見」が皮肉にも、台湾の他国支配の始まりだったのです。更に悲劇だったのは、「台湾」と言う名も悲劇でした。かつて、台南付近にいたシラヤ族は、移住民や外来者を「タイアン」(客人)と称していたのですが、皮肉にも、台湾はその「客人」達によって現在に至るまで支配される事となるのです。

ーロッパ勢力による支配は、1624年、オランダ艦隊による台湾南部・安平(台南付近)への上陸を皮切りに、1626年には、スペイン艦隊が台湾北部・三貂角(サンティアゴ岬)・基隆(鶏籠)に上陸し、台湾は南部をオランダが、北部をスペインが分割支配する事になりました。当時の台湾はマレー・ポリネシア系諸部族(大多数)と大陸から移住してきた中国人(主に官憲の追跡を逃れてきた犯罪者等)が住んでいたのですが、部族数が多かった事、言語・風俗習慣等部族ごとに独自な社会を形成していた事等から、台湾全島を統一するような政権が誕生せず、それが災いして、ヨーロッパ勢力に対抗できなかった訳です。ちなみに、戦国日本を統一した「関白」豊臣秀吉も台湾に注目し、1593年、原田孫七郎を使者に、入貢(要は日本の属国になるようにと言う内容)を促す書簡を、「高山国」(台湾)の「王」に届けさせようとしましたが、前述のように、「統一」されておらず、しかも「国王」もいなかったので、結局、実現せずじまいに終わりました。その後、台湾は北部を支配していたスペインが撤退し、オランダによる全島支配が完成すると、従来以上の過酷な植民地支配に住民は苦しめられました。そんな中、新たな「支配者」が登場します。そして、そのきっかけは意外な所に端を発していました。

州に勃興した清朝の南下により、押されつつあった明王朝は、1628年、東シナ海沿岸の海賊衆の首領鄭芝龍に兵力と軍資金を与え、清軍撃滅を要請しました。鄭芝龍には、長崎平戸に滞在中、日本人女性との間に「福松」と言う名の男子をもうけました。この「福松」、のちの「鄭成功」こそ、台湾の新たな「支配者」となるのです。明王朝は、1644年、最後の皇帝崇禎帝が自決し、ここに明の時代は終わりを告げます。こののち、約20年、明王室に連なる王子が相次いで「皇帝」を称しますが、これが「南明」と呼ばれる地方政権です。そして、南明政権を支援したのが鄭成功でした。しかし、南明政権は中国本土の要衝を次々と攻略した清朝に抗すべくもなく、1661年、滅亡します。主(皇帝)を失った鄭成功は明王朝復興の悲願を胸に、大陸の拠点を撤退し、新たな拠点に移ります。それが台湾だったのです。

1661年、鄭成功は大軍をもって台湾に侵攻しました。オランダの台湾長官はバタビアの東インド会社に救援を求めますが、積年の圧政に苦しめられていた住民が鄭成功の軍を支持したので、翌年、オランダ軍は降服し、ここにヨーロッパ人による支配に終止符が打たれました。その後、台湾は、鄭成功より三代にわたって鄭氏による支配が続きましたが、1683年、清朝に降服し、鄭氏政権も終わりを告げます。台湾を明王朝は領有しませんでしたが、清朝は領有しました。しかし、清朝は消極的支配に徹しました。ですから、台湾は近代に至るまであまり開発されませんでした。その台湾が急速な近代化を遂げたのが、日本による統治時代でした。

1895年、日清戦争の終結により、台湾は清朝から日本に「割譲」されました。直ちに日本は「台湾総督府」を設置し、植民地支配を開始します。ちなみに台湾「総督府」の庁舎は、台湾「総統府」として今なお、台湾行政の中心に位置しています。この辺は、撤去解体の運命をたどった「朝鮮総督府」とは対照的です。日本統治下の台湾は、「土皇帝」の別称を持つ歴代台湾総督による独裁政治が続きました。しかし、この間に台湾はインフラの整備が進み、急速な近代化を遂げるのです。そして、終戦時、日本本土が至る所焦土と化したのに対し、台湾はほとんど戦争被害を受けませんでした。更に、日本統治時代、多部族・多言語だった台湾に「日本語」教育が導入されため、部族間の「公用語」として日本語が通用するようになり、ひいては、「台湾人」としての共通意識が醸成されていきました。つまり、現在の台湾の発展の基礎は、皮肉にも日本統治時代に整備されたと言えます。

1945年、日本は終戦に際して台湾を放棄しました。つまり、植民地支配を脱して、台湾は「独立」する好機が訪れたのです。この時、台湾軍(旧日本陸軍)参謀らは台湾財界人の一部と共に、「台湾独立計画」を企図していましたが、遂にこれは実現しませんでした。1661年、大陸から鄭成功が大陸への反攻の拠点として台湾に進駐したのと同じく、蒋介石率いる国民党が共産党への反攻の拠点として台湾に進駐してきたからです。そして、国民党による独裁政治から早半世紀。二代にわたる蒋氏支配のあとを受けて、台湾人の李登輝が総統に就任しました。

登輝総統は、表向き「台湾独立」とは口にしませんが、行動を見れば一目瞭然です。明らかに「中華民国 台湾」から「台湾共和国」への脱皮を図ろうとしています。これが、台湾の「領有権」を主張する中国を刺激して、昨年の台湾海峡での軍事演習に繋がった訳ですが、ここまで、お読みになって、もう、お分かりでしょう。明の時代、中国(明)は台湾を領有しませんでした。次の清朝は台湾を領有しましたが、清朝は満州人が中国を「征服」して建てた国なので、中国が領有していた訳ではありません(満州が領有していたと言うのなら、話は別)。その清朝は日清戦争に負けた際、台湾を日本に「割譲」しました。ここまで見てくると、中国が台湾を「領有」した事実は一切ありません。つまり、中国の「領有権」主張は、不当なものなのです。