原発を語るとき
廃止論であろうと
再開論であろうと
原発を語るときは
心を福島に置いて語る習慣を
身につけよう
福島でつくられた原発電力は
東京で消費されたから
つまるところ
福島の子たちは
東京の子の身代わりになった
福島の親たちは
東京の親たちの身代わりになった
5年後の甲状腺がん
10年後の白血病が
春夏秋冬気にかかる
福島の子達と福島の親たちを棚に上げて
原発を語ることの
恥ずかしさよ
原発を語るとき
廃止論であろうと
再開論であろうと
原発を語るときは
心を福島に置いて語る習慣を
身につけよう
福島でつくられた原発電力は
東京で消費されたから
つまるところ
福島の子たちは
東京の子の身代わりになった
福島の親たちは
東京の親たちの身代わりになった
5年後の甲状腺がん
10年後の白血病が
春夏秋冬気にかかる
福島の子達と福島の親たちを棚に上げて
原発を語ることの
恥ずかしさよ
緊急拡散お願いします。
昨晩の19;09分に、 福島の地下で爆発があった、再臨界だと、海外の一部ニュースが騒いでいます。
この手のニュースは、放射能マフィア関連である大手マスメデイアは、書かないだろうが、若しかして、少しの善意の気持ちがあれば、書いてくれるかもしれないと思い、今まで、待っていたけど、書いてくれる気持ちがないようなので、私が書かせて貰うことにしました。
震源地は、ちょうど、福島の原発の下あたり、マグニチュード5, 6.
lこのあたり、地震は多いところなのですが、昨晩の地震は、超異常。
再臨界?や爆発?と報道されている記事を読むと、どうやら、作業員たちが、地鳴りのような 音と爆発音のような音を聞いたとのこと。
フラッシュのような光が、ビデオカメラに映っている。
福島の震度は僅か震度1しかありません。
不可解な数字です。
ニュースでは、 メルトダウンした燃料と地下水が接触して地下で爆発(再臨界)したのではないかといわれていますが、果たして事実でしょうか?
事実かどうかは、私にもわかりません。
しかし、3月11日のメルトダウン時に、政府や東電が公表しなかったという事実があります。
それを、考えれば、海外で、このタイプのニュースが出ている以上、私達は、注意深く行動するに越したことは有りません。
明日は、なるべくであれば、外出は、避けたほうが良いでしょう。
福島だけではなく、私たちは、危険地域が関東や長野・新潟まで軽く飛散するという事実を知っています。
だから、今度こそは、3月11日と同じ、間違いはしないようにしていただきたいと思います。
このニュースが、間違いであってくれれば良いのですが、、、、、。
もし、本当であれば、プルトニウムが、大量に飛散される可能性があります。
少なくとも、子供達は、可能であれば、2,3日外出は控えたほうが良いと思います。
一応、ご報告まで。
全国のリアルタイム放射線量マップ(速報版)を覗いてみてください。
福島県双葉町山田が平常時の約348倍になっています。
しばらく外出には気をつけてください。たった今みつけたものですが、海外のニュース元は何処なんでしょうね。
福島が再臨界の爆発があったと海外ニュース!(ブログ春の季節に)
そこで、本当に9月29日の夜に何か異変があったのか?と見てみると、やはりそれは存在した。
問題の29日の19時09分は以下のものに含まれている。
2011.09.29 19:00-20:00 / ふくいちライブカメラ(long ver)
この映像の右側にあるいくつか光っている部分に注目。その一番右は「ライトアップ」用のサーチライトである。それから2つ目に「すこし赤みがかった光」があるだろう。これが「異変」の部分の光である。したがって、この映像ではすでに光っているから、いつからここが光り始めたか?を見ればいい。
「全国のリアルタイム放射線量マップ(速報版)」は、環境防災Nネット(原子力安全技術センター)のデータを使い、誰でもわかりやすいように視覚化しています。
また、GoogleMapでは、一目でどの地域が、危険なのかも色別でわかります。
緑:平常値以内
赤:超過時
オレンジ:平常時の0.5倍以上
やはり、このサイトの良いところは、リアルタイム(1時間ごと)に全国の放射線量が把握できることでしょう。国もこのくらいわかりやすくデータを開示してもらいたいものですが……。
東日本大震災に加え、東京電力福島第1原発事故に見舞われた福島県。第1原発が立地する大熊町や双葉町は全町避難を余儀なくされた。事故からもうすぐ半年。古里を奪われた人々の望郷の思いは募る。
◇全町避難の大熊・双葉--慣れぬ土地で半年
背丈ほどの雑草に覆われた庭。倒れた家具。食器が散乱したキッチン--。「これが本当に俺の家なのか……」。今月1日の一時帰宅で半年ぶりに戻った我が家は、変わり果てていた。
大熊町夫沢の佐藤x一さん(62)の自宅は、第1原発の南2.5キロにある。妻z子さん(62)と73年に結婚。富岡町から道子さんの故郷に移り住んだ。
89年に運送と産業廃棄物処理の会社を設立し、自宅も建てた。長男洋道さん(37)ら3人の子も会社を手伝ってくれるようになり、徐々に仕事の規模が拡大した。97年には約3億円を投じ、自宅近くに産廃処理用焼却炉も造った。「家族みんな、いつも一緒でね。そりゃあ幸せでしたよ」
穏やかな暮らしを、原発事故が一瞬にして奪った。一家は隣の田村市や新潟県新発田市など5カ所の避難所を転々とした後、X一さんとZ子さんらは喜多方市内のアパートに身を寄せた。長女とみえさん(28)は新潟市に移った。「賠償はいらないから震災前の生活に戻して」。離散した家族を案じ、道子さんは涙に暮れる。
8月27日。福島県を訪れた菅直人前首相が、原発周辺には長期間戻れない可能性に言及した。「国のトップに言われると、ずしーんときたね」。X一さんの絶望感は深まった。
会社経営者としての責任もある。従業員22人のうち、15人が避難先などで会社の再開を待つ。運送業だけでも始められないかと思案するが、喜多方市周辺には縁もゆかりもない。「すぐにはうまくいかねえべ」。洋一さんはため息をついた。
洋Sさんは、喜多方市に妻と幼い3人の子を残し、仕事のため約120キロ離れた北茨城市で、単身で暮らす。「パパおんぶして」。毎週末に帰宅すると、子供が競うように飛びついてくる。
もうすぐ2歳の長男洋D君は、半年続く避難生活の間に「パパ」と言えるようになった。子供の成長が支えだが、妻Y香里さん(38)は「何も解決しないまま半年たっちゃった」と、好転しない事態に焦りも感じる。
洋Sさんも父の家に隣接する自宅に今月1日、一時帰宅した。家をカメラで撮影し、家族に見せた。お気に入りのぬいぐるみや旅行先で描いてもらった家族の似顔絵。次女(7)は食い入るように写真を見つめ、「戻りたい」と涙を流した。長女(9)は気持ちを押し殺すように黙り込んだ。「子供たちは負の遺産と何十年も向き合わないといけない」
知人には「もう帰らない」と決めた人も出てきた。それでも洋Sさんは言う。「どこにいても心は故郷にある。何十年もたって、自分の腰が曲がりつえをついていたとしても、子供や孫のために地域に戻って復興したい」